世界各国の王室貴族に利用される超一流ホテル、ミシュランで星を取り続けている高級レストラン…
ここに付けられた星の数々は信用と信頼によって成り立っている。
長年ゲストから愛され続けるこうした場所に共通することは、チームである従業員達の「和」を何よりも大事にしているという点だ。
高級ホテルやレストランだけでない。
西海岸で長年愛されている某コーヒーショップも、従業員達がとにかく生きいきとしていて、彼らの姿を見ているだけで不思議とこちらも気分が良くなるのだ。
ゲストはそこで得られる物質的なものだけでなく、目に見えないエネルギー(波動)に吸い寄せられているといっても良いかもしれない。
一方で星付きレストランであっても時折ウェイター同士の諍いを目にしてしまうことがある。
どんなにシェフの腕が一流で食事の味が良くても、こちらは気まずい(=気が不味い)気分を味わうことになる。
組織の和を乱す人間がそこに一人居るだけで、何もかもが台無しになってしまうのだ。
究極のおもてなしの世界といえば、
日本の老舗高級料亭を例に挙げても分かり易いかもしれない。
京都の一流老舗料亭は茶道とも昔から縁が深く、家元主宰の茶会は出入りを許された料亭が担当する。
料亭によって提供された料理は、水屋で更にしつらえられ、お運びによって客人に供される。
失敗の許されない世界である。
茶道の世界は外からは優雅に見られがちかもしれないが、本番の茶会で点前、半頭、お運び、客人を滞りなく務める為に日頃から畳の目数まで数えながら修練を積むという、それなりに厳しい世界なのである。
その元は禅宗から来ており、それなりの道場ともなると畳の拭き掃除から稽古が始まる。
床の間には禅語の掛け軸がしつらえられ、禅語の解説も行われる。
精神修養の場でもあるのだ。
近頃は茶道の精神やオペレーションシステムに関心を持ち、茶道の世界に入ろうとする海外の一流シェフやカフェのオーナーも居るようだ。
京都には「白足袋には逆らうな」という言葉がある。
厳しい修行を積んだ僧侶や茶人(老舗料亭や菓子処、お茶屋さんの方々も殆どは茶人である) 、舞妓さん達は皆、それなりの物差しを持たれている。
また上記にあるように、茶道では客人にも作法がある。
これは京都に限ったことではないかもしれないが、それなりの場所では客人も評価されるものなのだ。
その基準は、収入や肩書きだけで判断されるものではない。
「一見さんお断り」の文化には、それなりの理由があるのだ。
周囲からの信用・信頼を得るには、「己がどう在るか」これに尽きる。