【私見】『革命の心』この夏、政・財・言論・宗教界による倒幕を!
幸福実現党 釈 量子(しゃく りょうこ)党首
一昨日の6月3日に、東京正心館で緊急ご法話が行われました。
私はちょうど代休で、ありがたく参加させていただくことができ、2日ほど記事の投稿をお休みさせていただきました。
開催されたご法話の演題は、『革命の心』。
「2016年は、革命の年になります。」
昨年のエル・カンターレ祭、そして年初のご法話で、大川隆法幸福の科学グループ総裁が述べたことです。
私は今回参加させていただいて思い抱いたことは、「かつて幕末、徳川幕府は遅かれ早かれ瓦解しただろうが、そのとき、薩長らが存在しなかったら、日本はどうなっていただろうか。」という思いでした。
財政が破綻し、欧米列強相手の外交に行き詰まっていた幕府、そして当時の大名各藩も、財政難で青色吐息でした。
薩長明治新政府は、幕府が瓦解する前に倒し、そして次世代の受け皿になったが故に、日本の夜明けは来たのです。
薩長、そして薩長同盟に奔走した坂本龍馬先生なくば、幕府が瓦解したのち、長い混沌と混乱の時代を経験したかも知れません。
そういう事例は世界には山のようにあり、いやむしろ、日本の幕末のような、すんなりとした革命の方が珍しいと思います。
大川隆法幸福の科学グループ総裁
さて私の知る限り、今回のご法話『革命の心』は、今年初めて行われた、信者のみを集めてのご法話のはずです。
つまりここ最近の幸福の科学の講演会は、外部会場を使い、マスメディアを招いてのものでした。
その中には、同じ東京都内で、わずか1000人規模で行われたものもあり、事実上、昨年末以降の大川隆法総裁講演は、マスメディアに対して、体系的な革命思想を伝授していたのではないかと思うのです。
「たかが、数千人規模の講演会で、いったい何ができる」と見くびってはなりません。
講演会はスペースに余裕のある外部会場で、マスメディアを招いて、直接彼らに聞かせているだけでなく、それらは直後に出版化され、同時に新聞広告に載せるのです。
広告に載せるには、新聞各社は内容を吟味する必要があり、当然仕事レベルで緻密に精査して読まなければなりません。
昨年末以降の半年間、マスメディアに聞かせた数々の講演の内容は、一まとめで言うとするならば、体系化された革命思想だったと思います。
いや半年間だけではありません。
2009年以降、幸福の科学はこの活動を、7年以上もやり続けているのです。
新聞広告費は、一回、数千万の費用がかかります。書籍の利益回収を度外視したこの活動は、ひとえにこの国に、正しい政治の規範、価値観を提示したいという願いだけで行われてきたのです。
ともあれやっと私たち信者は、大川隆法総裁の本音を聞けたと思います。
一言でまとめられるような内容ではありませんが、それでもなお、まとめるとするならば、
「信者の皆さん、皆さん方の心の中に、私たち幸福実現党の政策を、自民がやってくれたらいいな・・・という思いがありませんか?」「本当に、それでいいんですか?」という問いかけだったように思えます。
意外や意外、大川隆法総裁の心を知らぬは、ひょっとしたら、我々信者各位なのかも知れません。
なぜならば、私たち信者は、信仰の対象としての大川隆法を見ているからです。
新聞らマスメディアは、とっくに、「この国に必要な存在としての大川隆法」という視点で見ているというのに。
大川隆法総裁は、2009年の幸福実現党立党のときの、マスコミ各位が幸福実現党の名前を出さず、諸派扱いしたことに触れ、
「あれだけ談合のように、全マスコミが同じ対応をとったのは、当時のお上(今と同じ)のからの、強い圧力があったに違いないでしょうね。」「政党要件を持ち出しましたが、あれは政党助成金を受ける対象であって、政党助成金を受け取ることが政党のか否かの機軸ならば、政党助成金を受け取っていない共産党を、マスメディアは報道してはいけないでしょう。」
と述べました。
今はさすがに幸福実現党を諸派扱いにするところはない・・・と信じたいのですが、しかし今、それは形を変えて、次の参院選の戦いの構図を、自民VS民新の構図にもって行こうとする動きを感じます。
「何らかの圧力がある」ということでしょう。
事実、安倍首相はマスコミを読んで食事会をしたという情報もあり、軽減税率でマスコミ言論封じに躍起だとするならば、それは政府による言論統制が始まっていることとなります。日本の自由民主の危機であり、自民はファシスト党であり、ナチズムと変わらなくなってきています。
自由民主という党名は、もう名ばかりなのです。このままだと、自由とか民主という日本語の意味は、数年後には、”国家社会主義”とか、”独裁”という意味に変わるかも知れません。
また、中国の王外相が最近、南シナ海など日本近海領土問題で、中国の立場一辺倒の発言をしたことについて、大川隆法総裁曰く。
「王外相は、創価大学の留学生だったんですよ。公明党も公党だったら、内の留学卒業生だったら、日本を困らせるようなことはするな!くらい、言って欲しいものです。」
まっこと、我が意を得たり!
それくらい言わないと、「何のために中国から大量の留学生を、自教団の大学府に呼んでいるのか」です。中国共産党の橋頭堡と言われても致し方ないですし、そのような、自室的に中国のスパイ要請組織が日本の与党にいることは、とてもとても危険極まりない状況であると言わざるを得ません。
また今回の参議院においては、自民党の幹事長が、大教団天理教を挨拶にいった折、天理教の教主さまより、「幸福の科学大学不認可は如何なものか」と、きつ~くご指摘を受けたとか。
この話、個人的には、超うれしかった。天にも昇る心境でした。
「わかってくれているんだ。」と思ったからです。
幸福の科学は他の教団が繁栄し、そこに所属する信者さんたちが幸福になることも願っています。
ですから幸福の科学には、他教団に属しながら、幸福の科学の会員をやっている方も多いんです。
天理教の教主さまのお言葉、誠の宗教者の”義”を感じました。
数日前には、大本教出口なお教祖の霊言も収録されたようで、これらが今後渾然一体となって、新時代を築いていけたら、宗教紛争に苦しむ世界に光明を投げかけられると信じます。
幸い、本当に多くの方から、支持輪が広がっています。ありがたいことです。
混迷深まる昨今、幸福の革命を起こしたいと思います。
七海ひろこ広報局長&福山まさとし高知・徳島代表(共に幸福実現党)
革命とは、本来、暴力でなされるものではありません。それは、共産主義的価値観です。
革命とは、価値観の変革だと思います。
革命は、起こるときには、一瞬で起こるものです。
そのためには、更なるご支援の拡大が必要です。
幸福実現党を、釈量子を、福山まさとしを、世に出してください!
でないと日本は、もう持たないです。
この麗しき国が、瓦解確実の泥舟政府と共に、沈んでいくの見るのは忍びないのです。
(ばく)
釈党首にも言われちゃいましたね。
「まだまだ動きが遅いんです!」
と
映画にもなったミハエル・エンデの「果てしない物語」では、本を読んでいる男の子が、物語の中のお姫様から「この国(ファンタジエン)はこのままでは”虚無”に飲み込まれてしまう!あなたしかいない!どうか助けて!」と何度もお願いされて「え~!なんでぼくなの!?」と思いながらも美しいお姫様の為に物語の中に飛び込んでいく、いわば「自分の弱い心(エゴ)に打ち勝ち、大切なもののために敵に立ち向かう一人の少年の勇気と成長の物語」なのですが、今の日本で幸福の科学信者一人一人が置かれている立場、期待されている役割とも重なる気がして、最近いつもこのシーンを思い出してしまいます。(さらに言えば、混迷する一方の世界を対岸の火事のように安全な処に居て眺めているだけでは済まなくなった今の日本人が置かれている立場とも似ています!)
まだまだ臆病でもの足りない面も多々ありますが、それでも心ある保守の人々がぶれずに長年訴え続けてきたこと、7年前から幸福実現党が言ってきたことの方が本当だったと、そろそろ認められなきゃオカシイ!ですね。
戦後の長い長い眠りから日本人が目を覚ますか、否か!?
今度の参院選は、日本にとって正真正銘、天下分け目の戦いですから、絶対負けられません!
今頃になって、日々の積み重ね、時間の大切さを思い知らされて居る遅ればせ…のmegamiyamaですが、周回遅れでも、時間配分が下手でも、何が何でも、身近なところから訴えていかねば!と思います。(日々勇気が試され、身内周辺で“負けが込んで”はおりますが、これでも不肖「釈レディ」!引き下がる訳にはイカンです)
総裁はじっと我慢されているのかもしれない。
ヘルメスであってもエーゲ海での戦いは勝利した。
今の時代、私も含めて男の方がウジウジしている。
いざ鎌倉へ!! の号令で源頼朝の旗印に駆け付けた若武者達はどこで居眠りをしているのか?
吉田松陰の教示を知った者は今の世にうつつをぬかして生きているのか?
特攻隊で戦果を挙げた兵士は生まれ変わっていないのか?
お利口な人ばかりなのか。
「ワカラン人はしようがない!」などとあきらめてはおしまい!ですね。
命をかけるというより、魂をかけた永遠の戦いへの参戦を何としても心ある日本人に呼びかけたいと思います。
立ち上がれ、日本!
まずは、自分自身の覚悟が問われてきますね!
先日の釈党首の「動きが遅いんです!」という一言に現状が言い尽くされていると思いました。
時間がない!
けれど
勝利せねば、日本はオシマイ!
この危機感と自分の日常のギャップを打破できない自分の弱さと未だ格闘中の日々デス。
ともあれ、日々前進あるのみ!
お互い頑張りましょう!
決選→決戦
全然意味が違いますね。
戦いの時が来たということなのです。
昔の人は死を覚悟で臨んだんです。
戦国時代しかり、国の安泰を望む若者同士が戦った。
命をかける事が 是 であることは当然のことであった。
今の時代、「国の民の幸福の為に 命を 」と言えば「馬鹿」と言われるような時代になっている。
「自分さえよければいい」とは言わずに、「戦争になって命を失うのはいやだ」と言っている。
選挙の度に死者が出るような時代ではないが、公職選挙法というルールは破綻している。
「天王山の戦い」や「いざ鎌倉へ」が懐かしいと思っている人もいるのではないか。
私も当時、足軽くらいはやっていたのかもしれない。