人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

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世界平和の祈り

2010-09-05 13:18:58 | スピリチュアル
世界平和の祈りは

かみさまの言葉

神様の愛の言葉

神からわかれた

私たちが

この祈りを

となえる時

私たちは

私たちの

ふるさとに

帰っているのだ

神の愛という

ふるさとに

帰っているのだ


世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私達の天命が完うされますように

守護霊様

ありがとうございます

守護神様

ありがとうございます

神への愛

2010-09-04 11:00:57 | スピリチュアル
神様への

素直なおもい

素直な愛が

私達をつよくつよく

守ってくれるのです


神様の世界には

武器というものはありませんが

神様への愛は

光の武具でしょう

それは

平和な世界をつくるための

平和な心で生きるための

何よりの

まもりであります


世界人類が平和でありますように

という祈り言のなかには

かぞえきれない

神の愛と 神霊の加護

その働きが内在しているのです


私達が

神様と呼びかけて

神への愛をあきらかにし

世界平和の祈りを唱える時

神様の愛━━無限の無限定の愛が

私達にそそがれるのです

もっと本当のことをいえば

私達が

神様をおもうも、おもわないもない

ずっと以前から

私達は神様に愛されているのです


この世の中は

生きていくに従って

さまざまなことが起きています

私達一人一人も

いくつかの波を受けてゆきましょう

けれども

辛くて辛くて

声も出ない時でも

神はあなたを守り

あなたを愛でつつんでいるのです


神様、とても辛くて祈れません

という時には

あなたの守護霊が、守護神が

祈っているのです

それも辛くなってくれば

私が祈っています


だから

神様の愛は無限なのだと信じて

一瞬一瞬を

大事に歩いてゆきましょう

そうして

かがやいている本心、本体と

一つになってゆきましょう

            五井 昌久




ひたすらに・・・

2010-09-03 11:00:49 | スピリチュアル
ひたすらに

神の

ことば

をかきつくる

わが身

さやけし

祈りてゆかむ


無一物の

われにたまはる

このいのち

神のいのちに

つづきて

楽し


神はわがふるさとなれば

ふるさとに

かえらむいのち

すこやかにあれ


祈りとふ

神の泉の水をくみ

くみつつ朗ら

我のいのちは


朗らなる

こころのままに

のりゆかむ

世界平和の

神ののりごと

お任せの心からすべてが生まれてくる

2010-09-02 12:02:42 | スピリチュアル
お任せの心から

すべてが

生まれてくるのです


人間というものは

考えてみれば

生まれた時から

お任せの状態で

生まれてくるわけですよね

この肉体にしたって

何一つ

自分でつくって

出てきたわけじゃないわけです


そりゃあ

食べて

飲んで

眠って

自分のいのちを

養いはしますよ

けれど

いのちもね

これも

あたえられたもの

こう考えると

不思議不思議

不思議となって

神様にゆきつくわけですよ

神様がいて

神様がいのちの親じゃなかったら

おかしいということになるんです


人間は本来神様に

任せ切ったいのちなんですよ

任せ切ったいのちというのは

自由自在ということです

いのちを任せるということは

自由になるということです

朗らかに

呑気になると

いうことですよ

わかりますか?


みんな

神様の子ども

みんな

自由な

いのちなんです

光なんです

そうして

その

光は

ゆだね切った

任せ切ったところから

かがやき出すのです


本当に神様に

任せる

ということは

神様を知るということ

神様が

我々人間を

まるごと

愛して下さって

いるように

我々も

神様を

愛して

信頼して

生きてゆくと

すっかり

安心出来るんです


いくら信頼しても

絶対

裏切られると

いうことが

ないのが

神様の愛

私達が

任せ切れば

任せ切る程

その愛の深さが

どれほどのものか

わかってくるんです


素直になればなる程

みえてくる

素直になって

神のいのちを

よろこぶ

まはだかに

なって

自分自身と

対面が

できるようになるんです


ちっぽけな

肉体我と

いうものが消えて

真実のすがた

真実の

自分自身と

いうものが

あらわれてくる

その時

本当に

人間は

自由になるんです


神様の愛に

ふところに

抱かれている

自分というものを

芯から

感じることができる

それは

任せ切った瞬間に

新しいいのち

自分自身を

生き生きと

させる

いのちを

神様から

いただいて

そうして

そこで

生まれかわるからなんです


任せるということは

ですから

新生なんです

決して

任せて

それでおわりじゃない

任せたところから

新しく

始まるわけですよね

永遠のいのちの

ながれの中にいる

自分を見出して

よみがえるんです

そこへ

持ってゆくのが

祈りです

祈りから

すべてがはじまる

祈りはすべてを

よみがえらせるんです


無心に

祈る時

我々のいのちが

かがやいてゆく

それは

ふるさとへ

霊といいますかしら

本当の自分がね

肉体のまんま

帰ってゆけるから

なんです


世界人類が平和でありますように

と祈る時

その人にわたくしはない

我というものはない

消えている

そうして

たゆみなく祈ってゆくうちに

無の階段、空の階段をのぼって

任せる心になってゆくんです

呑気になってゆくんです


無邪気に

無邪気に

おおらかな

大我そのものの

自分を

楽しむように

なってゆくんです








私の仕事は・・・

2010-09-01 09:50:53 | スピリチュアル
私の仕事は

みんなの本心を照らして

本心がそのままに持っている

光をかがやき出させること

明るく

無邪気でとらわれがない

光そのもののこころ

これが本心なのです


本心は、何も特別な人のものじゃない

この世に生命を持って生まれてきた

人間すべてが持っているものです


唯、それが今までの思いグセや

業想念の波のなかで

スッキリとかがやくことが

むずかしくなって

いっぱいほこりがついている


あきらめや、悲観や

ねたみやそねみや

そういう想念に

とりかこまれて

光を出そうにも

ずいぶん苦しい状態になっている

けれどこの光は

消えることがない


何故なら

本心を照らしている光は

神様の奥の奥から

放射された

愛という

神の心なのですから


この神の心を

そのまま

肉体を持つ

我々人間のこころに

ゆきわたらせて

肉の身のまま

霊人となることが早まるように

私は生命を投げ出して

世界平和の祈りを

祈りつづけているのです


神というものを

そんなにむずかしく考えないで

たとえば

私達のこの肉体と

肉体に宿っている

生命を考えてみて下さい


どう考えても

不思議なことだらけ

誰一人として

自分で生命を得て

生きてきた人はいないのです

みんな大生命の源

光のみなもとから

分かれてきたいのち

なのです


そのいのちを生かしめているものが

大調和、大愛の光源

神なのです