土佐のくじらさんのエントリー「戦前日本には負けた責任がある」の記事に、深く敬意を表します。
『侵略目的で負けたのであれば、兵を引き上げ、交渉すれば良いのです。
しかし防衛戦争での負けは、国家を破滅させることになります。
ですから国防においては、絶対に負けてはいけません。
ですから過去の日本には、負けた責任があるのです。』
と書かれましたが、日本が、日米戦以外、負けなしで来たのは、負けてはいけない「戦さ」しかしてこなかった…からかも知れません。
“負けられない戦い”に負けた責任は、当時の元帥「東條英機」が一身に引き受け、あの世に持ち帰り、今も尚、その“責め”を負いつづけておられると聞いています。(参照「東條英機の霊言」)
天皇陛下もマッカーサーに、自分の命と引き替えに占領下の国民の安寧を願い出られました。「天皇」が命乞いをするとばかり思っていたマッカーサーが、その国民を思う無私の姿に感銘を受け、以後の「日本国天皇」の扱いに大きな影響を及ぼしたことは、歴史的事実でしょう。
多くの国民を巻き添えにした第二次世界大戦と日米決戦でしたが、為政者も「お国」の為に一丸と成って命を捧げる「無私の覚悟」があったからこそ、「聖戦」と自負することができたはずです。
日本の歴史家が研究すべきは、「何処で、“間違え”たか?」「“日本ならではの負けない戦い”だったはずが、いつから、図に乗り、現実を見誤り、“勝ち”を焦って、有利に和平に持ち込めるチャンスを見失ったか?」であり、その歴史的解明こそ、歴史学者が研究すべき第一のテーマではないかと思われますが、歴史学者が戦後のたった数十年の占領教育に洗脳されているような情けない現状で、まともな学者の貴重な研究が、日の目を見ず、埋もれたままになっているのではないかと危惧されます。
日本の戦争史をタブーとせず、失敗から学ぶ知慧の宝庫として活用すべきことは、「国」としてアタリマエのことですが、日本はヘタに(占領国にとって)“良い子”となって、戦後“お上”となった「憲法9条主義」にどうしても逆らえず、タブーばかりが拡がってしまったようです。
「今後起こりうる戦争に“今度こそ負けない”為の日本の戦前・戦中・戦後の研究」などもってのほか!と思う歴史家が教室で学生にもっともらしい顔をして教えるなら、日本は確実に「滅びに至る道」にいるというしかありません。
「戦さ」には負けたものの、「列強の侵略からのアジア諸国の独立」と「人種差別の撤廃」という日本が掲げた「大義」は実現し、主要都市が焦土と化した日本も、かろうじて領土を分断されずに今に至り(いくつかの島は取られましたが)、占領国からの独立も(完全とは云えないまでも)果たした戦後に生きる我々は、前代未聞の戦禍に見舞われながらも生き延び、未だに「日本国」が滅びずにあることを、誇りこそすれ、恥ずかしく思うことは何もないはず。
それを何か恥ずべきことをした民族であるかのように、特定アジア諸国に謝罪を繰り返す今の日本の為政者こそ、命を捧げて戦った「英霊」とその方達のお陰で今在ることに深い敬意の念を持って今を生きる私達「日本国民」に、深く謝罪して頂きたい!と強く思います。
でも、ご自由に。
画像を捜してきて貼るのに、慣れていないので、しばらくは画像無しになるかもしれません。
英さんと同じく、気づいた時に、適当な画像を貼って頂けたらたすかりますが…。
イロイロ面倒をかけてスミマセン!
ボチボチ、慣れていきたいと思いますので、「しばしご容赦!」デス。
http://megamiyama.iza.ne.jp/blog/entry/3213565/allcmt/#C2969300
コメントする阿呆さん、こちらか土佐のくじら本館(笑)に来てくださらないかなぁ。
私はイザに、コメントできないので、お話したくてもできないので、とても残念です。
よそのgooブログからでも、持ってもこれます・・
よそのは、だめなものもあるみたい。。消えちゃいます。
土佐のくじらさん(´・ω・`)コメント、持って行って頂いたら?
反応があると良いデスが、イチャモンが云いたいだけの人かもね。(サヨクによくある、人を馬鹿にして勝ち誇るタイプ…身近にもいますが)