元号が昭和から平成に代わって間もない今から約25年前のこと。
神奈川県西部のとある街、6畳2間のアパートに1組のカップルが住み始めました。
世帯主である夫はまだ社会に出て間もない若造、家財道具も最小限で手取りの給与も少なく年に2回の僅かな賞与の一部を切り崩して何とか細々と生活、当然マイカーを持つ余裕など全く無かった。
それまで車がなくても生活にものすごい不便を感じることは無かったが、あれば便利なのは間違いないため、生活を始めてちょうど一年が経過した頃、中古でイイから車を購入しようということになった。
購入資金となる貯金は僅かな額のため、車種や装備に関するぜいたくは言えない。又、スポーツカーや2ドアクーペの車に対する憧れもあったが、一度レンタカーで借りた4ドアの日産サニーがとても使い勝手が良いことを覚えていたので選択肢は実用性に優れた4ドアセダン。その中でも最低限の条件として「エアコン、パワステを装備」、出来ればオートマ車、できるだけ年式は新しい車を目標に中古車店を探して歩いた。
そして、神奈川トヨタの中古車センターで条件にあう一台にめぐり合い、我が家にやってくることになった。
その初めて購入した愛車は"足のいいやつ"のCMでおなじみ、TOYOTAカリーナ(4代目)です。
4代目カリーナは1984年に同車として初のFFとして発売したモデル。購入したのは1985年にマイナーチェンジした後期型の特別仕様車「MY LIFE」の1987年型の中古車でした。
(写真は1984年FMC後の前期型)
型式:AT-150
エンジン:3A-LU型 1.5L OHC直列4気筒、燃料供給:キャブレター
最高出力83ps/5600rpm、最大トルク12.0kgm/3600rpm *グロス値
変速機:2WAY 3速AT
駆動方式:FF
サスペンション 前:マクファーソンストラット、後:ストラット
全長:4,350mm 全幅:1,670mm 全高:1,365mm ホイールベース:2,515mm
車両重量:950kg(SEグレード 5MT車)
ブレーキ 前:ディスク、後:ドラム
走行距離は約30000km弱で車両価格と諸費用(車検2年分含めて)の総額は確か63万円。貯金を全額放出する事を当時の担当:神奈川トヨタの中古車センターSさんに話したところ、ピッタシ60万円にまけてくれました、これは本当にうれしかった。
「MYLIFE」というグレードはもう一つの上級特別仕様車「MY ROAD」よりも装備を簡素にしたお買い得仕様車だった様で、窓の開閉はクルクル回す手動式ハンドル、ドアミラーも電動格納やミラーのリモコン電動調整の機能はありません。それでもエアコンとパワステを装備していた事に加え、タコメーターやAMラジオ+FMラジオ一体式カセットデッキも装備していたので普段の下駄代わりに使用するには十分な内容でした。
購入後は、雨天夜間時の視界確保のためPIAA製のイエローフォグランプ(スイッチはトヨタ純正品を使用)や、友人から譲ってもらったALPINEのリヤスピーカーを設置、オーディオも1DINのワンボディタイプに交換したり、そして外観は車体の外周を囲う様に赤のピンストライプステッカーを貼ったりと、少ない小遣いの中から自分好みの車にしようと楽しんでいました。
高速道路では100km/hを少し超えると「キンコンキンコン」とチャイムは鳴るし、(高速の)登坂ではパワーが非力なため、アクセルを床まで踏んづける=2速にキックダウンしてエンジン音が高まるため、とても車内はうるさく決して快適ではありませんでしたが、関西への帰省もこの車で行く様になった上、普段の行動範囲も格段に広がりました。
購入してから約5年、ちょうど走行距離が60000km近くなったところで、ある事がきっかけで手放すことになりましたが、新婚で生活が苦しい時代を共に過ごしてくれた、たくさんの思い出が詰まった初めての愛車でした。
都会で生活してるとマイカーの必要性はそれほどかんじないかもしれませんね~
新婚時代の初めて買ったマイカーともなれば、愛着もありなつかしいんでしょうね~
白いカリーナの写真は当時のものなのですね。リヤガラスのPIAAのステッカーがいいです。
カリーナ。よくできたセダン車でしたよね。特にこのモデルは私も好きでした。
PIAAの角型イエローフォグランプは、たぶん私も買いましたよ。
苦労だけでなく思い出もきっと一杯共に過ごしたのでしょうね・・・!
もしかしたら、どんな車よりも思い出深いでしょうね。
私も若い頃、やっとの思いで購入した車は
一生忘れる事は有りません。
大事な思い出としてしまっておきたいですね。
ところで
あのキンコンカンコンはうるさかったですよね。
それから間もなく法改正されて無くなりましたが
これも懐かしい思い出でしょうか。
パワステ、カーステ、エアコン付きでその値段ならお買い得だったのでは?
カリーナは従兄弟も同級生も乗ってました。カクカクで乗りやすかったでしょうネ。
キンコン音は標準でした。親を乗せて走るとこの音なると大騒ぎされました(>_<)
音が鳴らなくなってから平和が訪れました。(^^)
お話、いいですよね。
胸が思わずキューンとなります。(笑)
しかし、良く覚えていますね。
車があると行動範囲が広まるだけでなく、マイカーを持っている事が生活にゆとりが出た様に感じましたね。
休みの日になると、洗車するのが楽しみでもありました。
写真は当時住んでいたアパートの駐車場で、車を手放す時に撮影したものだと思います。
私の叔父もカリーナ2000GT(2ドアクーペ)に乗っていました。兄弟車のコロナは大人っぽい感じがしたのに対し、カリーナはスポーティな印象だったのが気に入ってましたね。
確かにこのモデルはたくさん走ってましたね。この車で関西まで帰省するなが年間イベントの一つになってました。東名・名神が混雑している時に名阪国道を迂回したことがあるんですが、名阪はアップダウンが多く、登り坂になるとアクセル踏んづけて走ってた事を思い出します。
初めてマイカーを持った喜びは今でも忘れないイイ思い出です。結婚して世帯を持って次はマイカー、少しづつ大人の仲間入りをしている感覚になりました。
高速では、エンジン音が高まり、フロアATの駆動音も侵入し、おまけに「キンコン」ですから車内はうるさかった。ちょうどキンコンの義務化がなくなった次の車検のタイミングで配線をカットしてもらったので、それからは少しですが静かになりました。