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浅田真央「キム・ヨナ、小さい時は負けたくなかったが…」
日本の「フィギュアの女王」浅田真央がキム・ヨナや自身のライバルなどについて語った。
6日TBS系『「バース・デイ 1時間スペシャル』に出演した浅田真央は、MCの東山紀之にキム・ヨナの存在に関する質問を問われて「15歳の時からライバルで注目された。その時は『負けたくない』と思ったが、20代になってからはキム・ヨナ選手がいたから私も頑張ろうと思った」と話した。
また、浅田は「今はキム・ヨナが滑っていないので残念だと思う。私たちは5歳の時からスケートを始めてスケートとともに成長してきたので、自分ができるところまではできたらいいなと思っていたけれど、みんなそれぞれ道、考え方が違うと思う。一緒に戦ってきた仲間ではあると思うので、また機会があれば…」と口にした。
一番のライバルについて浅田はフィギュアスケート選手として活動していた姉、浅田舞を挙げた。また、浅田は「ライバルは私自身」としながら「舞台には私一人だ。誰も助けてくれない。どれほど集中して整えた演技するかの問題だと考える」と説明した。
浅田真央は「2010バンクーバー冬季オリンピック(五輪)」銀メダル、世界選手権3回優勝(2008年、2010年、2014年)を占め、2017年4月に引退した。キム・ヨナは「2010バンクーバー冬季五輪」金メダル、「2014ソチ冬季五輪」銀メダル、世界選手権優勝2回(2009年、2013年)を記録した後、2014年に引退した。現在は「2018平昌(ピョンチャン)冬季五輪」の広報大使として活動中だ。
一方、文在寅(ムン・ジェイン)大統領は11月、公明党の山口代表に面会した席で「過去キム・ヨナ選手と浅田真央選手が善意の競争を繰り広げて世界トップの選手に発展したように、平昌五輪が両国の優秀な次世代選手たちが参加して共に成長できる舞台になってほしい」と述べたことがある。(エンタメニュースより)
TBS系『「バース・デイ 1時間スペシャル』は友人と酒を酌み交わしながら自分も見た。友人がチャンネルを切り替えている時、たまたま浅田真央と東山紀之のツーショット映像が出てきた。友人にそのチャンネルをリクエストして見たわけだった。
自宅ではふだんテレビを見ない。だが、時々、フィギュアスケートをテレビで見る。番組表を調べてそのためだけにテレビをつけたりする。だが、注目選手が登場し始めていても、二人くらいの演技を見ただけで見る気力も失せ、テレビを消してしまう場合が多い。気持ちが湧き立たないからである。
年を取るにつれ、テレビドラマや映画を最初の一話、十数分で先を見限ってしまうケースが増えてきた。それと似ている。
つらつら思うに浅田真央、キムヨナ両選手の高レベルな戦いの残像が強烈だったからだろう。両選手のすばらしい演技を脳内に残しながら、新人選手の演技を見ているのは張り合いがなかった。衰えていても二人の演技を最後には見たいと思ったものだ。どうしてだったのだろうか…?
フィギュアスケートに魅せられたのはトリノオリンピックが最初だった。そこで荒川選手(静香)が金メダルに輝いた。この快挙に日本中が沸いた。しかしそれだけだったなら日本に今ほどのフィギュアスケート人気は訪れなかっただろう。
時のヒロイン荒川静香と入れ替わりで二人のヒロインが出番を待って後に控えていたのだ。いわずと知れた浅田真央とキムヨナ両選手である。
二人はまだ十五歳。その時はオリンピックには出られず、ジュニアグランプリで覇を競っていた。しかし、たった1年で世界トップの選手にのし上がってくるのだ。その勢いはすさまじく、トリノ組のベテラン選手は次々脱落していくほどだった。
話を戻すと日本のフィギュアスケート界は年々レベルを上げてきていた。トリノオリンピック出場の荒川静香と村主章枝の両選手は大きな大会で優勝や入賞を繰り返し、トリノで金メダルが期待されるほどになっていた。これをホップとするなら荒川選手の金メダルがステップだ。そしてジャンプは浅田真央、キムヨナ両選手の登場ということになろうか。
二人の登場によって夏はオフになるフィギュアスケート熱は一年中続くことになった。しかも夏を越えた次のシーズンから女子のフィギュアスケート界は二人の活躍を中心に動きだすのである。
つまり、欧米中心だったヒロインのステージは一気にアジアに移ってきてしまったわけだった。
ここではいちいちを取り上げないが、二人は数々の名勝負を残した。
ひとつを取り上げるとするならバンクーバーオリンピックだろうか。
浅田真央さんは引退を発表してからもフィギュアスケートの練習は続けて(いつも1時間ほど)いるらしい。東山紀之がスケート場にやってきて浅田さんの練習を眺めていた。
「実際に浅田選手が滑るのをこうして生で見るのは初めてですけど、やっぱり迫力がありますね…滑る音が聞こえてきたりして」
浅田さんは選手時代にくらべ顔立ちも身体もふっくらしていた。話も選手時代のとつとつした感じはなく、何でも気楽に話せるようになっていた。お姉さんとも20歳くらいまではうまくいってなかった、とさらりと口にした。
ライバルとされたキムヨナ選手についても、
「15歳の時からライバルで注目された。その時は『負けたくない』きもちが強かったけど、20代になってからはキム・ヨナ選手がいたから私ももっと頑張ろうって」
素直に吐露した。
自身の今後については後進の選手を指導していきたい思いを述べながら、キムヨナさんがフィギュアスケートの現場を離れてしまっている現状に対しては残念、というような気持ちを滲ませていた。
浅田さんは選手の指導においてもキムヨナさんと競っていきたい思いがあるようだ。
二人の氷上演技を熱心に見守ったひとりとして、二人の弟子対決が見られるならフィギュアスケート観戦にまたまた力が入ってきそうな気はする。
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