1998年、今から11年前の話です。
3月15日(日)
今日は一日中、テニス三昧の日です。
8時半にフジタ タンコン ビラに集合します。
ミニバンのタクシーが迎えに来ます。
タンコン ビラ在住の7人でタイ湖近くのテニスコートへ行きました。
コートは2面でハードコートです。
ベトナム在住の日本人テニスサークルということで、20人ぐらい集まっています。ベトナム人少年が3人ボールボーイにつきます。
人数が多いので4ゲーム先取の試合を3つしました。
曇り空ですが、湿気が多いのか、動き回ると、汗がいっぱい出ます。
最後の試合は若い上手い2人とタンコンビラ在住の奥さんと4人でしましたが、また負けました。ちなみにこの奥さんは昔ケニヤに住んでいて、そのときの体験を出版しているそうで有名人だそうです。
12時に終わり近くのホテルのロビーで休憩です。スイカジュースを皆で飲みます。誰もビールを飲みません。
両替の話やタクシーのお釣の話や最近のベトナム事情が聞けました。
行きと同じミニバンのタクシーでタンコン ビラに戻りました。
部屋で、シャワーを借りて、ビールを飲むと、うとうと寝てまいました。
3時に皆を起こし、タクシーで別のコートへ行きました。
珍しくタクシーの運転手が釣り銭を素直に出すので、気にいって、6時ころ迎えに来るように頼みました。
今度は三井物産に勤めるベトナム人のサークルということですが、ほとんど初心者です。現地通訳のホアさんがガス入りのミネラルウォーターを買ってきてくれます。3試合ほどして、5時ごろ、もう帰ろうということになりました。
夕食を7時に約束して帰りました。夕食のレストランはインドシン。
クラブ オペラのほうが高級だそうですが。ぼくはこちらのほうがおすすめです。
教授はホアさんと話しに夢中です。話の内容は教育。
そんなかたい話、何が面白いんだろう?
有名な生春巻きを頼んだ筈ですが、またまた普通の春巻きでした。
というわけで、麺の鍋が美味しかったです。
デザートはアイスクリームとコーヒーを飲みました。
3月16日(月)
フライトは9:55。朝食を7時半に済まし、8時に出発することにしました。
ホテルは一泊30ドル、空港までのタクシー代20万ドンで交渉しました。
タクシーを待つ間、ホテルのおばちゃんが"ヒャパネー"と聞きますがなんのことか解りません。我々の泊ったホテルは英語が通じませんでした。
しばらくして、やっとそれが「Japanese」といっていることに気ずきました。
ベトナム人の英語の発音はわかりづらいです。
ホテルのお兄ちゃんにさよならを言って空港へ向かいました。
きた車はタクシーでなくハイヤーみたいで料金メーターがありません。
でも、エアコンが効いていて、快適です。
40分後、列車の駅のような建物の空港に到着。思わず、行き先間違えたんじゃないかと思いました。
建物にデパチャーと書いているのにアライバルのようなかんじであたかも誰かを向かえにきたかのような人だかりです。
とても見送りの人垣とは思えません。建物にどこから入って良いのかわからず、うろうろしていると人垣の横にテーブルをおいて3人ぐらい人が座っています。案内所みたいなふいんきです。
そこにいって聞こうということになりテーブルの前にいくといきなりパスポートとチケットをだせといって料金3万ドンといいます。
何のことか解らず払うと若い男の子が我々のバッグをもって人垣をかき分けて建物にはいっていきキャセイのチェックインカウンターにつれていってくれました。なんのことはない、有料案内係でした。
空港税$10を払い出国審査場まで送ってくれました。
出国審査を終えて2階に上がると一応免税店や土産物屋があります。
ベトナム2大輸出産業である米とコーヒーのうちコーヒー豆をここで買いました。
いかにも安もんぽい高級感のかけらもない袋にはいったコーヒー豆でした。
空港のゲートから滑走路をボーとながめていると、見慣れたバスがありました。
神戸市営の古いバスです。一台は板宿行でした。
われわれの乗る飛行機はと見渡すとやはりベトナム航空しかありません。
いきも帰りもキャセイ航空で予約したのに、結局、キャセイに乗ったのは帰りの香港―関空間の便だけでした。