途中からお読みの方に時々説明をしています
私は「氷月神示 銀雫の97」から主に語り役で登場しておりますが、
昔の言い伝えには矛盾や謎もありますので、考察しています
今までにこのブログで私が取り扱ったのは、
「右の頬を打たれたら左の頬を…」や、「泥棒に下着を取られたら上着を…」、
「一粒の麦が死んだら…」、「らくだと針の穴のたとえ」、
「金持ちの主人と会計の管理人」など、矛盾があったり解釈の難しい部分、
またユダが師を裏切った心理は謎とされていますので、それについても考察してみました
ユダの性質については師を主と呼ばず先生といつも呼び、会計を任されていて不正をしたらしいこと等は、書物に言い伝えられています
後は不明が多いので、仮説として推理してみました
なお、野で師とユダが話し、その時旅人とロバの話のたとえが出ましたが、この2人のいる場面とたとえ話は、全く私の創作ですのでどうかお間違えのないよう
(むろん、聖書をご存知の方は、どれが載っていてどれが私の仮説部分かは、よくおわかりのことと思います)
師がロバで町に入る場面に込められた意味や、
最後の晩餐の部分における「洗足」と、「パンとぶどう酒」に込められた意味については、それぞれ第二の意味(比喩)がもしあったら、と考えてみました
今後も気になる部分においては仮説を述べてみたいと思います
私と仲間は、宇宙よりはるかに大きな神さまがおられ、形のない気のもやのお姿をしておられ、その内部に小さな粒として宇宙があり、神様に守られているというスタンスをとっております
ですから、人間からは大きな形のない神さまが見えないし、巨大な神さまからも、微細な人間や星がとても見えにくい
そこで神様は、踏み迷う人間にご自身のお気持ちを伝えるために、小さな分けみたま(分霊)をつかわし、人間の前に幻としてお出しになったり、声の聞こえる人をたまにおつかわしになるのではないかと考えます
…そしてもちろん、人の魂は永遠で死ぬと天国へ帰り、反省してある時期が来ると、また人間に転生して地球で生き方や人間関係を勉強し、魂を磨いて少しでも良くなって又天国へ還るということを繰り返していると思います
いずれ人は魂が悟れば、転生しなくてすむのですが、それでも地球を良くしたいと志願して転生する人達がいるようです
…それが昔の偉人であったり聖人であったり、人徳者であったりする場合もあるかもしれません
どうか、みなさんも毎日毎日を大事に過ごしていって下さい
そして、人格を円満にすることを目指し、自他を共に大事にして幸せになって下さい
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