「苦言」を使う場面は、当事者間ではあまりなじまない表現で、現代社会で、メデイアがある意図を持って使用するケースが多いような印象があります。
本来は、「消極的な反意」を込めつつ「それを言う相手にたいして、相手の主張に理解する意思を含ませ、消極的に異論、反論、見識をつえる」ような内容を、(相手への愛情、思いを込めて)発言するとの説明が記述された記事がありました。
なんとなく解りそうで、それでも何やら禅問答のような気がしないでもないデス。
時事通信の編集・整理は、山口代表を愛情を持って擁護する意図があって、難解な「苦言を呈した」としたのか、あるいは、雲の上の存在のような山口代表の立場を忖度して、この表記を採用しあものか。。
調べて、ネット情報から、デジタル派の自分には到底使い切れない表現で、仮に日常生活、日常の社会生活で使う場面があるとすれば、自分なら「賛成」とも「反対」とも言えず、主張する相手の顔を見るとなく、「咳払い」でそのタイミングを処理する手法を取るに違いない。
kazanは小心者だ(汗)
これだけ見れば、全方位にたいして、玉虫色の咳払いをしたようなもので、二進法・<0><1>の思考に首までドップリと使っているデジタル系にはとても難解な表現と思ったデス。
日頃から保守系の一人として鼻にもかけない、二社の発信のほうが、本件の報道では理解しやすい。
kazan流では、この二社が非難してれば、先送りはまっとうな判断であった。
とすれば、やはり、山口代表、公明党は、こちら側ではないと理解が可能で、それはそれで、大いに結構なことになる。
今日も二進法思考手法は絶好調のようデス(^o^)