ようやく春節4日目になり、術後の大事をとり、1階にある居候先でアフターオペの身の上での新年は、ようやく山を超えるステージになり、残るは後3日となりました。
大晦日の1月31日以来、大家族文化の台湾では、泊まりがけで、遠方から居候先の家長の親類縁者が多数押しかけての完全な大宴会モードです。
当然ながら、泊りがけでのファミリーもあり、空いてる部屋に誰かしかが寝ていたり、飲み過ぎでひっくり返っているし、幼児らは、家の広間や回廊を走り周り、さらにその広間や仏間では麻雀卓が熱くなっております。
いやはや、日本人には、およそ想像も見当持もつかない宴会と騒音の光景が続いた大晦日来の4日間でした。
胃の三分の二を切除した身としては、油こいもの、肉類は不可、アルコール、香辛料は厳禁ですので、まるでカスミを摂っての食生活のような毎日で、早く4階に戻りたい一心でその日を指折り数えていますデス。
だいたい台湾式伝統的な中華食メニューは、油もの、肉類、香辛料抜きの料理とと言ったとて、そんなものは食卓に並ぶはずもなく、無理やり作らせたお粥飯をご飯茶碗半分に、どこで買ったものか、日本の「大人のふりかけ」があったので、その小袋を丁寧に、それも3分1くらいの量をお粥にそっと振りかけて食してた始末でした。
しかし、結果的には、この鰹節ベースのふりかけと、4階から取り寄せた梅干しが唯一の自身の命の糧になっていましたデス。
日本のカツオのふりかけ、梅干しは恐るべし。 思えば、戦国時代のサムライも先の大戦でも、味噌とコメは必需品で、塩の不足も、乾燥味噌で代用したとか、恐るべし日本の先人、帝国陸軍のサムライの知恵と更に認識をあらためされました。