春のワルツ 第1話「巡り会い」
ユン・ソクホ監督の四季シリーズはペ・ヨンジュンとチェ・ジウの「冬のソナタ」しか見ていない。他のは家族が知り合いから借りてきたり、レンタルしてきて見たりしていたので見る機会はあったのだがどうしても見たい気が起こらずそのままになってしまっていた。たぶん「冬のソナタ」一作で満腹してしまったのだろう。ロマンチックシリーズならこれを超えることはできないだろうという具合に。しかし、考えたらドラマを楽しむのに超える超えないなどあまり関係ない。別の新しい世界に出会えるってことなんだから。気に入らなければそこで打ち切ればいいだけの話である。
「春のワルツ」を見る気になったのは、出入りしだした無料動画のgyaoで1話と2話を続けて見られそうだったからである。ドラマは最初に2話分くらい見る方がいい。どっと入りこんで見た方が2倍その世界を楽しめる。
例によってNHK海外ドラマのホームページ以下から第1話のあらすじ他を貼りつけよう。それから出かけてみるとしよう。
ウニョンは韓国のクリスタル・デザイン・コンテストで優勝し、ボーナスツアーでオーストリアへと向かっていた。その飛行機で隣にすわっていた女性、イナは、幼なじみの世界的ピアニスト・チェハに会いに行くのだという。しかし空港にイナを迎えに来たチェハのマネージャー・フィリップは、イナとウニョンを取り違えてひと騒動。誤解が解け、ようやくチェハの元へとやってきたイナだったが、チェハはイナを覚えていなかった! 15年前とはいえ、結婚の約束までしていたのに……。
一方、フィリップは街中で再び出会ったウニョンに道案内をかって出、別れ際にチェハのコンサートのチケットをプレゼントする。翌日、コンサート会場へ向かう電車に乗ったウニョンは、たまたま同じ客室に乗り合わせたチェハに話しかけるが会話がかみあわず気まずい思いをする。さらに、ウニョンが荷物の中に入れていたコチュジャンをチェハに浴びせてしまい、すっかり怒らせてしまう……。ウニョンはお詫びにクマ柄のセーターと、フィリップにもらったコンサートのチケットを渡す。彼が演奏者その人だとも気づかずに……。
●ペンでたたいてお国をチェック!
ザルツブルクへ向かう電車の中。チェハをちらちら見ながら、ウニョンがボールペンで窓をコツコツたたいています。実はこれ、チェハが韓国人なのかどうか、探りを入れているって、気づきましたか? よく聞くと、そのリズムは「タン・タ・タン・タン」。そう、サッカーの試合で韓国サポーターたちが叫ぶ「テーハミングッ(大韓民国)!!」のリズムなのです。このリズムに反応したら韓国人、というわけ。日本でいうところの「ニッポン・チャチャチャ」みたいなものでしょうか・・・。
●海外でも故郷の味を忘れずに
ウニョンの荷物からこぼれ落ち、チェハの顔や服にポタポタと降りかかってきた赤いドロドロの液。韓国の料理には欠かせないコチュジャン、唐辛子味噌です。実際、海外旅行には、「マイ・コチュジャン」を持ち歩く人も多いとか。ウニョンのようにあんなに大量に持ち歩いているかは別として……。 日本人が梅干やしょうゆを持っていくのと同じみたいですね。
ロマンチックな恋のドラマはやはりヒロインの姿によって集約される。ヒロインの表情や言葉がストーリー全体のイメージを左右し、色づけしていくからだ。
このドラマのヒロインはハン・ヒョジュ(韓国だけでなく日本でもチェ・ジウ級の韓流スターになれる可能性をじゅうぶん秘めている女優)。
彼女の顔立ちや雰囲気は深田恭子によく似ている。深田恭子はちょっと明るく、彼女はちょっと暗めの感じといったところか。しかし、あくまでドラマに出ている姿からの印象だ。深田恭子の場合、テレビ朝日でやっていた「富豪刑事」のお嬢さま姿が目に焼きついているのかもしれない。
話が逸れそうになった。
偶然の再会から始まっていくストーリーはありふれているが、逆に言えば、陳腐なエピソードを並べていくだけでは飽きられる。それを心配しながら見始めたのだが、それは感じなかった。ほっとした。それどころか外国でよくこんなきれいな映像を撮ってきたなと感心するほどだった。さすがは映像美のユン・ソクホ監督だ。
人は一生のうち、どんなに多忙をきわめても言葉を交わす相手は一万人を超えないだろうと言われる。それで覚えていられる数となるとどのくらいになってしまうだろう。言葉を交わしたとしても、たぶんその多くは忘れていってしまう相手だ。
子供の頃の記憶というのは強いものだが、その頃の相手に十数年後に偶然再会したとして、どれだけの者がその相手を思い出せるだろうか。ちゃんとしたお膳立てがない限り、僕は皆無じゃないかと思う。
偶然の再会から、相手との交流を呼び戻す、あるいは深めていく話は、実は僕らの心の奥に内在する願望なのだ。そういうお膳立てなど現実には滅多に存在しないから、おそらくいろんな人との再会を繰り返しているはずだのに大半は何事もないようにお互いは行過ぎていってしまっている。そこにあるたくさんのなつかしさ飛ばされていっている。風貌のかわらぬ大人と大人の時間の間ならいざ知らず、子供と大人の間の時間というのはそれほどに遠い。
この時間の隙間に多くのドラマが量産されるのもうなずけるってわけだ。
さて、このドラマ、電車の中でいろいろあった後、ラストがとてもいい。チェハの手から弾き出されるピアノ曲「愛しのクレメンタイン」に、ウニョンがホール外の階段に腰をおろし聴き入っている場面は最高だ。あれを聴いて中に戻っていかないところもいい。ちょっとじれったくなるのだが、そこがいいのだ。ここからそのままカットバックしていくのだが、それも余韻を包んでいていい。その前にイナの記憶にあるチョハの神童ぶりもいい。後のチョハとウニュンの土臭い少年少女時代を浮き彫りにしていく役割を果たしている。