(質問) 例えば、毒性のものが体内に入った
場合、祈り心でもって流したらいいんですか。
(答) いいんです。何も気にする必要ない。
天と地をつなぐ者に書いたでしょう。
結核の膿(うみ)をさわったその手のままで
食べても何ともならなかったと。
あれは、自分がもし神様の御用を何もしなくて
いいんだったら、そこで、死んでもいいし、
生かして下さるんだったら、まだ生かして
下さるだろうと思うつもりで治療してるから、
何にもならないのね。
恐いとか、どうしようとか、そういうものが
有ると、つけ入られるんです。
どういうふうにしようと、たとえ無菌室で
仕事をしていようと、そこで自分の中にふっと
迷い心なんか出て来ると、それが細菌という形
をとって中へ入って来ます。
これだけの事があったのに、なんで私は神様に
守られなかったんだろうと。
でもそうじゃないんですね。
やっぱり迷ったところに乗じて何かがふっと
取りつく。
そういう時に、肉体がふっと弱まる時、
弱まらないためには、やっぱり祈ってゆく。
どうなっても構わないと投げ出す。
場合、祈り心でもって流したらいいんですか。
(答) いいんです。何も気にする必要ない。
天と地をつなぐ者に書いたでしょう。
結核の膿(うみ)をさわったその手のままで
食べても何ともならなかったと。
あれは、自分がもし神様の御用を何もしなくて
いいんだったら、そこで、死んでもいいし、
生かして下さるんだったら、まだ生かして
下さるだろうと思うつもりで治療してるから、
何にもならないのね。
恐いとか、どうしようとか、そういうものが
有ると、つけ入られるんです。
どういうふうにしようと、たとえ無菌室で
仕事をしていようと、そこで自分の中にふっと
迷い心なんか出て来ると、それが細菌という形
をとって中へ入って来ます。
これだけの事があったのに、なんで私は神様に
守られなかったんだろうと。
でもそうじゃないんですね。
やっぱり迷ったところに乗じて何かがふっと
取りつく。
そういう時に、肉体がふっと弱まる時、
弱まらないためには、やっぱり祈ってゆく。
どうなっても構わないと投げ出す。