アマゾンプライムやらで、英米の映画をみていると、「I'm sorry」の使われる場面の多様さに、ほんとたじろぐ。
かつて英語の授業で習った概念をはるかに超えてるというよりも、そもそも中学校で習った「I'm sorry」の単一な概念を植えつけるような授業は間違っていると思うほどだ。
こういう言葉、現地で体得するしかないのかも知れない。
そういうことが、言葉というものへの、興味になっている。
言語の共通認識というのは、住んでいて体得するしかない。
私は、「考えておく」という言葉が、婉曲の拒否であることを知ったのは、関東エリアに住んだ時だ。
私の育ったエリアでは、「考えておく」は、まさに、「考える」事以外の意味はなかった。
言葉というものは、時代やエリアや、ほんとうにそれぞれの状況のバックグラウンドで、対話が成り立っていて、面白い。