昭和の時代に、「歌は世につれ、世は歌につれ」という司会者の言葉で始まる歌番組があった。
たしか、玉置宏が司会者だったと記憶している。
「ロッテ歌のアルバム」という番組だった。
当時は、彼のこのセリフの意味がよくわからなかった。
が、70年ほど人間をやってきて、世の変容、人の移り変わりを見てきて、ようやくこの「セリフ」の意味が分かったような気がする。
それはさておき、昭和生まれの私には昭和の歌が心の中に強く残っている。
当然、歌と私の人生の1ページが不可分のもののようだ。
昭和の歌は、耳を傾けて聴くに堪えるものも多かった。
一緒に口ずさめるものであった。
バンドで演奏するときは、いろんなアレンジができて、対旋律を入れたりすることも容易だった。
またハモリも入れながら一緒に歌うこともできた。
さらには、スタジオミュージシャンたちの演奏テクニックも、大いに興味をそそられてものだ。
昭和の人間らしい社会・世相を反映したものであったように思っている。
しかし、最近の歌は一緒に口ずさめない。
まして心静かに耳を傾けるに値する曲も少なくなった。
特にアイドルグループの歌は、歌なのかダンスのBGMなのか判別がつかない。(これは私の年齢のせいだろう)
またメロディーラインも聞き取りにくいし、歌詞も聞こえづらい。
伴奏がやけにけたたましい。
歌番組では歌詞がテロップで出るが、「詩」とは程遠い「散文」のようだ。
やたら助詞や助動詞などの「文章の脂肪」が多いことも・・・。
昭和の歌の歌詞の多くには、「韻文」の薫り高く、言葉にも深みがあったような思いがある。
昭和の歌は、歌詞を聞けばその場面が容易に頭に描くことができたが、今の歌は・・・・・・。
歌詞に深みが感じられず、味わいもない。
小学校の作文のように単語の羅列、また意味不明の英語のフレーズを入れて立派そうに見せているように感じてならない。
これは曲を作る人間の国語力の欠如、感性の鈍さ・・・・・だろうかと。
当然、曲を聴く年代の国語力も以前よりもおとっているのだろうがから、こういう曲の方が受けるのかもしれない。
かと言って、今の曲を否定するつもりは毛頭ない。
音楽表現としては、時代・世相を反映した種々雑多なものがあって然るべきであるから・・・。
ただ、昭和の爺には理解できない部分が多すぎるということ。
今のような歌が流行るのは、今の時代がそんな時代だから・・・・・。
『歌は世につれ、世は歌につれ』
まさに言い得て妙・・・・・・である。