人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

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短 信

2010-08-31 12:08:29 | スピリチュアル
 久しくごぶさたしたが元気でやってるかい。

 色々おもいなやむこともあるようだが、神様が

すべてみていて下さるのだ。祈りを忘れないこと

だよ。

 実際、祈りがすべてなのだ。祈りの他には何も

ないといってもいいぐらいなのだ。

 けれども以前よりは短気が治ってきたと嬉しく

思っている。

 五井先生だって毎日色々な人に接したからね、

いきおい気が長くなったよ。

 いらいらしなくなったというより、自分の本体を

みちゃったからね、光りかがやく人間の本体をみたら、

とたんにはらを立てるのが馬鹿馬鹿しくなったのだよ。


 だから感情の波がゆれ動いているようにみえても、

私は決してゆるがなかった。

 私の守護霊守護神がしっかりと神に土台をすえて

下さったのだ。


 神からすべては流れている。僕らは生かされている

生命なのだ。

 生きている生命とつい信仰をしているんでも

おもいがちだけれど、そうじゃない、徹底して

生かされたいのちなのだ。

 生かされているとおもうと、何もかもがありがたく

なってくる。自分に対していやなことをいう相手で

さえもありがたくなるものだ。

 なぜなら、自分というもの、我というものが

なくなっているんだから、ね、そうだろう。


 私なんかありがたいことだらけだよ、神界にいる

今も情けなくなったり思わず怒鳴りたくなるような

ことにも出会うけれど、それは、いつもいうように、

私が怒るんじゃない、みんなの守護霊、守護神を

とおしてのその人への業が五井昌久という場をかりる

だけだ。

 私はみんなの我を預かって、そしてそれを光にして

返しているんだよ。

 嫌なこと、辛いこと、そういうみんなの思いが、

つぶてのように私のところに飛んでくる。


 よく目にもとまらぬ早技というけれどそんなもの

じゃない。でも、奥の奥のいのちが、光そのものだと

いうことを知っているから、おそれる気持なんか

ないし、いくらでもいらっしゃい、みんな引き受け

ましょうということになったんだ。これは神様と私との

約束事だよ。


 業想念のつよさを私はよく知っている。そして光が

それに倍してすべてを明るくかえてゆくことを、私は

一番知っているんだ。

 だから安心している。未来永劫安心しているよ。


 君、人間というのは光だよ。それ以外の何物でもない。

 ただ、だからといって人間の心を粗末にしていい

などとはいわないよ。

 まだまだ、色々な気持も味わい、ゆれ動くことも多い

だろうが、いつも、私が君の側にいることを忘れないで、

日々世界平和の祈りを唱え精進してくれ給え。

 
                     昌 久