これは何にでも必須なもので、本能的範疇にはいる、あるいは神秘的範疇にはいることかもしれない。
信号のない道路を渡る時、視界に車両が一台もない時なら、ほとんど無防備でわたるが、視界に一台でも動きのある車両があれば、安全かどうかを瞬時に判断するのは本能的習性になっていても、同時に無意識に思考回路に判断を下すのは「機をみる能力」だと思います。
北方領土問題がなにかの時に話題なると、いつも、日本はある時期に最大の好機を見逃したというのが今では定説です。
そのある時期というが1991年に誕生したエリツェン大統領在任期間を指します。
エリツェン大統領の在任期間は1991年から1991年7月から1999年12月で、なんと8年の長期政権です。
それで、その間の日本の内閣を重ねてみました。
宮沢喜一 内閣 1991年11月ー1993年8月
細川護煕 内閣 1993年8月ー1994年4月
羽田孜 内閣 1994年4月ー1994年6月
村山富市 内閣 1994年6月ー1996年1月
橋本龍太郎内閣 1996年1月ー1998年7月
小渕恵三 内閣 1998年7月ー2000年4月
この在任期間とこの顔ぶれで、北方領土問題解決などは想定外の夢の果の話で、説明は必要ないですね。
まさに政治不在内閣そのもので、記者クラブも論説室も、読者、社会をなめきった時代だたのでは?
「読者は阿呆で、馬鹿だから、洗脳するには千載一遇うの好機」と言い合いながら、購読者には仮面をかぶり続け、唯我独尊・お釈迦様も真っ青の世界で本来の使命を失った時期だったのでは。。
まさに世紀末。
森喜朗総理が、総力を挙げて、幾度と無く挑戦しても熟された機運はすでに脱していたと言えます。
ちなみに日本のバブル時代は1985年から1991年の景気の時代を言います。
この時期は、まだSNSもなく、携帯電話が出てきた頃です。
広告出稿量、金額も膨れに膨れた時期、メディアもギンギン時代です。
不安定に政権環境が醸成された背景が見えてきそうな世相ですから、危機感ゼロ、なにかあれば金で解決可能と思う思考が蔓延してた時、それを見透かすような、油断と緩み歴史課題を解決する機を見失ったということでしょう。
It's no use crying over spilled milk. 覆水盆に還らず・過ぎたるは及ばざるが如し。
over.. timeover, love is over... この時空をレセットできるのも、機を見ての金での解決か、世界が新秩序へのリセットの時、あるいは、ロシア経済が破綻する時だと思うデス。