現代の子ども達が読解力に乏しいことはわかった。
それが、将来とても問題になることもわかった。
読解力をつけなくてはいけない、考える力を身につけさせなくてはいけない、じゃあ、どうすればいい?本を読ませる?調べ学習をさせる?討論会をとりいれる??
その前に、本書の以下の部分をご紹介します。
『近年、大学でも高校でも「アクティブラーニング」に重要性が頻りに強調されています。…(中略)…。つまり、教えてもらうだけではなくて、自分でテーマを決めたり自分で調べたりして学習したり、グループで話し合ったり議論したり、ボランティアや職業体験に参加したりというのがアクティブラーニングだということです。なんだかとても魅力的に聞こえます。でも、ちょっと待ってください。教科書に書いてあることが理解できない学生が、どのようにすれば自ら調べることができるのでしょうか。自分の考えを論理的に説明したり、相手の意見を正確に理解したり、推論したりできない学生が、どうすれば友人と議論することができるのでしょうか。「推論」や「イメージ同定」などの高度な読解力の問題の正答率が少なくとも7割くらいは超えないと、アクティブラーニングは無理だろうと私は考えています。…(中略)…。RSTの2万5000人を超えるデータから断言できます。意味のあるアクティブラーニングを実施できる中学校は、少なくとも公立には存在しません。高校でも、ごく限られた進学校だけです。』
さらに新井氏は、『このような絵に描いた餅が学校現場に導入された責任は、中央教育審議会、そしてその構成員である有識者にあります。』と断じられておられますが、ホントに、「有識者さん」以外のみんな「無理!!」って知ってたと思うよ!と言いたい。
小学生のお子さんの「宿題」で調べ学習を「お手伝い」した経験がある保護者の方々も気づいていらしたでしょ?
なんなら、中学生たち自身が言いますもん。「班で討論とか、マジで意味ない。リーダー的な資質のある人が班員にいないとマジ地獄。」「誰も何も言わんまま終わって、結局結論もわからんかった…」たまたまうまくいく場合もあるでしょうし、指導する先生が上手に舵取りしてくれればまだなんとかなるのかもしれないですが、そんなことは稀のようで。
確かに、討論する力、プレゼンする力、大事です。社会に出れば求められます。でも、資料に書いてあることが理解できない、相手の言っていることを正確に受け止められない者どうしで議論したところで、自分の言いたいことを言い放って終わるだけです。それは議論とはよべません。何事にも手順というものがあるのです。
まずは良質な文章に多く触れて日本語を「インプット」
その後、適切な段階を経ながら「アウトプット」
小学校低学年に「なんでもいいから好きなことを書いてみよう」と真っ白な原稿用紙をわたし、上手でも下手でも「とにかく書けました」では、理解力は身につかないし文章は永遠に上手になりません。
子どもたちの中には、「国語なんで『才能』でしょう?」とか、「日本に住んでいるんだから、国語はできてあたりまえ」とか思っている子もいますが、とんでもない!
「じゃあ、なんで小学校一年生から高校三年生までずっと『国語の授業』があると思ってんの?」
って話ですよ。野生動物に育てられた人間はことばを話せません。きちんと「教育」をされて初めて「読み・書き・表現力」が身につきます。そして、人間が思考するときはぜったいに「ことば」が必要です。語彙力が多いほど、深い思考ができることも知られています。
塾というと、算数・数学を(あと最近では英語)を教えて欲しいという需要が多いように思いますが、算数の文章題が解けないのは、「読解力」がないせいです。
できれば、小学生くらいのうちから、段階的に学習をさせてあげて欲しいなと思います。
大変長いシリーズになってしまいました。
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