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少し面白い本があった 勝つ極意 水の強さに学ぶ

2021-04-26 20:53:20 | 天から頂いた才能

 勝つ極意 水の強さに学ぶ 櫻木健古 1987年発行

「水の強さを説いた 老子」「堤兄弟にみる。。」 に最初興味があったが まあまあフムフム 「黒岩重吾の小説より奇なり、、」オウー 

 水は自己がない、望みも希望も無くなった最低の所、そこからスタート、水は自分の居る最低の所にいる、そこからスタート。書いてあるように「なるようになれ」自我を通せない。自我を壊された、全て諦めた状態、無我からのスタート。無我ほど強いものは無いと作者は言いたいのだと思う。

 徳川家康の遺訓「勝つことばかりを知って負けることを知らざれば、害その身にいたる」水のように柔らかく強く生きることをさとした。 「水は方円の器に従う」「水は形が無いから、どんな形にもピッタリ沿う、、」

その時本性がでる?普段自分と言うものは見えないが、落ちに落ちた時、出てくる?

「運命を呪わない」「絶望して絶望して、絶望することを止める」

×他に勝 力あり 剛 為しすぎ 反自然 死の徒

〇自らに克 強し 柔水 無為を為す 自然 生の徒

争うと 競うの違い  と書いてある

 ★★ぶったまげた話 合気道の元祖 植芝盛平 の話

「合気道の極意は、己を宇宙の動きと合わせ、己を宇宙その物と一致させることにある。その極意を会得したものは、宇宙がその腹中にあり、”我は即ち宇宙”なのである」「どんな早業で敵が襲い掛かっても、私は破れない。これは技の早い、遅いの問題ではない、勝負ははじめからついているのだ」「敵が”宇宙そのものである私”と争うとすることは、宇宙の調和を破ろうとする事だ。すなわち、私と争うという気持ちを起こした瞬間に、敵はすでに敗れているのだ。そこには、速い、遅いという時の長さが、全然存在しないのである。」「合気道は無抵抗主義である。無抵抗であるがゆえに、初めから勝っているのだ。邪気ある人間、争う心ある人間は、初めから負けている。」「神の心とは、愛である。愛は争わない。愛には敵が無い」「勝とは、己の心の中の”争う心”に打ち克つことである。それに克って、もって、あたえれれたおのが使命を成し遂げることである。」

一部割愛しました。字も違ってたりひらがなが漢字になってるところもあり。

 わたしが高校に入りたての頃10日ほど合気道の道場へ通いました。ですので常に興味はもってます。ユーチューブでも植芝さんの試合は一つぐらい有ったと思います。その弟子の塩谷さんはたしか3年だったか8年だったか金魚鉢の金魚をみて極意を得た?ユーチューブにかなりあります、二人とも160㎝無いと思いますが大男5人位に襲われてもなぜかアット言う間に投げ飛ばしています。芝居ではないかと思うほどです。ローバート・ケネデーが日本に来た時にspと塩谷の勝負?spの手を抑えて何もさせなかった?動画でみました。

 この本には書いてないですが、植芝盛平さんは大本教の弟子でした、宗教の「成長の家」の谷口雅春と同期だったと思います。、相手の攻めて来る手なり、刀なりが直前に白い点になって見える、と聞いたことがあります。勿論 武闘家の戦いですから素人には見えないと思いますが。神がかってますよね。私風には「天が許した、技?」アンジェリーナだってそうですよね普通出来ないから天才と言う、、仏法では「通力」何に通づるかと言えば天に?。よく言う超能力ですね、仏法ではいくつか認めていると書いてあります。

 最後にこれは実践的と思われるはなし。超簡単

「体でもって心を治める」合掌してください、頭がぼーとしてくる、欧米ではハンドパワー、東洋医学で言う気、ヨーガでいうプラーナ 合掌してこすり合わせるともっと良い様です、手を立てないで横にしてもよいです、立てていると宗教ぽいので、何秒かすると熱くなってきます。力が湧くようです。これは人間はなかなか心をコントロールできないので、

 体の方から心をコントロールする方法のようです。”心身一如”というそうです。心と格闘しても負けますので。と書いてあります。頭部のうっ血した血が手のひらをこするだけでよくなるそうです。

血液がアルカリ性になり、マイナスの想念や心情は、宿りようがなくなる、自然と消えてゆかざるをえない。だから、「気持ちいいい!」となる。 

私もこれは効果ありとおもいます。

次は花の話?「菊咲一華とヤブイチゲ」

 


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