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毎日保守、毎回右翼をヤッてると、思考も硬直するのが世の常とばかり、ソコソコの気温の高雄で快適な室内で、午後から、日本の歌謡曲のリスト化をしてます。
目的は、自分のグログページに日常的に、自主ボイトレとして歌い込みのターゲットになっている歌リストをブログ公開することで、選曲時の時短を可能にし、PC環境でも、スマホ環境でも、はたまたタブレット環境でも、ネット開戦があって、端末があれば、自分のブログの歌リストが詰まったページを開き、そこにリスト化された曲名にはyoutubeのリンクを貼っている仕組みです。
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おそらく、最終は80曲くらいになるはずと踏んでいますが、開いたページの曲目をタップあるいはクリックするだけで、You Tuben音源コンテンツが立ち上がり、再生されますので、こりゃ~ッ、便利です。
今の時代、たいそうなカラオケ装置など必要もなく、音源にYou Tubeコンテンツを利用するのが一般的ですから、ブログを一枚カマすことで、さらに利便性が増大するということデス。
そんな作業をしてると、幾つかの曲には、その歌と初めて遭遇した時の思い出や、その歌を持ち歌にした時思い出が重なり、しかもその内容がとても鮮明で驚きます。
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↓↓↓↓↓の「青春時代」は、たいして持ち歌レベルのものではなかったのですが、今風にいうなら耳コピでナット無く知っていたレベルの曲。
たまたま、出張でBangkokに行った時、夜の街・パッポンのジャパンラウンジで、順番が回ってきて歌ったのですが、ホステスさんの限りなく営業的な「ヨイショ」効果と、ホンモノのスコッチを飲んだ勢いで、トライしてたら、結構ノリが良くサマになったという思い出があります。
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当時パッポンは日本人ビジネスマンが利用するジャパラン(ジャパンラウンジ)という、銀座の丸源ビルのような、いわゆるソシアルビル内にジャパランと呼ばれる、日本のミニクラブ的な店が入ったゾーンと、欧米系が大好きなトップレスバーのあるソーンと棲み分けられておりまいた。
それでも。声デカの中国人など探しても居ないという、極楽のような時代でしたので、快適どはン十倍どころではなかったデス。
中国人の居ない空間の快適さを堪能した経験というの、は本当に貴重なことだと認識を今日また、新たにしたような次第デス。
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森田公一さん、生地を書くことで氏名を確認をしたら、付帯記事で、今日現在年齢 82歳 でお元気らしい。
初めて解ったことですが、半周り森田公一さんほうが先輩でしたデス。