二人で短い時間を過ごした後、シワンは手をつなぎソンランを自宅の前まで送ってきた。
「ここよ」
シワンは手を放し、上階を見上げる。
「何階?」
「5階」
「5階・・・奇数? それとも偶数?」
「素直に聞けば? 501号室よ」
「誰と住んでるの?」
「一人よ」
「一人で? 怖くない?」
「もう慣れたわ」
「大学時代は弟と一緒に住んでただろ。ご両親はまだ大邱(テグ)に?」
「そんなの覚えてるの?」
「覚えてるさ。俺の初恋なんだから」
ソンランは少しはにかんだ。
「大学一年でやっと初恋? 私は高校の時だったけど」
「そうだな」シワンは笑った。「それも声をかけられない初恋。それにしても何年ぶりの告白だ? 12年ぶりか」
「ああ・・・今日のは告白なの?」
「気付かなかった?」
ソンランは首を振った。
「分からなかったわ。12年前の初恋、ありがとう」
「詞が違うよ」
「んっ?」
「助詞が違うって。12年前じゃなくて、12年前からずっとさ」
「…」
「今もお前が好きなんだ」
ソンランは戸惑いを浮かべた。
「もちろん、知ってただろうけど」
「…」
「行けば―疲れただろう」
「そうね。行くわ」
ソンランは建物の中に入った。エレベーターに乗り込み5階のボタンを押した。
ドアが閉まった後、物思いに沈んだ。
話さねばならないのは住んでいる部屋のことではない・・・それをどうしようか、と。
ソンランを見送った後、シワンは空を見上げながら浮き浮きした気分で家に向かった。
家に着いてから、自宅の合鍵も持たずに家を飛び出したことに気付いた。
テワンに電話はつながらず、玄関の鍵を開けに出てきたのはクムスンだった。
門を開けてもらったシワンはクムスンの表情がいつになく暗いのに気付いた。
「何かあったの?」
「いいえ。何もないですけど、少し腹が立って・・・」
「何に腹を立ててるの?」
「お義母さんに従うことにしたんです。しばらくは就職を諦め、子供を育てようと」
「…」
「私の座右の銘は”絶対に諦めない”なんです。でも、簡単に諦めた気がして自分が情けないんです」
「なぜ、諦めたの?」
「フィソンを預ける場所がないんです」
「そうか」シワンはクムスンを見た。「前から話そうと思ってたけど、フィソンを保育園に預けるのは、どう? 職場の同僚もそうしてるよ。費用は俺が出すから」
クムスンは首をかしげた。
「フィソンはまだ幼いし、お義母さんにももう話したことなんです。お話だけでも嬉しいです。お兄さんには世話のかけっぱなしで、今回も頼ったら申し訳ないです」
二人は目を合わせた。
少し迷った末にシワンは切り出した。
「もう話してもいいと思うんだ。ジョンワンが――大田に発つ前、俺に言った言葉を知ってる?」
「…」
「”クムスンさんを頼む”って。俺は答えた。”心配するな”と。俺をそんな約束も守れない兄貴にするの?」
「…」
「だから、困った時はいつでも気楽に相談するんだよ。遠慮なんかされたら兄貴としてさみしいよ」
クムスンは照れくささと嬉しさの混じった笑みを浮かべた。
「でも今の言葉はよかった。”絶対に諦めない”。見習わなきゃ」
二人は笑いながら頷きあった。
ジョンシムは朝早く起きて考え込んでいる。
ピルトが寝床に戻ってくる。
「もう起きたのか? 俺が起こしたのか?」
「違うわ」
ジョンシムはため息をつく。
「どうしたんだ?」
「結局はこうなると思ったわ」
「何が?」
「結局、こうなると思ったのよ。寝てください」
ジョンシムは寝床を脱け出た。
クムスンも目が覚めたばかりである。
そこにジョンシムがドアを開けた。
「お義母さん、お目覚めですか?」
「フィソンは?」
「起こすところです」
フィソンを起こそうとしたら声がかかる。
「起こさないでいいわ」
振り返る。
「仕事に行きなさい。私が面倒見るから」
「お義母さん」
「美容室も探してみて、採用されたら働くようにしなさい」
リビングに飛び出してきたクムスンは感激のあまりジョンシムに抱きついた。
「お義母さん、ありがとうございます」
ジョンシムはクムスンを突き放す。
「感謝の言葉は美容室に受かってからよ」
二人のやりとりをピルトは部屋からうかがっていた。
弟のテワンがお金を貸してくれというのをシワンは説教して断った。モデルになるという大言壮語は、現実肌のシワンには妄想のように感じられるらしい。
ウンジュはク・ジェヒに差し入れするお弁当を義母のヨンオクに作ってもらった。
ヨンオクも二人の交際には好感を覚えていた。女は好きな相手と結ばれるのがいいと感じているからだ。
芝生の上で食事するのだという。
「でも、まだ寒いでしょう?」
「うん。でも仕方ないのよ。院外には出ないし、病院食堂は危険よ。パパがいるかもしれないから」
「日向を探して座るのよ。女の子に冷えは厳禁だからね」
「わかったわ」
ウンジュはシートを広げて、ク・ジェヒがやってくるのを待った。
「来るなって言ったろ、まだ外は寒いし」
「暖かいコーヒーもある」
コーヒーとホットドッグが出てくる。
「どう? 美味しい?」
「まずまずだな」
コーヒーを飲む。
「コーヒーは薄いな。ほら、お前も早くたべろ。こっちも忙しいから、早く行かなきゃならない」
「忙しいふりばっかり」
ウンジュは不機嫌だ。
「うぬぼれちゃって!」
ジェヒは食べ物を喉に詰まらせそうになる。
「誰だって生きるために忙しいのよ。何様のつもりよ」
「お前は酔っ払いか」
「私を怒らせるからよ」
食べ物でほっぺをふくらませ、ジェヒは横を見る。
「私が無理を言って、会ってくれてるのは分かるわ。だけど、私を惨めにさせないで」
「惨めなのか? だから来るなと言ったんだ」
「だから来るなですって?」
ジェヒは愛想笑いになった。
「今のは失言だ。取り消すよ。取り消す」
ジェヒは白衣のポケットからハート型のプレゼントを取り出した。
「何?」
「報告書の件で怒っていたら、小児ガンの七歳の子がこれを出しながら――”先生、怒ったら先生も頭が痛いよ。怒らないで”」
ウンジュは思わず顔をほころばせた。
「怒るなよ。俺が悪かった」
ジェヒは続けた。
「本当に忙しくて余裕がなかったんだ」
ウンジュはハート型のプレゼントをむしり取った。
「次は許さないわよ」
「はい」
この時、ジェヒの携帯が鳴った。
チャン・キジョンからだった。
ウンジュは父親に文句のメールを送った。
これを見てチャン・キジョンの表情は険しくなった。
少しの自由を得て、クムスンは息抜きで祖母のところに顔を出した。ジョムスンは姑の悪口を並べた。クムスンは姑をかばう。
「お義母さんは身体が弱いから」
祖母の前では姑をかばう損な役回りのクムスンだ。
「かばうんじゃないよ。かばえば、もっと姑が嫌いになるんだ。嫁が遊びに行くわけないだろう。間男をするとでも? なのに孫の世話もしないとは」
「間男って何?」
「知らなくてもいいことだ」
クムスンのために買った携帯がダブってしまったのでジョンシムはそれを返しにやってきた。
しかし、携帯を販売した店では払い戻しがきかないという。
販売員は他の製品との交換を提案してきた。
ジョンシムはやむなくそうすることにし、テワンに電話を入れた。
「母さん? そうさ、俺の携帯なんて今じゃ滅多に見られないシロモノさ― えっ? わかった。母さん、愛してる。今すぐ行くから待ってて」
行動に移ろうとしたら、ジョンシムがせわしく呼びかける。
「テワン、ちゃんとフィソンも連れてくるのよ」
「わかったよ」
テワンはフィソンを抱いてジョンシムの待つ店に向かった。
「フィソン、何て重いんだ。クムスンはこの子を抱いて青汁の配っていたというのか?」
そんなテワンをスンジャとクマの母子が見かけた。
「かあさん、あれはフィソンじゃない?」
「ああ、そうだ。フィソンだ。フィソンを抱いてるあの人は誰かな?」
ヨンオクは福祉館に顔を出していた。彼女は仕事が忙しいのを見て館長に言った。
「来たついでです。今日は手伝って帰ります」
クムスンは履歴書を出した美容室に顔を出した。面接の結果について訊ねるためだった。
店のスタッフに院長への面会を求めたら外出中だと断られた。しかし、折衝を続けていると奥から院長がスタッフを伴って出てきた。
クムスンはスタッフの制止を振り切って院長の前に駆け寄った。頭を下げた。
「先日もご挨拶しましたが、スタッフに応募したナ・クムスンです。覚えてますか」
「ダメだといったでしょう」
スタッフが厳しい声で言った。
「どうしたの?」
「院長が忙しいと言っても聞かないんです」
「院長、5分でいいんです、5分」
クムスンを追い出そうとするスタッフをオ・ミジャは制した。
「そういえば覚えてる気もするわ」
「本当ですか?」
「ええ、5分あげるから話してみなさい」
「ここでですか?」
「そうよ、ここで。それともここじゃ話せない?」
「いいえ。今回のスタッフ募集に履歴書を出しました」
「それで?」
「落ちたんです。その理由が知りたくて。ここで本当に働きたいんです。なぜ、落ちたんでしょうか?」
「副院長」オ・ミジャはウンジュを見た。「副院長から話を聞きなさい。人事の最終決定は彼女がするの」
「そうね」ウンジュは呆れ加減の表情になった。「異例のことだけど、募集は2名に対し、履歴書は100名以上・・・だから、いちいち覚えていないの」
ウンジュが説明しているところにク・ジェヒが姿を見せた。
「履歴書を見ないと何とも言えないわ」
「じゃあ、すみませんが・・・履歴書を確認して理由を教えてください」
「履歴書は廃棄したわ」
ウンジュは冷たく言い放つ。
「えっ?」
「廃棄したの。選抜を終えた後、すぐにね」
「…」
「これでいい? いいなら出て行ってくださる」
クムスンはウンジュの強い態度に困惑した。
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