22日夜の回を観て
あまりに良かったので
翌日も三軒茶屋のシアタートラムに出掛け
23日昼の部も観てきました。
阿佐ヶ谷スパイダース Presents
「荒野に立つ」
作・演出:長塚圭史
出演:安藤聖、川村紗也、黒木華、斉藤めぐみ
佐藤みつき、伊達暁、中村まこと、中村ゆり
中山祐一朗、長塚圭史、初音映莉子、平栗あつみ
福田転球、水野小論、横田栄司
中村ゆりが阿佐ヶ谷に出るのでセレクト。
(福田転球も出てるしね)
ホント久しぶりの阿佐ヶ谷スパイダースでした。
阿佐ヶ谷スパイダース(長塚圭史)の作風が変わったかな?
思って観ていました。
これまでは自虐的な笑いを中心に
ぐいぐいとえぐられるような内容が多かったような気がしますが、
今回、久しぶりに観たのもあるのでしょうか、
シンボリックで抽象度が高い、洗練されたセリフと構成で、
静かに静かに迫ってくる舞台でした。
「いま・ここ」に暮らす
私たちの日常や心性が題材でありテーマです。
そうした私たちの日常経験や気持ちのありようが
断片として提示されていきます。
それらの断片は最初バラバラのようで
(それは私たちに日常の現実が正に断片化されているかのように…)
次第に輪郭が浮かび上がっていく作り方は絶妙でした。
抽象から具体へと
演劇世界のなかでの現実がトレースされていきます。
ひとつの役を、別の役が「代理」して演じていく手法も
代替可能な個人を表象しているようでもあり、あるいは
誰もが大なり小なり共通の似たような経験をするであろう
ということを暗示してるようでもあり、
示唆的で刺激的な演出でした。
演劇上の、ストーリーや時間・空間、役割を
攪乱させる。
それは、私たちの「現実」の暮らしそのものが
すでにどうしようもなく攪乱されたものとしてあること、そして、
リアルであることのアクチュアルな根拠が希薄化していること、を
演劇世界から逆照射してくるものとしてあります。
かつて「青年は荒野をめざす」という歌がありました。
しかし「いま・ここ」の私たちが生きる日常は
すべての人々にとって果てのみえない「荒野」として
目の前に広がっています。
(「終わりのない日常」と表現した社会学者もいました)
私たちにとって「荒野に立つ」とは…、
じっと立って、耐えるのか
呆然と佇むしかできないのか
それとも立ちすくむのか
あるいはいつか前に一歩踏み出すのか
そんなことを考えながら観ました。
久しぶりに脳髄を刺激してくれる
秀逸な芝居を観たと思いました。
阿佐ヶ谷スパイダース『荒野に立つ』 Trailer Movie
第二弾! 阿佐ヶ谷スパイダース『荒野に立つ』 Trailer Movie
最後に、
中村ゆり出演の芝居としては
「1945」に続いてのいい芝居だったと思います。
(こちらもゴーチ・ブラザーズのお芝居でした)
そして、中村ゆりの醸し出す
薄幸で儚げな役どころは、
やっぱり彼女ならではの美しさとして
抱きしめたくなる舞台でした。
福岡でも8月11・12日に公演が予定されています。
イムズホールにもまた観に行こうと思っています。
【関連記事】
・再び、大阪の“荒野に立つ”[2011-08-04]
・地元福岡の“荒野に立つ”[2011-08-12]
・大千穐楽の“荒野に立つ”[2011-08-13]
あまりに良かったので
翌日も三軒茶屋のシアタートラムに出掛け
23日昼の部も観てきました。
阿佐ヶ谷スパイダース Presents
「荒野に立つ」
作・演出:長塚圭史
出演:安藤聖、川村紗也、黒木華、斉藤めぐみ
佐藤みつき、伊達暁、中村まこと、中村ゆり
中山祐一朗、長塚圭史、初音映莉子、平栗あつみ
福田転球、水野小論、横田栄司
中村ゆりが阿佐ヶ谷に出るのでセレクト。
(福田転球も出てるしね)
ホント久しぶりの阿佐ヶ谷スパイダースでした。
阿佐ヶ谷スパイダース(長塚圭史)の作風が変わったかな?
思って観ていました。
これまでは自虐的な笑いを中心に
ぐいぐいとえぐられるような内容が多かったような気がしますが、
今回、久しぶりに観たのもあるのでしょうか、
シンボリックで抽象度が高い、洗練されたセリフと構成で、
静かに静かに迫ってくる舞台でした。
「いま・ここ」に暮らす
私たちの日常や心性が題材でありテーマです。
そうした私たちの日常経験や気持ちのありようが
断片として提示されていきます。
それらの断片は最初バラバラのようで
(それは私たちに日常の現実が正に断片化されているかのように…)
次第に輪郭が浮かび上がっていく作り方は絶妙でした。
抽象から具体へと
演劇世界のなかでの現実がトレースされていきます。
ひとつの役を、別の役が「代理」して演じていく手法も
代替可能な個人を表象しているようでもあり、あるいは
誰もが大なり小なり共通の似たような経験をするであろう
ということを暗示してるようでもあり、
示唆的で刺激的な演出でした。
演劇上の、ストーリーや時間・空間、役割を
攪乱させる。
それは、私たちの「現実」の暮らしそのものが
すでにどうしようもなく攪乱されたものとしてあること、そして、
リアルであることのアクチュアルな根拠が希薄化していること、を
演劇世界から逆照射してくるものとしてあります。
かつて「青年は荒野をめざす」という歌がありました。
しかし「いま・ここ」の私たちが生きる日常は
すべての人々にとって果てのみえない「荒野」として
目の前に広がっています。
(「終わりのない日常」と表現した社会学者もいました)
私たちにとって「荒野に立つ」とは…、
じっと立って、耐えるのか
呆然と佇むしかできないのか
それとも立ちすくむのか
あるいはいつか前に一歩踏み出すのか
そんなことを考えながら観ました。
久しぶりに脳髄を刺激してくれる
秀逸な芝居を観たと思いました。
阿佐ヶ谷スパイダース『荒野に立つ』 Trailer Movie
第二弾! 阿佐ヶ谷スパイダース『荒野に立つ』 Trailer Movie
最後に、
中村ゆり出演の芝居としては
「1945」に続いてのいい芝居だったと思います。
(こちらもゴーチ・ブラザーズのお芝居でした)
そして、中村ゆりの醸し出す
薄幸で儚げな役どころは、
やっぱり彼女ならではの美しさとして
抱きしめたくなる舞台でした。
福岡でも8月11・12日に公演が予定されています。
イムズホールにもまた観に行こうと思っています。
【関連記事】
・再び、大阪の“荒野に立つ”[2011-08-04]
・地元福岡の“荒野に立つ”[2011-08-12]
・大千穐楽の“荒野に立つ”[2011-08-13]
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