玉音放送といえば、すぐに「耐え難きを。。」に反応する人は多いはずです。
kazanも例外ではありません。
ちなみに「耐え難きを。。」は「終戦の詔書」の後半の一文節です。
「終戦の詔書」のみが先行してしまいがちですが、「終戦の詔書」の相対関係にある「開戦の詔書」に国家元首である昭和天皇の思い、お考えが凝縮されています。
それゆえ、その大御心を知るには、ここをスルーするのはいかがなものかと思い、以来、この日、玉音放送の一節が浮かぶ時、下の「開戦の詔書」にも心がいきます。
。。。 今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。 中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。
さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。 帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。。。。 対米英、開戦の詔書より、現代語訳
戦争を肯定したり、正当性を主張する意思や意図は毛頭ありませんが、ある時代、ある時代の歴史のエネルギーの背景にある一端が見えてくるような気がします。
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