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浅草の花柳界というのは、浅草観音で知られる浅草寺の裏手、言問通りの北側・浅草三丁目にある、浅草三業会館のある一角を言いますが端から端まであるいても10分はかからない一角で、その中に浅草警察署があり、富士小学校と富士山信仰の浅草富士浅間神社と富士山に模した5メートル位に高さに土を盛り、富士山があります。
極めて普通の町並みなのが、夜ともなれば、夕闇に、百件以上の飲食店の看板の明かりが、柳木の枝を浮かび上がらせ、さほどの人通りは多くないにも、独特の風情を醸し出します。
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そんな情景に突然スイッチが入ったようになる時があって、ハマり出す瞬間です。
逝った、マダムkazanの祖父の古い時代の武勇伝を聞かされて、敷居の高いこの場所には、格別の感情を持っていたものですが、自身の意思で一人歩きし、あの場所の魅力を知るきっかけになったキーワードがありますがそれは、池波正太郎 でもなく、「プラザ合意」でした。
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ニューヨークのプラザホテルプラザ合意とは1985年9月22日米国ニューヨークのプラザホテルで開かれ、G5の大蔵大臣(米国は財務長官)と中央銀行総裁が合意した為替レートの安定化策のことを言います。 主な合意内容は、各国の外国為替市場の協調介入によりドル高を是正しアメリカの貿易赤字を削減することで、アメリカの輸出競争力を高める狙いもありました。
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それまでは、勤務先の最寄り駅が赤坂見附ということもあり、アフターファイブというより、アフターシックスになると会社の先輩諸兄へのご相伴で、かなり高頻度で赤坂の居酒屋やスナックに出没しておりましたので、世間が持つ赤坂の一般的というか、サラリーマンがポケットマネーで使える店の価格帯は、自然にインプットされるようになります。
それが、独り歩きの冒険とも言える浅草三丁目でとある店で、カウンター越しの会話から知った話と、その時の支払い料金を、自分の財布で支払った時に、その街の印象は一変しました。
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三丁目の居酒屋やスナックに夜毎に足を運ぶのが、町内で自営する店の主人で、就業後に同じ町内の銭湯に行き、その後着替えて、出没して、カラオケを唄い、2時間ほどで店を変える位の認識であったのが、本当の主役は、中国市場に生産拠点を移した製靴メーカーのオーナーであることでした。
浅草松屋は江戸通りと馬道通りの交点にあって、松屋の地下が地下鉄銀座線が階上が東武線のターミナルになっており、隅田川寄りの江戸通りを川上にそって上ると、池波正太郎の時代小説『剣客商売』 の秋山大治郎 が秋山小兵衛から引き継いだ道場兼住まいがある真崎稲荷神社が、さらにその上流の京成関屋駅付近が作品中の関屋村で、小兵衛の若い後妻との住まいにある場所になります。
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浅草の製靴メーカーは、上段の江戸通りに集中しており、隅田川の上流と日光街道が交じる付近に日本製靴の本拠地・工場があったところです。 ちなみに日本製靴社のブランドは、「リーガル」でその堅牢な造りは、旧軍の軍靴を一手に製造した技術と伝統が継承されたものでしょう。
隅田川に集中した製靴会社、製鞄会社が、中国に進出したのは、田中角栄総理・大平正芳外相による1972年の日中国交がはじまりです。
そして円安で日本製品、とりわけ、家電品、日本車が世界中に売れ、二十余年後の円安で利益を独り占めして「近隣窮乏現象」を見事に絵に書いたように実証し、それがターニングポイントに成り円高に触れだしたのがプラザ合意であり、日本の半導体が絶好調であった時の舞台背景があります。
記事は、メモ・備忘録的インセンティブで記述したものです。