現代は「カネのかかる時代」だと思っている。
いや、『カネをかけさせられる時代』というべきか?
何をするにも「カネ」が必要だ。
さらに情報技術の発達で、商品も情報が否応なく飛び込んでくる。
そして、人間の「物欲」をこの上なく刺激してくれる。
そしてそれらのものを手に入れられれば幸せを感じ、そうでないときは不幸を感じざるを得ない。
一般家庭でも、でっかい車を持ち、家には便利な家電製品がたくさんある。
昭和の時代なら、こういう家庭は「富裕層」に分類されていたかも。
こういうご時世では、カネがいくらあっても足りないようだ。
人間の欲望には際限がないからか・・・・。
食べるものでも、高級志向になっているように思える。
一番思うのがお米。
みな競ってブランド米を求める傾向があるが、ブランド米と標準米のどこが違うのかな?
確かに食べる一瞬は、味や風味は違うかもしれない。
でも、腹の中に入ってしまえば全く同じであるし、消化されて出てくるものも同じようなものが出てくるのだ。
ならば、物価高騰の折でもあり、あえてブランド米を食べる必然性はないように思えるが・・・・。
それでもブランド米を食べるのは、何故なのかなあ?
昭和の貧しい時代に育った爺には、その辺がどうも解せない。
日々、3度のご飯がまともに食べられるだけで幸せである。
今の時代、カネをかけないと『幸せ』を感じられないのかな??
本当の「幸せ」なんて、本来カネで買うものではないのに・・・・・・・、と勝手に信じている爺である。