晴彦日記

双極性障害1型と1型糖尿病(インスリン注射必要)と闘いながら、少しでも幸せになれるように頑張っています。

躁鬱病の半生

2012年05月04日 10時23分42秒 | 双極性障害

 

私が躁鬱病を自覚したのは大学院1年生の時でした。
 
私が仕事にやる気が出たのは本社事業部の時です。研究所からたった2年で異動となり、もう研究職の道は閉ざされたかと落胆し、転職も考えていました。
 
けれども事業部の仕事は面白かったです。商品の名前決めや、コマーシャル作りなども行いました。
 
事業部は大学の文系出身の販売部門と理系出身の研究開発部門から構成されていて、販売部門の人達は面白い人達が集まっていました。
 
主な仕事は商品開発研究部門との新商品に関する議論でした。入社3年目の私が40歳位のグループリーダーと1対1で、話し、その方向性は違うのではなどと言っていました。
 
仕事が面白くなり、天下をとったような気がしていました。しかしながら、躁鬱病は悪化し、精神科の門を叩きました。抗鬱剤により、躁転しました。躁鬱病を発病してから、4年半、経過した時です。
 
絶対に行きたくなかった栃木の研究所に異動となりました。そして9年間、仕事にやる気のないまま、上司の言われるままに過ごしてきました。これが14年間の寛解期でした。
 
その後、ある研究テーマに疑問を抱き、文献を読みあさりました。このことがきっかけとなり、仕事にやる気を出し、生化学の分厚い参考書を自宅でも勉強していました。この頃から躁状態が始まっていたようです。
 
仕事では最高ランクの6の評価をもらい、学会でも2度、発表しました。現在、論文を執筆中です。
 
その頃、横浜の実感近くにあったメンタルクリニックが廃業になってしまいました。
 
新しい病院を宇都宮近くで、探さなければならなくなり、自宅からの近さ、営業時間のみで選んでしまいました。
 
躁鬱病の寛解期が長く、躁鬱病をなめていました。鬱状態にでもないのに、抗鬱薬であるトレドミンを投与され、2度目の躁転となりました。
 
その後、私が双極性障害1型にもかかわらず、鬱状態の時に抗鬱剤を投与され続けました。
 
会社の産業医に従い、現在の心療内科に転院し、4年間、様々な薬を服用してきました。
 
躁状態になると、やる気満々になり、仕事に打ち込み、鬱状態にになったら、会社を休む日々が続いていました。
 
昨年5月に、テグレトールを試した所、2ケ月間に及ぶ傷病休暇を取らざるを得なくなり、9月に訪れた鬱状態で休職扱いとなりました。
 
そして現在に至っています。8ケ月にわたる休職期間は、私の微生物研究の意欲を削ぎました。
 
ちまちました研究よりも経営戦略のような仕事につきたいと思うようになってきました。
 
もちろん異動はかなわないと思うけれども、仕事は片手間に済まし、業務の間に、図書室で日経ビジネスやハーバード・ビジネスレビューなどを読み、経営戦略について勉強することにより、仕事へのやる気を削ぐことにしたいと思っています。
 
復職への猶予期間はあとまだ2年4ケ月残されているので、さ来年の1月に勝負をかけたいと考えています。
 
1月にリハビリ出勤を始め、4月から、復職です。復職ですできれば、傷病休暇を用い、休職はなんとか避けていきたいと思っています。
 

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