神のひびきというものは霊妙である。我々の
おもいも、肉体も、すべては波動から出来上って
いるが、神のひびき、神様のひびきは、おもいを
はるかに超えた愛そのものなのだ。
我々は、そのひびきを、この身にも、心にも
受けて生きているのである。
本当のことをいえば、我々一人一人のなかに、
愛である神のひびき(生命の流れ、神のこころ)は
流れ込んでいるのである。
このひびきに気付くには、世界平和の祈りを
祈り抜くことである。
祈る内に、自分の本心があらわれ、守護霊、
守護神と一体の自分を感じられるようになる。
そして、祈っていることも忘れて、
いつの間にか神様を呼んでいる─という
真の祈りに入る時、神とともにいる自分、
神のひびき、大愛のなかにつつまれている自分を、
観じることが出来るのである。
神のひびきは、あなたがたの中にすでに
あるのであって、心をすみ切らせ、そのひびきと
一体になる為の助力を、守護霊様、守護神様が
して下さるのである。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様
守護神様
ありがとうございます
という世界平和の祈りは、神のひびき、愛と
調和のなかに、あなた方がそのまま溶け込む祈り
なのである。
心を澄ませて、それぞれに、神のひびきの
ままなる生活へと入ってゆきたいものである。
昭和61年7月23日
五井 昌久
おもいも、肉体も、すべては波動から出来上って
いるが、神のひびき、神様のひびきは、おもいを
はるかに超えた愛そのものなのだ。
我々は、そのひびきを、この身にも、心にも
受けて生きているのである。
本当のことをいえば、我々一人一人のなかに、
愛である神のひびき(生命の流れ、神のこころ)は
流れ込んでいるのである。
このひびきに気付くには、世界平和の祈りを
祈り抜くことである。
祈る内に、自分の本心があらわれ、守護霊、
守護神と一体の自分を感じられるようになる。
そして、祈っていることも忘れて、
いつの間にか神様を呼んでいる─という
真の祈りに入る時、神とともにいる自分、
神のひびき、大愛のなかにつつまれている自分を、
観じることが出来るのである。
神のひびきは、あなたがたの中にすでに
あるのであって、心をすみ切らせ、そのひびきと
一体になる為の助力を、守護霊様、守護神様が
して下さるのである。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様
守護神様
ありがとうございます
という世界平和の祈りは、神のひびき、愛と
調和のなかに、あなた方がそのまま溶け込む祈り
なのである。
心を澄ませて、それぞれに、神のひびきの
ままなる生活へと入ってゆきたいものである。
昭和61年7月23日
五井 昌久