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父と南京 一憂国者の紙つぶてさんから転載

2014-09-11 13:42:57 | 

父と南京

テーマ:ブログ

 現在、幸福実現党は中国政府による「南京大虐殺」「従軍慰安婦」のユネスコ記憶遺産への登録申請に抗議し、日本政府に万全の措置を求める署名を全国で行っております。ありがたいことに、特にご年配の方々から格段のご理解を賜り署名に協力頂いております。
 
 私も微力ながらこの活動を行っておりますが、ふと父の事を思い出しました。父はとっくに鬼籍でございますが、戦時中、南京に従軍していた事を思い出しました。

 私が子供のころ、父から「南方に行った人々には申し訳ないが、自分は南京に衛生兵として従軍したので、銃も訓練で撃ったのみで、実践体験はなく、南京の統治が非常に優れていたので、まったく危険な目にあったことがない」としばしば話していたことを思い出したのです。

 そして、父が当時の南京の写真を多数撮影していた事も思いだし、いかに当時の南京の統治が安定していたかの証拠にもなると思いまして、少しアップしたいと思います。
 
 南京攻略戦参加部隊に、第三師団先遣隊として岐阜の歩兵第68連隊が参加しました。その流れで、父は、昭和15年3月20日から昭和19年7月10日まで南京第一陸軍病院に勤務いたしました。
 昭和12年12月13日の日本軍による南京占領から、2年3か月後に南京に入ったわけです。
 写真は、父本人が写っているもの以外は全て父の撮影です。
当時の南京の風景、そして南京に暮らす人々です。

 これは、開城後、2年を過ぎているからこのような平和な風景なのだと仰る方もいるかもしれませんが、多数の証言から、開城当時から現地の人々は商売もはじめ、子供達の笑顔があったといいます。ゆえに、これらの風景は、開城時と変わらぬ風景だったと思います。

 私たちの歴史認識に関する活動は、日本だから正しいと言っているのではありません。何が正しいか?という観点から、正しき歴史認識の探求をしております。結果的に、それが日本の誇りを取戻すことに繋がると考えます。仏神から見て、何が正しいのか、正しい歴史認識とは何なのかという観点です。

 そういった文脈で英霊に対する間違った汚名を晴らすことになる、供養にもなると考えておりましたが、私の父に対する供養にもなるのだと改めて気づき、驚くと共に、因縁を感じる次第です。


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平和な運動会の風景

孫文が祀られる中山陵

石象 現在は、石象路として整備されているようだ。

街を歩く人々

玄武湖は、父のお気に入りだったようで多数の玄武湖の写真がある。

父と戦友たち

父22歳 下関という地名は、南京駅のある周辺の地名

この古老の眼には真実が写っているはずだ。何を見たのだろうか。

松井岩根大将が入場した中山門

地元の結婚式 当時人口25万人程度といわれた南京で、日本軍による30万人もの大虐殺が行われていたら、このカップルの姿もなかったはず。

現地の子供達

地元の娘さん 当時人口25万人程度といわれた南京で、日本軍による30万人もの大虐殺が行われていたら、この娘さん達の姿もなかったはず。 


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