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キム・ヨナ、新コーチピーター・オペガード氏との出会いは?
ロサンゼルスで1人練習をしながらピーター・オペガードコーチを見守っていたが、物静かで選手たちをよく導いてくださる気がしたので(コーチに)決めた。精神的にも助けていただけそうだ。小学校4年生のとき、ピーターコーチにレッスンを受けたことがあったので、初対面ではない。来年3月、世界選手権大会出場を含み、これからの日程は新しいコーチと相談して決める
◆ピーター・オペガード氏
練習に臨む姿勢に深い印象を受けた。リンクの外でもいつも謙虚で皆に笑顔を失わないヨナの姿が印象的だった。ヨナは私にモチベーションになる。ヨナからフィギュアに本当に情熱的だったミシェル・クワンが見える。ペア選手たちをたくさん教えてきたが、ヨナを優先的に指導する。キム・ヨナが五輪の金メダルリストとして大韓民国のアイコンという観点で見たら、どうして私がそんな大役を引き受けることができるか。ただキム・ヨナの肩に置かれた荷物を私の肩に分けてほしいという考えだけだ。
(ニュース記事より)
小学校四年生といえば十年前になる。その時は大勢の中の一人としてレッスンを受けたのであろう。ピーターコーチは覚えてなかっただろうが、キムヨナは覚えていたってわけなのだろう。
彼女のひと言でフィギュアスケートの世界が見えてくる。彼女が教わった人は他にもいろいろといるのかもしれない。この世界は案外狭くて濃密なのかもしれない。
おそらく、彼女はもう厳しい指導をコーチには望んでいないのかもしれない。厳しさは自らが課していくものと決めているに違いない。オペガード氏 に白羽の矢が立ったのは、そういった彼女の意向が反映したものと思われる。
彼女はすでにそれだけのものを克ち得ている。残っているのは彼女の創出したフィギュア世界の完成だけだ。
オペガードコーチの役割はそのサポートに徹することだと思う。そういう環境と流れの中で、彼女が今後3Aを飛びたくなることがないとは言えない。それを決めるのはコーチではなく彼女だということだ。
オーサーコーチとはああいう別れになったが、彼女が彼から得たものは大きかったかもしれない。バンクーバーまでの数年間、彼の指導はベストで推移してきたと思う。
彼の指導は成長期の彼女にはぴたりとはまった。
しかし、バンクーバーを経て事情は変わってきた。彼の成長戦略は彼女には不要となった。役割の終焉である。
「彼女に3Aを飛ばせる」
さらなる前進の指標をかかげた彼に彼女はノーと言った。それだけのことだ。
「これからの日程は世界選手権を含め、オペガードコーチと相談して決める」
と彼女は言った。
何だかすごく前向きな印象を受けるがどうであろう。
オペガードコーチと相談して、出来れば四大陸選手権にも出てくれないかなというのが僕のひそかな希望である。
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