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内戦、動乱、戦争では勝者と敗者が存在し両者の存在を双方が認識した時、現在のカブールのような悲劇そのもののような悲惨な状況が生まれるのは、予見できたこと。
こと米軍・アメリカにとっては、1975年4月30日のサイゴン陥落で米大使館から脱出したときの事態は学習済であったはずだから、バイデン・アメリカはこの非難は避けれないだろう。
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ここで、ことさら、ドヤ顔する気は毛頭ないですが、日本が「戦の作法」とも言うべきを知ってるのは、保元の乱・平治の乱以来~戊辰戦争・箱館戦争まで、あるいは、西南戦争までの700余年、専業武装集団である武士団による幾多の戦・戦争を繰り返す過程から生まれた作法があったればで、先の大戦での統制の取れた、敗戦を受け入れる素地が、あったのではないだろうかということ。
700余年の間の戦では、一度たりとて、国体を損なう結末だけは回避してきた、回避するべきことという戦の知恵が、思考と血肉骨髄まで浸透していたことによる歴的風土から、作法と様式が出来上っていたのだと思う。
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先に大戦にしても、ポツダム宣言受諾への流れは、一にも二にも「国体護持」が前提で、それが念頭、思考にあって、整然と武装解除がなされたし、武装解除後の敗戦日本社会で、無秩序な報復は少なかったと記憶している。
敢えて、あったとすれば、在留朝鮮人、治安維持法違反で収監中だった、朝鮮系活動家による、報復的横暴と、日本人資産の収奪があったが、彼等と連携し、連帯してたはずの日本共産党ですら、彼らへの直接的な加担の事例を目にした経験は無い。
戦争、内乱、動乱にもし作法があれば、カブールの悲惨な報道は皆無であったはずと思う。
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かような理解が許されるなら、日本こそ、戦争当事者、戦争管理には最も適任な国かとさえ思ってしまう。。
経済は往時の勢いが無く、低空飛行どころか下降継続中で、科学技術も今や二流。 学術系研究論文発表掲載件数は、世界で7位か8位にまで落ちてる現状に、あほな、おパヨ系が多数を占める学術会議メンバーには、その危機的現実を知る能力すら失っている。
世界に誇る技術は戦争の作法だけかもしれない。
今となれば、これだけは、確実に世界に誇れるはずと確信するデス。
■■■元投稿の画像を新規挿入 2021_08_18