蓮出汚泥

「衆生病めば則ち菩薩も病み、衆生の病い愈ゆれば菩薩もまた愈ゆ」

自分軸で生きる

2020-09-13 09:21:00 | ビジネス

底意地の悪い人間というのはどこにでも居る。


他人の足を引っ張ろうとする人。


他人の噂話が大好きな人。


他人を平気で貶す人、、、


他人と自分を比較して一喜一憂する人は、他人と他人を比較する傾向もあるだろう。


自分のことよりも他人のことが気になって仕方ない、

自他の線引きが出来ない人達なのかもしれない。


そういう人は、他人に自分の貴重な時間を捧げてしまっているのだ。


好きにやらせておけば良い。


好きに言わせておけば良い。


恐らく暇な人なのだろう。


そのうち身も心も毒されていくだろう。


そして、彼らは何かしらの「恐れ」を抱えている筈である。


自分の存在を揺るがされることへの


あなたはしっかりと地に足を着け、自分の軸を見失わずに生きていれば良いのだ。


たとえそのような人間に出会ったとしても、自分の成長の為に必要な人達だったと思えば良い。


己を高めることに集中するのみ!









お天道様にお任せ

2020-09-12 07:59:00 | ビジネス

怒りや嫉妬・執着といった感情は、念となって飛び易い。


そしてそれは、恐ろしいほど発した者に跳ね返ってくるものだ。


私はその恐ろしさを知っているので、自分に対して嫉妬や執着の念を放ってくる相手とは絶対にそれ以上関わらないようにしている。


これまでの経験上その跳ね返りの半端なさを知っているので、相手の身に何か起こるのではないか心配で怖くて関われないのだ。


それ位悪念というのは自らの身を滅ぼすものなのである。


相手に悪念を飛ばされたら、自分から存在を消すというのも一つの思いやりではないかと思っている。


あとはお天道様にお任せ。


そうした相手とも何かしらのご縁(因縁)があったのだと受け止め、そこで学びを得させて頂いたことに感謝して手放すことにしている。


そういうわけで、相手を許し、怒りや嫉妬・執着といったものを手放すことは本当に大切だ。


ただしそれは、自分を犠牲にし、我慢してまで悪念を放つ相手と付き合い続けることではない。


他人はそう容易く変えられるものではないし、変えようとするものでもない。


手出しは無用。


ネガティブな波動を発する人や諍いを煽るような人が発する波動は、地球にも悪影響を及ぼすという。


世界の平和を願うのであれば、まずはあなたとあなたの周囲から平和な世界を作らなければならない。


あなたの内なる平和が保たれますように。




信用と信頼

2020-09-11 22:17:00 | ビジネス

世界各国の王室貴族に利用される超一流ホテル、ミシュランで星を取り続けている高級レストラン

ここに付けられた星の数々は信用と信頼によって成り立っている。


長年ゲストから愛され続けるこうした場所に共通することは、チームである従業員達の「和」を何よりも大事にしているという点だ。


高級ホテルやレストランだけでない。

西海岸で長年愛されている某コーヒーショップも、従業員達がとにかく生きいきとしていて、彼らの姿を見ているだけで不思議とこちらも気分が良くなるのだ。


ゲストはそこで得られる物質的なものだけでなく、目に見えないエネルギー(波動)に吸い寄せられているといっても良いかもしれない。


一方で星付きレストランであっても時折ウェイター同士の諍いを目にしてしまうことがある。

どんなにシェフの腕が一流で食事の味が良くても、こちらは気まずい(=気が不味い)気分を味わうことになる。

組織の和を乱す人間がそこに一人居るだけで、何もかもが台無しになってしまうのだ。


究極のおもてなしの世界といえば、

日本の老舗高級料亭を例に挙げても分かり易いかもしれない。

京都の一流老舗料亭は茶道とも昔から縁が深く、家元主宰の茶会は出入りを許された料亭が担当する。

料亭によって提供された料理は、水屋で更にしつらえられ、お運びによって客人に供される。

失敗の許されない世界である。


茶道の世界は外からは優雅に見られがちかもしれないが、本番の茶会で点前、半頭、お運び、客人を滞りなく務める為に日頃から畳の目数まで数えながら修練を積むという、それなりに厳しい世界なのである。

その元は禅宗から来ており、それなりの道場ともなると畳の拭き掃除から稽古が始まる。

床の間には禅語の掛け軸がしつらえられ、禅語の解説も行われる。

精神修養の場でもあるのだ。


近頃は茶道の精神やオペレーションシステムに関心を持ち、茶道の世界に入ろうとする海外の一流シェフやカフェのオーナーも居るようだ。


京都には「白足袋には逆らうな」という言葉がある。


厳しい修行を積んだ僧侶や茶人(老舗料亭や菓子処、お茶屋さんの方々も殆どは茶人である、舞妓さん達は皆、それなりの物差しを持たれている。


また上記にあるように、茶道では客人にも作法がある。

これは京都に限ったことではないかもしれないが、それなりの場所では客人も評価されるものなのだ。


その基準は、収入や肩書きだけで判断されるものではない。


「一見さんお断り」の文化には、それなりの理由があるのだ。


周囲からの信用・信頼を得るには、「己がどう在るか」これに尽きる。