リバティが3年前、素晴らしい記事を書いていました。
日本が太平洋戦争に突入するに至った歴史上のターニングポイントを、非常にわかりやすくまとめていますが、それによると、最初で最大のターニングポイントは、やはり!1905年 日本は米国との満鉄共同経営を受け入れるべきだった でした。
その後も、リバティに書かれているとおり、“戦争を回避できた”分岐点が何度もあったにも関わらず、現実にはまるで“そうなる運命”だったかのように戦争に突入してしまった日本。
しかし、運命は開いていくもの。
時の指導者の選択次第では、全く違う道が開かれていたかと思うと、判断を下す者の責任の重さははかり知れません。
近衛文麿首相など、「蒋介石との和平交渉の打ち切りを宣言。逆に、強硬策を打ち出し、日中の全面戦争へ道を開いて…」(リバティ)おきながら、その後「ABCD包囲網」を敷かれて日本が追い詰められた時、「(欧米相手の)戦争には自信がない」と政権を投げ出す始末。
結局、最終判断を下す者の器の大きさで一国の命運が決まっていくのでしょう。
東京裁判でA級戦犯の筆頭とされた東条英機は、近衛内閣退陣後「天皇の意を受けて戦争回避の道を模索する」ための内閣を組織した人でしたが、時既に遅し?彼をもってしても戦争突入を避けることが出来なかっただけでなく、早期に戦争を終わらせることもできませんでした。
誰が和平交渉を打ち切り、誰が戦争の道を開いたか、こうやって歴史を振り返れば明らかになることを、学校では一切教えません。
人間は失敗を積み重ねて、学んでいくことができますが、過去を“水に流して”うやむやにしてきた日本は、何処で何を間違えたのか、未だにわからないまま、今に至っていると云えるのではないでしょうか?
学校では、ただ「日本が戦争したのは間違っていた。」「日本を戦争に導いたのは戦前の軍国主義」 とだけ教えられる今の日本の歴史教育。ソレがアメリカの都合で一方的に押しつけられた自虐史観であることさえ、未だに教育現場では教えることはタブーです。
人間の器は、個人的経験のみならず、民族の経験の集積である歴史によっても形づくられていきますが、戦後の日本の歴史教育には、開戦前後の日本の空気を伝える手がかりが何も与えられず、お仕着せの自虐史観は身に合わず、拠り所にすべき歴史観を何も持たないまま、平和憲法だけを拠り処にして国民は戦後を生き抜いてきました。
しかし、フタをしてきた歴史の真実にさすがに目をむけるべき時が来たようです。
今も尚、日本は戦後体制から抜け出せず、最終判断を下す首相の器の大きさも、祖父にあたる岸元首相にくらべて遙かに見劣りする安倍首相に代わる器が見あたらないのが現状ですが、このまま海外から責(攻)められつづけ、謝り方が足りないとか、理不尽な言いがかりをつけられるのにいい加減日本国民の方が嫌気がさしてきているのも事実。(日本を悪者にしておかねば“持たない”国があることは、さすがのお人好し日本人にもわかっています。)
日本は、今度こそ“過去の失敗”に学ぶことができるのでしょうか?
「(原爆投下という)過ちは二度と繰り返させません」と誓うことは本当に出来ているのでしょうか?
首相1人に責任を負わせようとする国民も又、昔の日本人に比べて器が小さくなっているのは確か。知識人しかり、報道関係者しかり…。(そもそも事実を隠蔽し、戦争をあおった自分達の“失敗”の責任を、戦前の日本帝国主義や軍部になすりつけてGHQにすり寄り、既得権益をほしいままにしてきたマスコミは、自分達の罪を認めないどころか、戦前、戦後を通して真実を隠蔽する体質は首尾一貫しています。自分達の組織を守る為なら国益を損なっても平気なのは、器が小さい何よりの証拠!)
リバティは
『毎年、夏になると、日本中が戦争の「罪」の部分を振り返るムードになるが、同じ振り返るのであれば、「では、もし同じ状況になったら、どういう判断をすべきなのか」を反省することの方がはるかに重要だ。』
『リーダーの決断一つで国が興り、また、滅ぶのである。』
と結んでいます。
戦後、70年リーダーを育てる教育を日本が怠ってきたことが、2度目の滅びを招きかねない情勢になってきてはおりますが、今度こそ、負けないために、過去の失敗の歴史に、急ぎ学ぶ必要があります。
日本人が真の意味で過去の歴史を反省したとき、世界のリーダーとなって“世話役”を引き受けることになるでしょう。(そして、世界は救われる!)
有料記事なので、ここに貼ることはできませんが、是非一度ご購読頂きたい記事です。
http://the-liberty.com/article.php?pageId=1&item_id=4623
2012年9月号記事
太平洋戦争で日本は勝てた
「戦わずして勝つ」編
検証・10のターニングポイント
1945年夏、太平洋戦争で日本はアメリカに敗れた。だが冷静に考えれば、当時の日本はその時々で多くの選択肢を持ち、別の運命を切り拓くこともできた。さらに言えば、「戦わずして勝つ」こともできた。ターニングポイントで、どうすれば日本は勝てたか。国家が自らの意志によって、運命を切り拓く道筋を探った。
(編集部 山下格史、居島有希)
この記事に出てくる日英同盟から第二次大戦までの主な出来事
1902年 日英同盟
1904~05年 日露戦争日本が辛勝
1914~18年 第一次大戦 英仏などが勝ち 独が負ける
1921~22年 ワシントン会議 軍縮を話し合う 四カ国条約で日英同盟の解消が決まる
1937~45年 日中戦争 盧溝橋事件から始まる
1939~45年 第二次大戦 ドイツのポーランド侵攻から始まる
41年に日本の真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まる
独裁者であれば、独裁者としての歴史的な判断が下るかなぁ。
今後の日本も、指導者が先の大戦の歴史的敗北に学ぶだけの智慧があるかどうか?にかかっているのでしょうね。
国民が誰を指導者に選ぶか?にもかかってきますね。