坤輿全図(こんよぜんず)
北京で刊行された大型の両半球世界地図。作者F.フェルビーストはイエズス会士であり、1659年に中国に渡りキリスト教伝道に努める一方、欽天監(天文台長)を勤めるなど、天文地理の分野でも活躍した。
この『坤輿全図』(1767年)では、魚釣島は中国領土になっていると中国は主張するが(→人民日報 2012年10月12日)、沖縄付近を拡大してみると、
どこに釣魚島が中国と表示されているのか?
1767年乾隆皇帝欽命繪制之《坤輿全圖》把釣魚台標示為中國?我查了原圖再看其他保釣人士的說明才知道他們認為“好魚須”即“釣魚嶼”所以也算是納入版圖,那地圖上其他地方也算納入版圖嗎?而且宜蘭縣是清嘉慶15年(1810)收入清朝版圖,嘉慶17年(1812),才正式設噶瑪蘭廳治理。
宜蘭県はもともと海賊の拠点になっており、清朝に行政区として組み入れられたのは1810年、清朝の版図になったのは1812年である。
『坤輿全図』が描かれたのは、それよりも43年も前だ。
『坤輿全図』で尖閣諸島が中国の領土として描かれているというが、台湾の宜蘭県でさえ清朝版図ではなかったのに、なぜその附属諸島(と中国は主張する)である魚釣島が清朝の領土だといえるのか?
単に地図に載っているだけですね。宜蘭県が、清朝版図になるのは、1812年。中国当局は歴史勉強しているのかしら(笑)。
時事通信「尖閣諸島の特別サイト開設=宣伝強化か-中国」
讀賣「歴史踏みにじる日本。中国が尖閣主権HP」
朝日「中国国家海洋局、尖閣領有権のアピールサイト立ち上げ」
日經「中国、尖閣諸島の領有主張サイトを開設」
ブルームバーグ「中国が釣魚島公式ウェブサイト-領有権を主張」
報じられた特設ページで擧げられた西洋蒋友仁の「坤輿全圖」は、
http://www.diaoyudao.org.cn/2014-12/11/content_34350276.htm
(全角アドレスを半角に直してご覽下さい。)
呉天穎氏がかつて論及したもので、北京に藏せられてをり、原圖の不鮮明な畫像だけしか公開されてゐない。この度の特設ページでは、今迄よりもやや精度の高い畫像となった。この圖については既に拙著「尖閣反駁マニュアル百題」(アマゾン販賣中)第397、398頁で反駁してある。チャイナ側主張は、
1、福建南部の字音の島名だ。
2、西暦1767年欽命の製圖だから清國領土だ。
拙著の反駁をまとめれば以下の三點。
1、福建字音ではなく北京字音だ。琉球人の漢文島名を北京讀みでローマ字に書き換へ、そこから再度漢字に戻されたものだ。
2、欽定ではなく、文人の趣味用だと蒋友仁が明記してゐる。西暦1767年とする製作年も、欽定とする別史料の年度である。
3、尖閣の西側の破線は臺灣東岸から日本へ向かふ航路だ。スペイン人が呂宋日本間で尖閣を經由したと推測される。その航路を示す最古の地圖として貴重であり、領土とは無縁だ。
http://senkaku.blog.jp/archives/19892214.html
韓国も中国もこのロジックが理解できない。
お子様並みの「俺はお前より前に知っていたも~ん」であって「領有した」を意味しないことがわからない。というか、両国の国民の脳は
「俺はお前より前に知っていたも~ん」=俺のもの
という未開さから未だに進化してないので、それに騙される国民が多いという事実から、このような言い張りをしているに過ぎない。
後からであろうと、島を知っていただけの中韓に対して、明確に政府が緯度経度明らかに領有を公示した日本が確定的な領有権を獲得していたことは変わらない。
言い換えれば、日中韓との島嶼領土紛争は、未開との闘いである。裁判して敗れても連中は未開のままで「認めない」と喚くだろう。
なんせ未開だから。