『眼の隠喩』という本があります。この本、学生時代に先輩に教えていただいて読みました。
いまは手元にはないため、正確に内容をお伝え出来ませんが、
「目(瞳)に映っていることと頭で認識することは違う」
考古学の先生が学生を連れて調査に出かけた際に、学生を横一列に並ばせて地面を少しずつ調査させたそうです。
そのときに学生は「先生!なにもありません!」というようなことを言いますが、先生が同じところを見ますと「ここにもあるじゃないか?」「ここにもあるじゃないか?」といろいろなものを発見する
というような内容だったと記憶しております。
同じ景色(状況)をみても、ひとにより(先生と学生)違うものが見えている。認識きている。
目に映っているものは同じでも、それを考古学上の遺跡と認識するか、ただの砂の一部と認識してしまうか、ひとによって違う。
もう30年ほど前の記憶ですので、不正確かもしれないので大変申し訳ないのですが、上記の内容は衝撃をもって記憶した覚えがあります。
同じものを見ても、そのひとの経験、知識、関心によって見え方、脳での理解が違う、もっと言えば違うものをみている
私はこの本を読んでからわからないことは率先してその道のプロの方に話を聞くようになりました。
同じものをみていても違うものをみている可能性がある、であれば、それを聞いて確認することで、なるべく近い景色をみるように心がけるようになった、と言ってもよいかもしれません。
「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」
30歳を過ぎたあたりから先輩に「そんなことも知らないのか?」、「人に聞く前にまず調べてから聞きなさい!」などとお𠮟りを受けることもありましたが、私はもちろん事前に自分なりに調べたあとではありますがなんでもひとに聞くようにしております。それは同じ資料をみても違った景色を見ている可能性があると思ったためです。
特にお客さまからの情報は敢えて確認させていただいたり、絵を描いて共有したりするようにしています。
これは50歳を過ぎた今でも変わりません。特にその道のプロフェッショナルの方には敢えていろいろと質問させていただき、ご教示願う姿勢は崩していません。
たまに恥ずかしい!などと陰口をたたかれることもありますが、私はあまり気にしておりません。
「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」
同じ景色をみていたとして、違ったものがみえているかもしれないのですから。
ぜひ、人工的な化学物質や電磁波について疑問に思ったこと、対処したいことなどございましたらお気軽にご相談ください。
ひと・すまい・くらし
新井 伸宏