現在世界の標準になっている暦は、西洋人が作って、その海外進出とともに広がって優勢になったものだ。今更これを変更しようとしても、非常に難しいことは分かっているが、不合理なことが非常に多くて文句の一つも言いたくなる。なぜ2月は28日しかないんだ?。なぜ大の月と小の月が交互にくることがなくて、気まぐれに並んでいるんだ?。
聞くところによると、西洋では1月から8月までには古代ローマの神や指導者の名前がついていて、その指導者が自分の名前の月が大の月になるように変更したりしたから、各月の日数が変なことになっているんだそうだ。【詳しくは Wikipedia の「月(暦)」の中の「ローマ暦に由来する名称と日数」を参照】
我々東アジア人(日本、中国、韓国、ベトナム)は、新年のことを「新春」と言ったりする。季節感からいくと、これは明らかにおかしい。1月は「寒」の季節であり、後半には大寒もある。つらい冬が終わって、新しい春が来て暖かくなったと喜べるのは、寒が明けて立春を過ぎてからだろう。実際、東アジアでは昔は日本で言う旧暦(太陰暦)が使われており、月の満ち欠けに依存するので年によって新暦での日付は違うが、その1月1日は平均して大体立春の頃にやってくる。だから、昔は「新年」を「新春」と実感できたのだろう。また、中国などでは、新年の祝いは旧暦の1月1日に盛大に行っている。
だったら旧暦を採用すればいいかというと、年によって閏月が入って大幅に一年の日数が変動するのは、それはそれで不合理な気がする。
そこで私は提案したい。立春を1月1日と定めた太陽暦を採用することを。また、月の日数は陰陽の「陽」である奇数月を大の月(31日間)、「陰」である偶数月を小の月(30日間)とする。ただし、1年は365日なので11月は例外的に30日間として、閏年には本来の31日間にする、と定めれば、非常に整然とした素晴らしい暦になると思う。
こうすれば、東アジア人の伝統的な行事の日付が生活実感に合い、昔の書物に日付が書かれていても、同じような季節感でその文章を読むことができるし、年賀状に「新春」と書くことに何の抵抗も感じなくなる。良いことずくめだ。東アジアが世界経済の牽引役である今こそ、この暦を全世界に広めるチャンスだと思う。
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