Senkaku Library 尖閣ライブラリー

尖閣諸島は日本の領土である動かぬ証拠

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証拠1 「尖閣は国外」と認識していた明国

2015-05-03 | 45の証拠

『大明一統志』(1461年)

明国の地理書である『大明一統志』(1461年)の「福建省福州府」の項には、「東のかた海岸に至る一百九十里」と記されています。

百九十里(約100キロメートル)は、福州の本府所在地から海岸までの距離であり、「明国の領土は海岸まで」ということを示した記述です。  

つまり、当時の明国の福建省の国境は海岸であり、明国は、尖閣諸島を明らかに「国外」と認識していたことになります。  

明国の領土が海岸までならば、海の向こうにある魚釣島は、当然、明国の領土であるはずがありません。

 

※参考 明国地図、尖閣は「国外」 中国公式見解を否定 石井准教授「具体的反論を」(八重山日報 2012.10.6)

『大明一統志』天順本(統一印刷公司)より、福建省福州府の項目(八重山日報2012.10.6より)

 


序章 尖閣問題の歴史的経緯

2015-05-03 | 45の証拠
尖閣諸島は長らく無主の地(誰のものでもなく、どこの国の領土でもない地)であり、付近はカツオの好漁場として知られ、古くから琉球の漁民が漁をしていました。魚釣島や久場島には日本人が居住し、最盛期には二百四十八名もの島民が住んでいました。

中国は「明や清の古地図に釣魚島が記載されている」ことをもって、「尖閣は古来から中国の領土」と主張していますが、中国の海図に尖閣諸島が記載されているのは、単にその島が航海の目印となる位置に点在していたためであり、中国の領土であったからではありません。


一時期は古賀村という村ができるほど、多くの日本人が生活していた。(写真:外務省ホームページより)


1895年(明治28)年、明治政府は、尖閣諸島が無主の地であり、どの国の支配権も及んでいないことを調査し、確認した上で、日本領土に組み入れました。これに対して、どの国からも異議申し立ては行われませんでした。

ところが、1969年、国連の調査団が尖閣諸島近海の海底に豊富な油田がある可能性を示唆すると、中国は2年後の1971年、「尖閣諸島は、古来より中国の領土である」と、突然、尖閣諸島の領有権を公式に主張し始めます。

しかし、中国側の公文書や文献を見ても、海底資源が発見される前の中国は、「尖閣諸島は日本の領土」であることを明確に認めてきたのです。





明治28(一八九五)年1月14日の閣議で、尖閣諸島を日本の領土として組み入れることが正式決定されている










尖閣諸島が日本の領土である45の証拠(まえがき)

2015-05-03 | 45の証拠
二〇一四年の暮れも押し迫った十二月三〇日、中国国営新華社通信は国家海洋局直属の「国家海洋情報センター」が沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)の特別サイトを正式に開設したと発表しました。そこには、中国が尖閣諸島の領有権を主張するための史料や地図などが掲載されています。

中国政府が主張するそれらの「証拠」への反論として、本書を緊急出版することになりました。本書をお読みいただければ、彼らの主張が、ことごとく「ウソ」と「でっち上げ」であることがおわかりいただけるでしょう。

中国共産党は十三億の人民に「尖閣諸島は中国の領土である」と「嘘」をつき、国内の不満をそらすため、人民の反日意識、反日運動をあおり、日本への領土侵攻の正当化を図っています。

しかし、中国人民にとっての本当の敵はいったい誰なのでしょうか? 中国の人民から信仰の自由を奪い、言論の自由を奪い、あらゆる権利を奪っているのは、いったい誰でしょうか?

GDP世界第二位と言われる経済大国・中国では、共産党幹部と軍人などのエリート層が私腹を肥やす一方で、十三億人の民は、選挙権もなく、人権も与えられないまま、まるで奴隷のように虐げられ、劣悪で過酷な生存を強いられています。人民の不満が中央政府に向かないように、中国は南沙諸島や尖閣諸島への軍事侵攻を着々とくわだて、反日運動を扇動しているのです。

中国共産党の真の正体が白日の下にさらされることで、中国人民が解放され、一日も早く本当の「自由」「人権」「民主主義」を手にすることができるよう、願ってやみません。


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