日日不穏日記gooブログ版

指南役の虚像と実像

 早朝に起きて日記を更新していたら眠れなくなり、『がんばるぞ!北朝鮮』を読みふけっているうちにそのまま朝に。楽天から9月にこれまでショッピングした獲得ポイントが無効になるとのメール。たかだか50円相当のポイントだが、貧乏性なので思わずこれまで買おうか迷っていた浜田省吾のDVD、ROAD OUT“MOVIE”を即注文。またやっちまった衝動買いだ。【<訃報>四元義隆さん96歳=元三幸建設工業社長】歴代首相の影の指南役と呼ばれた謎の老人とあるが、この名前を知ってる人は【噂の真相】の熱心な読者か、右翼人脈に興味のある物好きくらいだろう。田原総一郎氏のインタヴュー【戦後五十年の生き証人」が語る】を読むと歴代の総理大臣といかに自分が親しく、政治の節目で助言をしてきたかを語っていて面白い。指南役といっても政治家と交流があって折々に相談に乗っている程度のものではないかと思う。それを謎めいた存在のように仄めかすことで“虚像”が拡大していったに違いない。社長を譲り受けた相手は獄中で知り合った戦後、黒幕とかフィクサー、戦後右翼の大物と言われた怪人物:田中清玄氏という事実も興味深いし(その辺の経緯は『田中清玄自伝』P.193)、「影の指南役」として四元氏より遥かに著名な安岡正篤氏の下で学んだと言うから、この三人の「指南役」が皆、歴史の不思議な縁で結ばれているのだな、と思う。さてこの安岡氏、昭和天皇の「終戦の詔勅」を起草したとか、平成の年号の考案者といわれていて今でも多くの本が大型書店に並んでいるほど一部では人気が高い。その最晩年、恍惚の人となった安岡氏が四十歳も年下の有名人だが正体不明の女占術家に入れあげる「老いらくの恋」に落ち、入籍する。まもなく安岡氏は85歳で死去。安岡氏側にとっては“汚点”だったと見え、当時週刊誌にも取り上げられたこのゴシップには今では無視を決め込み、女占術家は対照的に安岡氏との交流を自分の箔付けにするためか積極的に紹介しているように見える。その占術家こそ、最近TVでタレント相手に占いで毒舌を吐きまくり、自分のゴージャスぶりのPRに余念がない細木数子女史である。そんな思い付きに本当に改名しちゃったのが【おさるが「モンキッキ」に改名】という記事。ま、話題性に乗ろうって気もあってやったんだろう。しかし、もうちょっとマシな名前なかったか?

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