北陸新幹線敦賀延伸1周年記念 第12回 福井県雅楽会 雅楽公演
3月16日(日)13:00~ 福井県立音楽堂ハーモニーホール(福井県福井市今市町40-1-1)
先日の講談会の帰り、ロビーでひときわ目を引く雅楽公演のちらしに誘われて今回の初めての雅楽鑑賞となる^^;;;(まったく、ふいに何処で何に出逢うかわからんもんですね^^;)
昨年の大河ドラマ「光る君へ」の影響もあって少なからず興味はあったが、これこそ未知の世界。でも、全くわからんチンで観るのも申し訳なく、ここは知的好奇心の扉までは辿り着きたいと一夜漬けのネット検索に目をこすった(笑)。
『 雅楽は、基本的に「鳳笙(ほうしょう)」「篳篥(ひちりき)」「龍笛(りゅうてき)」という代表的な三つの楽器を用いて演奏される。
「鳳笙」は、鳳凰が羽を休めた姿といわれ「天」の声を表す。「篳篥」は人間の声とされ「地」を表した音。「龍笛」は龍の鳴き声とされて「空」を表しています。
このようにして、雅楽とは「天、地、空」を表す三つの楽器が織りなす世界です。』
雅楽の歴史と役割:起源、楽器、演奏方法まで徹底解説 | 暮らしと歴史の小話
ということで^^、雨の中とっとこ「福井県立音楽堂 ハーモニーホール」へと車を走らせた。
まぁ^^;雅楽以上に今まで縁もゆかりも無かったハーモニーホール^^;;;物凄く煌びやかなところでビックリぽん!でした(笑)。
ところで、主催の福井県雅楽会(福井県越前市豊町4−8)って、越前市にあるんだと知ってまたまたビックリなお話で、1901年(明治34)武生雅楽会として創立。1960年(昭和35)4代目楽長大瀧兼紫が福井県雅楽会と改名、2009年(平成21)に今の大瀧雅樹が5代目楽長に就任されています。コロナ過もあり、公演を開催するのは7年ぶりにもなるそうです。
ちょうど私が生まれた頃に福井県雅楽会として躍進、今も継承活躍されている現状を知って、よそのお家ながら感慨深く感じてしまいます。新宅だった我が家は祖父の時代から私で3代目だけど^^;4代目となる娘達は嫁いでいってしまいました・・。
まぁ、そんなことは別として、大瀧雅樹5代目楽長の公演前のお話によると、日本の第19代天皇 允恭(いんぎょう)天皇が崩御された時、隣国の新羅より音楽使節団80人の派遣があったと日本書紀にあるようです。その後、遣隋使、遣唐使によって他国の音楽も輸入され、これが「唐楽(とうがく)」と呼ばれ、後に雅楽の主流をなすようになっていったようですね^^
では、平安時代のオーケストラ「雅楽」に浸って夢の世界を楽しみたいと思います。。。
~ 演 目 ~
管 絃 / 平調音取、 催馬楽 道の口(復元)、 王昭君
舞 楽 / 右方 胡蝶、 左方 蘭陵王、 左方 打毬楽、 左方 還城楽、 太食調音取 長慶子
【平調音取(ひょうぢょうねとり)】
雅楽では曲に入る前に「音取」という、調律を合わせるようなことをするようです。調子独自の旋律を示して雰囲気を作る短い曲が演奏されます。
【催馬楽(さいばら) 道の口(復元)】
催馬楽とは、平安時代に外国や地方からの貢ぎ物や租税を都に運ぶときに歌った馬子歌とされています。
伝承される「楽家録」には道口は廃絶曲になっていたのですが、この度、越前市在住の池田正男氏と福井県雅楽会により復元の運びと相成ったそうです。
その新聞記事がこちら~
紫式部も口ずさんだかも?…古代歌謡「道の口」の合唱曲完成 | 福井新聞ONLINE
「道の口 武生の国府に我はありと 親には申し賜(た)べ 心あいの風や さ公達(きむだち)や」
(武生の国府のような遠い場所にいたとしても、あなたに会いにきますよ)
催馬楽(さいばら)ものがたり㈠ | 晩年に愉しむ源氏物語の現代語訳
【王昭君(おうしょうくん)】
王昭君とは、平和と中国の為に我が身を捧げた中国の絶世の美女。漢の元帝により夷国に遣わされた時、馬上にて琵琶でこの楽を弾いたと伝わる。胡国への旅にさすらい、悲しみのあまりに馬上にて作られた曲です。
この曲は、他の曲とは音階の違いや息継ぎの箇所が違っているため難曲とされているようです。初鑑賞の私にはその区別は分かりませんでしたが、王昭君の悲しみを表現したものだと思い聴いてみると、琵琶をかき鳴らしながらすすり泣く王昭君の姿が浮かんでくるような気もしました・・。
管絃が終わり、ここからは舞楽に進みます。鮮やかな色調の衣装を身にまとい厳かな舞が続きます。
「左方」は、赤系統の装束。中国大陸から伝わった「唐楽(からがく)」が元になっている。左手より進み出てきて舞台に登る。左足を軸として動き、おおらかで優雅な舞が特徴。
「右方」は、緑系統の装束。朝鮮半島から伝わった「高麗楽(こまがく)」が元。右側からの登場。右足を軸として動き、型の切れ目がはっきりして一連の動きが短いリズミカルな舞。
舞楽とは?日本最古の音楽をわかりやすく解説!演目例は4つ | 舞の道 観音舞
【 胡 蝶(こちょう) 】
春の日に舞い遊ぶ蝶を表した少女による四人舞。舞人は背中に蝶の羽の作り物を着け、花の施された天冠をかぶり、山吹の花を手に持って舞います。純真無垢な舞手の可愛らしい佇まいに心が洗われるような舞でした。
蝶々の舞といえば、今まで歌劇の舞台で眺めてきた思い出の景色があれこれと浮かんできます。みんなみんな物言わぬ蝶の姿なれど、ひらひらと一生懸命だったのよネッ!
日本舞踊を読んでみませんか: ましてはかなきさまに~「胡蝶」という舞楽
【 蘭 陵 王(らんりょうおう) 】
中国の南北朝末期の北斉(550年頃)の蘭陵王 長恭が金庸城で周の大軍を打ち破った史実を基に作られた。長恭は才知武勇にして美貌の持ち主で、戦の際は、味方の兵が見入ってしまって士気が上がらないのを防ぐために獰猛な仮面をかぶって指揮を執ったと伝わる。
舞人は首をもたげた竜をほどこした金色の面を付け、右手には金の桴、毛縁の裲襠装束(りょうとうしょうぞく)を身着け勇壮華麗に舞います。舞人一人の走り舞。
541〜573年、本名・高長恭。魏晋南北朝時代末期、北斉の文襄帝の四男として生まれる。564年、わずか五百騎で芒山の北周軍を破り、洛陽陥落の窮地を救った。このとき、蘭隆王は援軍を率いて城門にやってきたが、守備兵たちは彼が味方か判断できなかった。そこで蘭陵王が兜を脱いで素顔をさらしたところ、守備兵らが開門し無事に北周軍の包囲を破って勝利に導いたという。北斉の兵士たちはこの勝利と勇姿を称え、『蘭陵王入陣曲』という楽曲を作った。この逸話が変化し、「その美貌が兵士の士気を下げることを恐れ、仮面をつけて戦っていた」という有名な伝説が誕生。
蘭陵王はその勇敢さと武勲ゆえに当時の皇帝(高緯)から疎まれ、573年、毒薬を賜りその生涯を閉じた。悲劇的な最期を遂げた蘭陵王だが、勇猛かつ美貌の名将として人気は高く、『蘭陵王入陣曲』は唐時代に日本に伝わり、現在でも雅楽の『蘭陵王』として愛され演じ続けられている。武人の舞らしい勇壮さの中に、絶世の美貌で知られた蘭陵王を偲ばせる優雅さを併せ持つ。
雅楽鑑賞前に見つけた物語だ^^スゴイお話があったものだと、映像の中に入りこんでどっぷりと酔いしれてしまった~(笑)。こちら令和時代の欄陵王を眺める。しかし、舞手に見惚れてしまったのか、物語を重ねて楽しむことを忘れてしまい、気が付くと背中を向けて去っていく凛々しい姿を追っていた。
これは余談ですが、この欄陵王さまの背中、歌劇の男役の背中に通じるものがありまして、ホント!超イケメンだった^^;;;
【 打 毬 楽(たぎゅうらく) 】
舞は四人舞。裲襠(りょうとう)、別袴別袍(べつはかまべつほう)、抹額冠(まっこうのかんむり)のいでたちで、毬杖(ぎっちょう)を持ち、毬を打ち興ずるさまを舞う。ゴルフやポロの元になった・打毬(だきゅう)が中国では古くから行われ、その型が雅楽の曲として残ったもの。今回は、四人の女性が舞う。
大河ドラマ「光るの君へ」で、道長たちが馬に乗って楽しんでいた打毬の場面が懐かしく思いだされます。実際はあんなに激しいのに、舞楽になるとあまりにも優雅な動きになり驚くばかりでした。
【 還 城 楽(げんじょうらく) 】
この舞は蛇を見て歓び跳ねる振りがあるので、見蛇楽(けんじゃらく)という別名もある。
鎌倉時代に書かれた楽書『教訓抄(きょうくんしょう)』によると、中国の西域の人は好んで蛇を食べ、蛇を見つけて歓ぶありさまを舞にしたと言う。
舞人が舞台を一周すると蛇持が登場して、とぐろを巻いた蛇を舞台中央に置く。舞人はこの蛇を見つけて喜び飛び跳ねます。やがて、左手で蛇を取り上げて舞う。蛇の首を落とすような所作があり舞人は退出していく。
ちょうど、チラシの赤い仮面をつけた写真が「還城楽」の舞姿です。もう、舞台に仁王立ちで現れたとたん、その威圧感に圧倒されたような感じでした。しかし、一見こっけいにも見えるリズミカルな動きには誰もが見入ってしまう面白さもあるように思いました。知らず知らずに、足元ではその動きを真似ていたほどでしたもの~(笑)。
去り際、「蘭陵王」の背中と違っていたのは、勇猛果敢な背中というよりも、満足感の方が勝っているような達成感のようなものを感じました。(きっと、捕らえた蛇って誰かへのプレゼントなのよねぇ~~妄想^^;;;)
【 長 慶 子(ちょうげいし)】
昔からの習わしで舞楽会の最後にこの長慶子が演奏される。
長慶子が太食調の曲ですので、太食調の音取を演奏し続いて長慶子を演奏。舞はありません。
~ 幕 ~
今回はお財布にも優しく、しかもこんな素敵な会場で鑑賞させて頂くことができとても幸せでした。たぶん、私だけじゃなく初めて雅楽にふれるお客様って少なくはなかったようにも思えます。興味本位で足を運んでみた公演でしたが、雅楽わからん私でもたっぷり楽しむことができました。何より、雅楽って音楽だけじゃなく、奥深い物語を語る舞楽があることを知っただけでも私には嬉しい収穫^^ありがとうございます。
雅楽って、なかなかふれあえる機会が少ない分野ですが、機会があったら皆様も訪れてみてはいかがでしょうか^^v