今日の記事はとても大切なことを書いています。
日本は、戦争をしていたのです。
無辜の市民の大量殺戮を行う原爆は、すでに戦争ではなく「場外乱闘」です。
このことは、はっきりと認識しておかなければならないことです。
「而(しか)も尚(なお)交戦を継続せむか。
終(つい)に我が民族の滅亡を招来(しょうらい)するのみならず、
延(ひいて)人類の文明をも破却(はきゃく)すべし。
斯(かく)の如(ごと)くは、
朕何を以(もって)か億兆の赤子(せきし)を保(ほ)し、
皇祖皇宗(こうそこうそう)の神霊(しんれい)に謝(しゃ)せむや」
お言葉を要約すれば、それは、
「原爆の撃ち合いになってしまったということは、
最早<ルールある戦争>ではなく、ただの<場外乱闘>である。
この上なお、<場外乱闘>を継続するのか。
それは単に民族の存亡の問題ではなく、
人類存亡の問題にまでなるのではないか。
そのようなことになったら、朕は何を持って
皇祖皇宗のご神霊に謝ったら良いのか」ということです。
日本は、戦争をしていたのです。
無辜の市民の大量殺戮を行う原爆は、すでに戦争ではなく「場外乱闘」です。
実は、この年の1月、陸軍は原爆の完成を陛下に奏上しています。
それは原爆(当時は新型爆弾と言いました)を敵国(米国)に投下することによって、新たな戦況を開くというものでした。
3月には沖縄戦が起こっていますが、沖縄市民を島から本土、あるいは沖縄本島の北部に疎開させ、敵を本島の南部にひきつけて、敵艦隊のど真ん中に原爆を落とせば、瞬時にして米艦隊を全滅させることができます。
また、米本土(ハワイという説もあり)に、原爆を投下することによって、米国民に動揺を走らせ、一気に戦況を打開して、和平に持ち込むというのが、当時の大本営の作戦計画でした。
そんなことを言っても、日本はB-29の空爆の猛威にさらされていたではないかと言われそうですが、なるほど3月以降、B-29がさかんに飛来し、焼夷弾を投下して我が国の都市部を焼き払いました。
B-29は上空1万メートルで飛来するので、日本のプロペラ型の戦闘機は、どう頑張っても高度8千メートル、歯が立たちませんでした。
だからB-29は「超空の要塞」などと呼称されました。
ところが日本は8月には、ジェット戦闘機がすでに試験飛行段階に入っていました。
B-29は、その後に行なわれた朝鮮戦争において、北朝鮮がソ連製のミグというジェット戦闘機を導入したことで、「超空の要塞」から、空の馬鹿でかい「ただの的(まと)」になり、全機、引退しています。
つまり早ければ8月下旬、遅くとも9月中旬には、B-29は「ただの的」になっていたのです。
ジェット戦闘機を飛ばす航空燃料も、その分は備蓄していました。
新開発の松脂ガソリンも、すでに実用段階に入っていました。
つまり、日本は戦争に勝てたかもしれないのです。
だから大本営は、戦争の継続を奏上したのです。
しかし昭和天皇は、敵の新型爆弾(原爆)の使用が確認されると、すぐに終戦に向けて動かれ、2度めの原爆が長崎に落とされた9日には、終戦の詔勅の準備に入られています。
本来、陛下は軍事行動や戦争継続の是非について口を出すお立場ではありません。
政治も軍事も、すべては旗下の政府および大本営が責任をもって遂行すべきことであって、陛下がご命令を出されるということは、我が国の制度上、あってはならないことです。
従って御聖断というのは、政府も軍も意見が対立し、どうにも身動きがつかなくなったとき、つまり万やむを得ざるときにのみ、行われるものです。
終戦の詔勅は、14日付けになっています。
そして15日は、玉音放送として、全国民に向けてお言葉が発せられました。
日本は、十分に戦えるだけの余力を持ちながら、さらに勝てる可能性を持ちながら、陛下は終戦を御聖断されたのです。
何のためか。
それは戦争がすでに「場外乱闘」に至っていたからです。
それは我が国の行うべきものではありません。
十分に戦える余地がありながら、ということについては、ベトナム戦争で、ベトナムがまさに本土決戦を続けることで最後には米国に勝利をしていること、あるいは上に述べたように、B-29は、ジェット戦闘機によって、ただの的にしかならなくなること等のことを言います。
沖縄戦でさえ、米軍はさんざん苦戦を強いられたのです。
これが日本本土決戦となれば、米軍の死傷者数はおそらく百万を下ることはなかったことでしょう。
しかも、双方が原爆を撃ち合うのです。
もしそうなったら、その後の世界はどのようになったでしょうか。
B-29が、ジェット戦闘機によってただの的になるということは、その後に行なわれた朝鮮戦争が見事に証明しています。
北朝鮮が導入したソ連製のミグ戦闘機によって、B-29は、まるで熟した柿の実を落とすように、空中で次々とはたき落とされました。
結果米国は、B-29そのものの就役を完全に放棄しています。
軍事技術の進歩は、彼我の力関係を根本的に変え、あの猛威を奮ったB-29でさえ、ただの紙にしてしまうのです。
今日は、広島の原爆の日です。
広島の平和記念公園には、
「安らかに眠って下さい
過(あやま)ちは繰返しませぬから」
と刻んだ慰霊碑があります。
この文言については、様々な議論があります。
ただ、私は思うのです。
この碑文に書かれた「過ち」というのは、先の大戦における「場外乱闘」のことを意味していると。
私たち日本人は二度と「場外乱闘」の犠牲になることはないし、また世界からそのような「場外乱闘」を無くしていく。
そのことこそが、昭和天皇の御心であり、終戦の意味であり、平和記念公園の碑文の真意であり、どこまでも平和を愛する民としての日本人の生き方であるのだと思います。
終戦の詔勅の末尾のお言葉です。
「宜(よろし)く
挙国(きょこく)一家(いっか)子孫相伝(あいつた)え、
確(かた)く神州(しんしゅう)の不滅を信じ、
任(にん)重くして道(みち)遠きを念(おも)い、
総力を将来の建設に傾け、
道義を篤(あつ)くし、
志操(しそう)を鞏(かた)くし、
誓(ちか)って国体の精華(せいか)を発揚(はつよう)し、
世界の進運(しんうん)に後(おくれ)ざらむことを期(き)すべし。
爾(なんじ)臣民、其(そ)れ克(よ)く朕が意を体(たい)せよ」
はっきりと申し上げます。
戦争が、無辜の民を虐殺するような場外乱闘に至るのなら、我々はたとえその戦(いくさ)を放棄してでも名誉ある撤退を選ぶ。
我が国はそういう国だし、それが昭和天皇の大御心だし、日本人として誇りです。
終戦から72年。
私たちは、いまあらためて、昭和天皇の大御心を思い返すべきときに来ています。
お読みいただき、ありがとうございました。
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