日本古来からの真正月元旦は立春の日です。節分の言い伝えに豆まきがあります。
現代は災いをもたらすのもを鬼に見立てて
その鬼が逃げる後ろから入り豆をぶっつけ、
不幸災いを追い出すと言う意味があります。
この風習はどのような背景でいつの頃から、行われて来たのでしょうか?
それは出雲の国譲りよりもずっとずっと以前の
天の岩戸閉じの出来事に由来します。
大神様は人類を誕生させ森羅万象鉱物を用意されて
この地上に物質をもって科学の発達した天国文明を
お創りすると言う計画がありました。
最初は神の想念そのままの真善美の世界で、
和を持って、争いのない世界が長く続きましたが、
物質開発は進展しませんでした。
何故なら美しい音楽、芳しく匂う綺麗な花に囲まれ、
食べ物は豊富にあり、自己所有という概念もなく
欲心を全く持つ事なく平和そのもの世界だったからです。
神霊界の正善一筋が投影された現界は
「合わせ鏡の理によって真一筋でした。
平和なことは良いことでありましたが、
このままではいつまで経っても科学の進展は望めず、
人を創られた意味が半減してしまうと覚られた神様は、
人に欲心を与えることにいたしました。
欲心を司る副神の神々を表舞台に出して、
正善一筋の正神の神々様を一時的に神霊界の統治の座から
引退させる事にしたのです。
これは人類進化のための神様のご計画ですから
正神はご引退にあたって無条件で退位されています。
御経綸上いずれまた表に立たれる時が来る事になっています。「
その時期はいつか?」と尋ねたところ副神の神々は
「炒り豆の咲く頃になるだろう」という表現をされました。
この様に正神系統の神々様の御引退を節として神霊界の政権が変革、それを後世になって節分と言ったのです。
正善一筋に厳しい正神系統の神々のご引退が決まった事で
副神系統の神々様は大喜び、酒盛りし、
正神の神々が残した龍体を切り刻みその臓腑まで煮て食べて祝ったのです。
更に、イワシの目に柊を刺して門前に飾る風習も残っています。
この時ご引退された大神様は東北の方角に神幽られたので
「艮(うしとら)の金神」と称名申し上げています。
この方角を貴門と申し上げていましたが、
後世になって神封じの意味から鬼門と呼ばせ、
怖いものと信じ込ませて来ました。
今でも節分に炒り豆を撒いて「福は内、鬼は外」と言って
正神の神々様を追い出す呪術を続けています。
(私達は長きに亘って悪魔、邪神邪霊の跋扈する世界に生きて、真実は隠蔽改竄されて来ました。以上の内容は戦後の焚書された中に存在していた可能性があります。特に日本はその霊性上邪神邪霊の標的になって来ましたが
この歴史の狭間において真実が暴かれて来ています)
人間に権勢欲、支配欲、所有欲、物欲、愛欲といった欲心を与えた事で神様と対話できない人間が増えていきました。個人個人の争いは集団の争いとなり、戦争となり、より有効な武器への開発に拍車がかかりました。
18世紀イギリスで起った産業革命によって、
人類が物質開発を飛躍的に発展させ大量生産大量消費の時代へ転換し、
進歩と称して自然の征服に乗り出していきました。
産業革命の延長の現在は人間の頭脳、
脳神経の生理機能を人工脳に置き換えるに至ってしまったのです。
技術を駆使して物質開発を競うことが最高の生き甲斐となり、
至上命令とさえなって、
欲心の赴くまま物質資源を掘り出し巨大都市を建設、
戦争を繰り返し国と国、民族と民族の間に取り返しのつかない
怨念エネルギーを発生させていきました。
怨念エネルギーが地上に横溢し、
私たちの精神と肉体を苦しめ不幸現象を起こしています。
我欲が主体となった結果、神の存在も御経綸も、
神の子の本質さえも忘れて遂には神の存在、
霊の存在までも否定する様になってしまいました。
大地は毒化、天空地の亘って毒気の悪循環が起こり
人間自ら墓穴を掘って自滅するところまで追い込まれてしまいました。
天意の大転換にあたって正神の神々様が表舞台に立たれ、
神界の政治を司る時代に入っていいます。
神様へのご無礼をお詫びすると共に、これまで犯して来た罪を償う
「変革の時」を迎えた事を知る必要があります。
邪神に支配された物質至上主義者は神への憎悪を深め、
地球と人類を破滅に向かわせています。
私達は、物質至上主義者の世界平定、
且つ環境破壊者に全権を委譲すべきではないのです。
西洋歴新年を迎えました昨日、能登半島大地震が起きました。
「治にいて乱を忘れず」
現在は隠れた第三次世界大戦と言われており、
邪神邪霊の最後の足掻きが厳しくなって、
いつ何時どこで何があってもおかしくないのです。
災害に遭わない、
遭っても小難で済ませて頂けるように
霊層を高めておく必要があります。
それは正神真神宇宙の愛、利他愛に波調を合わせ、
次期天国文明創造の担い手になれる己へと、
霊性の覚醒させ自己革命を起こす事にあります。
神の子人の霊性に目覚め、与えられた環境の中で、
社会愛、地域愛、家族愛、
利他愛に己を捨ててまでも向かう
その決意を神様がお取り上げくださり、手を差し伸べてくださいます。
神様の御意に合う人を神は愛でられるのです。
2025 1/1