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。。ぽぽしゃんの夢見るDonko列車。。

大好きをゆったりまったり楽しんで
のんびりのほほ~んと語っていきたいなぁ~

ほんに嬉しい三づくしで三十三間堂へ

2024年07月18日 | 途中下車の旅

宮津白山参拝後、、、

お昼は京都の方に戻ってからでもいいかと、丹波橋駅で近鉄から京阪に乗り換え南座へと思ってたのですが、妙に「三十三間堂」が気になり七条駅で途中下車して訪れてみることにした。

もお^^;;;久しぶりの見知らぬ土地勘ゆえか近鉄沿線は気を張っていたのですが、ふと微睡んだとたん乗り越してしまったようで、次は三条~のアナウンスに、三、四、五、六、七・・まだ先と思っていたら、三条止まりで降ろされてしまった@@;;; 暫し空白の秒数後、行き過ぎたことにハタと気づいたのですが、三条駅止まで良かったわーと胸をなでおろした次第(笑)。

ほんでも、こんなオバちゃんにもスマホは優しく^^ちゃんと素早く「三十三間堂」まで導いてくれるのが嬉しいわ~♪

 

本日は7月13日。 三条戻りで「三十三間堂」へ向かう。。。 3づくし~ちゃんちゃん^^v

 



  


 

 

蓮華王院 三十三間堂 (sanjusangendo.jp)


三十三間堂内は、1001体による「十一面千手千眼観世音」の慈悲の輝きに満ち溢れていて、宮津のヒマワリ畑で感じられた優しさと癒しにも似たパワーを受け取ることが出来ました。

1001体の中には、自分に似たお顔や誰かの面影に出合うことができるかもしれないということなので、両親の面影を尋ねてみましたがなかなか見当たらず、気が付けば一時間近くも観音菩薩様に魅了されていたようです。たぶん、二人共まだ旅の途中なのかもしれないですね~~♪


  

 

さあ^^お昼のおにぎり食べて、今度こそ南座へ^^レッツゴー!

 

 

追記.

福井県と滋賀県の県境に、標高842mの「三十三間山」があります。この山から京都の三十三間堂の棟木が伐り出されたことが由来となっているようです。

三十三間山:842m - 山と溪谷オンライン (yamakei-online.com)

 

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高向(たかむく)の宮跡

2023年08月28日 | 途中下車の旅

令和5年8月25日参拝

・高向(たかむく)神社 (福井県坂井市 丸岡町高田 1-7-1) 
  御祭神  継体天皇、振媛命

 

 

先日の丸岡町白山神社参拝の折、気になって立ち寄った神社である。

油為頭の神社へ向かう160号板倉高江線の道沿いに後ろ向きで鎮座。その為、参拝するには集落内の路地へ廻って境内へどうぞ。

 

 

 

 

総ヒノキ造り・銅板葺きの社殿は昭和55年春に建立された。

傍らには、もと式内社高向神社の祠と昭和43年春文化財指定の石標が立つ。

 

 


当地区の高田集落は、今上天皇よりさかのぼること約100代、第26代継体天皇(男大迹王=おおとのおう)の御母君であられる「振媛さま=ふりひめさま」の故郷であります。男大迹王が継体天皇に即位するまでの官舎(宮)跡であったと伝えられています。

振媛さま越後国坂中井の高向(多加牟久)の豪族の名家に第11代垂仁天皇七世の孫として(五世紀の初め)誕生し、高度な教育を身に着け育った才色兼備な美人として知られ、見始められて近江高島郷三尾の彦主人王(第15代応神天皇四世孫に16歳で嫁ぐ、男大迹王等三皇子の三つ子を生むが、22歳の時、主人が若くして死去したので振媛は男大迹王を連れて実家の高向館(宮)に帰り育てる。30歳で「越の女王」になり越国を治めたとも伝えられる。

(高向神社設置リーフレットより抜粋)

 

 

 

お隣の住宅地から顔を覗かせる元気なノウゼンカズラの花です。私にとっては思い出の花でもあり、暑さに負けん気と咲くその艶やかなオレンジパワーには惚れちゃいます^^

きっと、振媛ふーちゃん様もそんな気丈な肝っ玉お母ちゃんだったのかもしれませんね~~☆

 

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残秋の霊地八十八ヶ所

2022年11月20日 | 途中下車の旅

私の腰の具合もようなった頃、今度は父の調子がどうも芳しくない^^; 神様もよくしたもので二人同時にしないとこがある意味、お優しいと言うか^^;凄い。 と、そんな悠長なこと言ってる場合ではないのだが・・(笑)。

いつもの尿路感染症かと思いきや微熱が続いていたので取り敢えず病院へ、どうやら肝臓の炎症から黄疸症状が出てきてるもよう。しかし、入院するほどでもないので症状緩和のため毎日ここ2週間点滴通院を続けている。4日毎の血液検査にて肝臓数値は徐々に下がってきているものの、4日4日と延ばされ続けて終わりがなかなか見えてこない様子に父はだいぶお疲れモードになってきた。元気そうにはみえるんやけど午後からは横になって過ごしている日々が多い。父もいよいよ来年は90歳に到達だもんなぁ~~^^;;;

 

そんなもんやから、主人が畑作業の合間をぬって息抜きに私を連れ出してくれた^^。
そう言えば、山の紅葉ももう終わりを向かえる頃もあって近場の低山ハイキングに出かけることにした。

 

昨日、病院から帰ってくると昼食を早めにすませ、今庄の八十八ヶ所を目指し車を走らせる。

国道365号線を走り今庄宿場町の街道へ入る踏切を渡るとすぐ右側へ、線路沿い山の麓が八十八ヶ所への登り口になっています。

ここは、八十八ヶ所お参り以前に健脚者にとって程よい登山コースともなっているようで、駐車スペースは既に満杯となってしまい、主の帰りを待つ車が5~6台は並んでいました。

そこへ意気揚々と下道を歩いて戻ってきた70代の男性に遭遇。なんと、午前中に登り始めてぐるっと一周3時間を達成されたと聞いてビックリです。まるで、マラソン登山だ@@!

私達は、これから登る30分ほどの道のりを一時間もかけて登ろうとしているのにデス!!!

 

 

霊地八十八ヶ所 観道山 弘法寺(福井県南条郡南越前町湯尾222-13)


  

今庄地区は雪深き地ゆえ、既に早々と冬支度に身構えていた仏様は、春の夢を思い描きながら長い冬眠に向かう日々を楽しく待ち構えているようでした。

 

 

昼下がり暖かい日差しがふりそそぐ山道。広葉樹がふかふかに散り積もった参道をガサゴソと登っていきます。

見てみて^^こんなに紅葉がきれいだったんですよ~♪ まるで光り輝く黄金色の森です^^v

 

    

  

 

 

  


分岐点に到着。


    

 

目指す弘法寺の太師堂は鍋倉山へ向かう登山口にあります。落ち葉誘う道の先へいざ行かん。。。

 

 


向こうに紅の橋が見えてきました。昭和38年11月に改修された「ごくらく橋」です。

    

 

ごくらく橋を渡った先に続く88段の階段をのぼり終えると、目の前に弘法寺の境内が広がってきます。こちらもすっかり冬ごもり万全な体制で静かな佇まいをみせていました。


 

太師堂に手を合わせて参拝を終えると、ひとまずここは甘い物でいっぷく休憩です(^笑^)。

 

    

 

向こうで手を振り微笑んでいるのが「藤倉山」と「鍋倉山」です。主人は元気だった数年前に制覇したんだそうな^^。

そろそろ日差しも傾きかけて、あしながおじさんと^^;あしながおばちゃんに変身^^;;;

そんなにのんびりもできない。さっさと下山です。夕方までには家に戻らないとあかん。

 

下山は、ごくらく橋手前にあった分かれ道を進む。こちらには、大きな岩を掘り起した中に不動明王がお祀りされてあるとの事です。細いくねくね道を下っていくと、穏やかな表情のお不動さんが迎えてくれた。

 

    

  

ふと写真UPして、今@@気づいたことがあるのですが、お不動さんが収められたこの岩石自体に不動明王そのもののの姿が映し出されているような感じに見えちゃって~不思議じゃぁ・・(上部の岩肌がお顔に見えませんか?)

 

 

今日は朝から雨に降られて肌寒く、一日違いでこんなにも陽気が変わるんですね。昨日は、ぽかぽか陽気でとってもいいお天気だったのにね~^^おかげさまで暮れ行く名残の秋に心癒され幸せな時間を過ごすことができました。主人に感謝です^^v 

さあ^^明日も父の病院への送り迎えが続く。がんばろぉ。。

 

 

追記. 11/23

昨日、父は入院しました。検査結果、下がりつつあった黄疸数値がまた上がってきたようです。
朝夕の点滴が必要とのお話で病院にもうお願いするしかありません。

これも神様仏様の采配だろうか・・・しばらく私もゆるりとお休みします~~~^^;

 

 

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日野山南方山ハイキング西国三十三か所めぐり

2022年06月09日 | 途中下車の旅

さてと、、、四つの日野神社を参拝してきたからって^^; なんも日野山(795m)登頂を目指したいわけじゃないのよ^^;;;今の私の体力ではこんな高い山はとっても無理な話だもの~ゴメンしてね神様。

っということで、半分なら頑張れるかな^^?と、数ある日野山登山ルートから主人とハイキングがてら選んだのが、向新保町から登る ” 西国三十三か所めぐり" のルートです。日曜早朝より果敢に挑んでまいりました(笑)。

 日野山登山に挑戦したみたいな気分?になれちゃう~日野山ナンチャッテ登山(笑)三角点(309m)もちゃんとある日野山の南方山です。登り口となる向新保の日野神社(福井県越前市 向新保町33-7)から出発。

 

    


神社の境内にある石柱によれば、この山は「吉野朝遺跡」になっているようです。南方山上に松ヶ鼻城址、山頂には二峰城址があるもよう。登ってみる価値は充分ありそうです^^いざ!歴史探索と三十三か所めぐりにレッツらGO~!

 

    

 

 

 

三十三体の観音様に見守られながら高さ100mほど登ったところ少し開けた場所に到着。この場所に松ヶ鼻城があったようですね。登り初めにあった小さなお堂がこちらにもあります。

 

 

 

さて、いつものドーナツで癒されながら暫しのいっぷくを終え、目指すは三角点の山頂^^v 二峰城址。ほやけど、ここから先は急勾配の山道が続いていて低山ながら、登山初心者にはなかなか難儀でした^^; こんな倒木の林もあって大木を乗り越え潜りぬけながら進みます。

 




途中、お城を守るための切堀跡らしき形跡も2カ所あり、本当にこの先には山城が存在していたんだなと歴史にロマンを感じながら更に急勾配を登って行きます。




そして、ついに到着^^v 二峰城址です。ちゃんと三角点もありました。


 


うわぁ~^^低い山ながら、眺めは最高。目の前にはどっしり鎮座する村国山(239m)を見下ろし^^広がる越前市の街並みも見えます。

 

遠くにデコボコとした鯖江市の文珠山(365m)を望み、その手前に横たわるは三里山(346m)だと主人の談^^。


 

ここから日野山頂を望むには私達の体力では気の遠くなる道のりゆえ、本日の私達の任務はここで終了です。まだお昼にはちょっと早かったんですが、とても気持ちの良い景色を眺めながら昼食を頂くことにしました。

いつものおにぎりとカレー味のカップ麺^^携帯ボンベでお湯を沸かして熱々のカップら~めんを山の上で頂くのってとっても美味しいのよネッ^^v そして、デザートはドーナツとホッとコーヒ~~♪

 

 

そうそう、下山してきて気が付いたのですが、日野神社の境内の奥にポツンと佇む石碑を発見!「地龍大明神」と刻まれてあります。で、地龍って・・???



金龍の意味・ご利益

五行説において「土」に当たる中央を守護。大地や豊穣を司る龍神様。
家庭運・頭脳運・事業運を司るとして、基盤を作ることの導きをしてくださる。

龍神とは|龍神様の種類・意味、日本の龍神信仰/伝説・祀る神社をご紹介 | 神仏.ネット (shinto-bukkyo.net)

 

そういえば^^4社の中、向新保の日野神社には伊弉那美尊がお祀りされています。白山信仰三神の神様の御一人。そして、龍神様との関係も深いことから、もしかして? この石碑は龍神を祀るものか???(真実は全く分からんのやけど・・・)


菊理姫(くくりひめ)とは|縁結びのご利益や龍神/瀬織津姫等との説をご紹介 | 神仏.ネット (shinto-bukkyo.net)

 

まあ^^こんなして、なんだかんだと妄想を膨らませながら遊ぶのも楽しいものです^^;;;

でも以前この辺りは、日野川の氾濫の被害を受けていた地域でもあったらしいから、昔はそれを鎮めるために龍神様にお願いしてたのかもしれないですねぇ・・?

 

 絶壁に建つ摩崖仏(向新保町) - 北日野地区自治振興会 (kitahino.jp)

 

っと、、、いうことで^^本日の山登り歴史お散歩ハイキング終了~~♪

 

 

四つのお願い  聞いて^^; 聞いてくれたら~♪

あなたに私は夢中^^恋をしちゃうわ~~♬

 

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日野山麓ぐるりめぐる日野神社

2022年06月07日 | 途中下車の旅

令和4年6月2日(木)参拝

・荒谷 日野神社 (福井県越前市 荒谷町22-1)
・平林 日野神社 遙拝所(越前市 平林町14-47)
・向新保 日埜神社   (越前市 向新保町33-7)
・中平吹 日野神社   (越前市 中平吹町80-1-1)

 

令和4年6月3日(金)参拝

・常久 日野神社(福井県越前市常久町22)

 

 

私にとっては突如^^;降って湧いてきたような夢物語
せっかくなので、山登り前に4社の日野神社をぐるっと巡ってくることに致しました。

 



福井県神社庁|日野神社 (jinja-fukui.jp)(福井県越前市 荒谷町22-1)

御祭神
百日諾命 百日册命 天照皇太神 八心思兼神 迦具土神 男大迹天皇 應神天皇 宣化天皇





 

◆ 平林 日野神社(福井県越前市 平林町14-47)


御祭神 / 百日諾命・百日册命 ほか6柱

 

ここは日野神社遥拝所となっているとのことです。

神社のすぐ前には庄田町の生活改善センターがあり、神社の境内は庄田町と平林町に区切られているようです。でも、神社の鳥居は庄田町を走る県道201号線沿いにあるものだから鳥居から長く続く神社の参道は庄田町の中にあるんですよね。



 

 


福井県神社庁|日野神社 (jinja-fukui.jp)(福井県越前市 向新保町33-7)

   
 御祭神
 火産霊神社 天照皇大御神 繼體天皇 宇迦魂神 伊弉那美尊 大物主神

日埜神社(向新保町) - 北日野地区自治振興会 (kitahino.jp)

 

 

 

福井県神社庁|日野神社 (jinja-fukui.jp)(福井県越前市 中平吹町80-1-1)


 御祭神
 日野大神 継体天皇 安閑天皇 宣化天皇


 

 

 

 

 

ちなみに、日野神社って日野山の周囲だけかと思っていたら、なんと!越前市内にも鎮座してました!(ちなみに、福井市にもあります~。)


しかし、ココって!!! オヨヨ@@; まさかやぁ~♬ ホントなんですか^^?

うわぁ^^やっぱ、そうやったのね。神様^^娘を呼んで下さったのねネッ。ありがとうございます。さっそく翌日に嬉しそうに飛んでってしまいましたよ(笑)。

 

 

福井県神社庁|日野神社 (jinja-fukui.jp)(福井県越前市常久町22)

 御祭神
 繼體天皇  安閑天皇  宣化天皇

 



 

 


山肌にはこの季節、若菜色の葉っぱとのコントラストが鮮やかな薄紫のコアジサイが光を浴びて風にふわふわ揺れています。まるで^^モコモコと頭をもたげる乙女チックな夢をみているようでとっても愛おしい花ですyo^^v

 

 

たとえば私が恋を 恋をするなら~♪ 
四つのお願い^^聞いて 聞いて欲しいのぉ~~♬

 

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『ホツマツタヱ』

2022年06月01日 | 途中下車の旅

近々^^主人と山登りハイキングの計画を企んでいるのですが^^;;;

いろいろ検索している中で、越前五山のひとつ日野山の麓には「日野神社」が4社鎮座していることを知った。


 

荒谷 日野神社(福井県越前市 荒谷町22-1)
 御祭神 / 百日諾命 百日册命 天照皇太神 八心思兼神 迦具土神 男大迹天皇 應神天皇 宣化天皇

平林 日野神社(福井県越前市 平林町14-47)
    御祭神 / 百日諾命・百日册命 ほか6柱

中平吹 日野神社(福井県越前市 中平吹町80-1-1)
    御祭神 / 日野大神 継体天皇 安閑天皇 宣化天皇

向新保 日野神社(福井県越前市 向新保町33-7)
    御祭神 / 火産霊神社 天照皇大御神  繼體天皇 宇迦魂神 伊弉那美尊 大物主神

 


そして、、、不思議な書物『ホツマツタヱ』の存在を初めて知る。
 "ヲシテ” なる神代文字で書かれた真の言い伝えらしいのですが、これって何なんだろう!?


関西の議論】日本最古?の神話「ホツマツタヱ」とは…古事記、日本書紀より古い?学界は疑問視も愛好家の研究盛ん(1/4ページ) - 産経ニュース (sankei.com)

ホツマツタエとは?神代文字の原文を読み解く!偽書についても解説 | アマテラスチャンネル49 (amaterasu49.media)



そこで、なんと、びっくりポン@@!の情報が、、 

『むかしむかし、コシの国(越前)のヒナルノ岳(現・日野山、越前富士)の神の宮(日野神社、福井県越前市(旧武生市)で、木の実をお持ちになってお生まれになった男女の御子がありました。

モモヒナギとモモヒナミが人として立派に成人されたある年の弥生三日のことでした。この時初めて御神酒(おみき)を造り両神に奉りました。』



この『ホツマツタヱ』には、ひなまつりの起源でもある日本初の結婚式が、ここ越国の日野神社の宮で行われたとして書かれているらしいのです。(ホントなのか^^???)

 

ttps://san-sen.com/prayer/三月三日%e3%80%80夫婦のはじまり~ひな祭り/




日野山は、「日永嶽」「雛が嶽」とも呼ばれていたよう。
『ホツマツタヱ』にも「ヒナガタケ」と書かれているとのこと。
元々は「ヒナルノタケ」「ヒナガタケ」「ヒナノヤマ」などと呼ばれていたのか。
日野の山というよりも、雛の山???

 

4つの日野神社(ヒナルノタケのカンミヤ) | 「ヲシテ」ひとり学会 ☆ Yama.Mikiさんの ホツマツタヱ 学習日記 (jugem.jp)

 

ほんとに、平吹町の 日野神社は・・ ウヒチニ(モモヒナギ)を祀る宮なのかしら?
荒谷町の 日野神社が・・ スヒチニ(モモヒナミ)を祀る宮なのかしらねぇ~?


宇比地邇神・須比智邇神(ウヒチニ・スヒチニ)は『古事記』における神世七代の第3代の神々。神名にあるヒチ(比地・比智)は 泥、ス(須)は 砂を意味し、泥土の神とされる。

ウ匕ヂニ・スヒヂニ(宇比地邇神・須比智邇神)のご利益と神社 (xn--u9ju32nb2az79btea.asia)

 

 

なんか^^詳しいことはよう私にはわからんのですが、こんなお話の起源がこの越前市にある日野神社が舞台になっているとは、正にアンビリーバボーな@@;お話ですね^^。これこそもう夢のような物語としかいいようがないわ~~♪

 

今はまだ、畑作業にちょこっと手間取っていますので山登りはもうちょっと先になりそうですが^^; 娘の結婚も近いことだし、幸せになってもらうためにも幸先良い物語を発見することができました(笑)。更に私達も幸せになれるよう頑張って山登りしてこなアカンね^^;;;

 

 

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聖徳太子堂

2022年02月25日 | 途中下車の旅

いつものように車で主人と夕飯の買い物に出かけた。

ふと気が付くと、目の前に現れたトラックのナンバー並びに私は大声をあげた。「お父さん、みて!みて!5555やでぇ~~^^」

いつもの如く、主人はため息をつきながら「急に大声をあげるんでない。ほんなもんは珍しくも何でもない。自分の心の中だけで喜んでいればいいことで、いちいち言わんでもいい事や!」

ほんなこと言ってると、、向こうから次にすれ違った車が、ナント^^777~☆ わぁ!!!キャァ~~! 88も来た^^! 「ほらホラッ^^おとうさん・・・!」 すると、主人は無言で急に横道に曲がって車を走らせていく。

そりゃね^^;言い分もわかるけど、こんな多手続きにゾロ目のナンバーを目にすることなんて滅多にある事やないのにねぇ~~と、ふと駐車してる車に目をやれば、ホラホラ^^v ”333”やんかぁ~~♪

思わず私は「なんか、アル!」 主人は「なんも無いわー!!!」と一言。。。

 

まぁ~~ね^^;;;そんなこと言ったって、幸運ってものはすぐにはやってこないもので、何事もなく普通に買い物を済ませ家路に向かってたその時、見覚えのあるトラックがまた目の前に迫ってきた(というか、偶然後ろを私達が走っていただけなんやけど・・)

そうそう^^、、、もぉ~どんだけ^^;叫びたかったことか~(笑)

ほやけど、しゃぁーない、ひとり心の中で^^ レッツゴー 5555~~~♬
(なんも言わんかったけど、嫌でも視界に入るゾロ5並びやもん^^主人もきっと気がついていたはずじゃわのぉ~~~ドヤッ(^笑^)v)

 

 

っということで、その夜の出来事。突然! テレビの中から聖徳太子が姿を現したのです。

実はここ数日、太子さまの心情に寄り添いたくても、こんな無知バアちゃんでは太刀打ちできず1から勉強中でした。しかし、なんで、このタイミングで聖徳太子なん^^?  引き寄せにしてはあまりに話が上手過ぎるよね^^? まるで妄想もんの作り話みたいになってきたわ^^;;;(笑)

でも、本当なんやけどネッ^^v ぼーっと眺めてたから、ドコだったか何のコーナーだったか皆目覚えてないのですが、聖徳太子様を祀る「太子堂」なるものが、越前市の平和町にあることだけは確かな事。

ほんと^^? そこって、ドコなん??? 聖徳太子堂 文化遺産オンライン (nii.ac.jp)

うわw~たけふ菊人形のホンそこや。それも、文化センター横の脇道入ってすぐソコなんやってぇ~@@;;;
(あかんアカン、妄想が膨らみ過ぎて、こりゃアブナイわぁ~(爆))

 

 

・・・っということやけど、その翌日の今朝になりムクムクと、これは現地にこの身を投じ馳せ参じてこんなあかんのではないかと車を走らせて参りました。呼ばれたらすっ飛んでいくだけの単純夢バカなオバちゃんです(笑)。

 

聖徳太子堂  (福井県越前市平和町58)

 

 

 

番組中では、聖徳太子が大工道具のさしがねを作ったとのいわれがあることから、古くから多くの大工職人の崇敬を集めていたということでした。頭脳明晰な聖徳太子にあやかってか、太子堂には江戸時代の和算学者の算額も奉納されているようです。

 参考 / 和算の館HPより 
  http://www.wasan.jp/fukui/taisido1.html  http://www.wasan.jp/fukui/taisido2.html

 

 

追記(近況報告)

昨年、呼吸困難で病院に運ばれた父でしたが無事退院し一年が過ぎようとしています。要介護3の認定を受けた父でしたが、あれから驚異の回復力をみせ今月見直し調査の結果、要支援1までに元気になることができました。これひとえに父自身の頑張りの賜物でもあるのですが、やっぱ神様のおかげもあるのですよねー ありがとうございます^^v 聖徳太子様にも一言お礼方々お賽銭を奮発してきました~♪

そう言えば、今日からまた太子さま公演があるんやね。聖徳太子もきっと見守っています^^楽しんでやっておくれやす^^;;;

 

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吉野ヶ岳から白山を望む

2021年10月30日 | 途中下車の旅

令和3年10月28日参拝

・蔵王権現神社  
    福井県吉田郡 永平寺町松岡上吉野 吉野ヶ岳(蔵王山)山頂

 

 

泰澄さんゆかりの「越前五山(白山、文殊山、日野山、越知山、吉野ヶ岳(蔵王山))」のひとつ永平寺町の「吉野ヶ岳(547m)」に登ってきました。地元の人は、山頂手前に「蔵王権現神社」が祀ってあることから「蔵王山」と呼んでいるそうです。

そこで^^主人の情報によりますと、その蔵王山には八合目付近を通る大仏線と称された林道が走っているそうで^^;その林道沿いから健脚者だったら約20~30分ほどで頂上に到達できる^^ナンちゃって登山がまたまた叶ってしまう登山ルートがあるで~登ろうさと誘われ決行することに^^;;;(ほやけど私らの足やったら、、一時間はかかるかもぉ~^^;)

 

主人は今までに「越前五山」のうち四山まで(ナンちゃって越知山の山めぐりもありましたが)制覇しております(まあ、白山登頂を成し遂げたのですからそれだけで凄いんですが^^)。

そして、残すはこの吉野ヶ岳だけとなり今年中にどうしても登りたいようです。本当はもっと元気な頃に登れたらよかったんでしょうが、体力が衰えてしまってからでも夢を叶えたいと気持ちを奮い立たせます。私は見守るがごとくついていくだけですが・・^^;

っと言うことで、先日は白山初冠雪を受けて白山の登山口まで主人の計らいで私もドライブ登山^^;を致しました。大きい声では言えませんが^^;;お粗末ながらの妄想ナンちゃって登山ということで悪しからず(笑)。

 

では^^いざ、、「越前五山」制覇に向けて最終章の始まりです~~☆

 

    

この林道大仏線を登って行くと、登山案内看板の所に4~5台程の駐車スペースがあります。すぐ近くの林道脇には下から登ってくる登山道もあり、ここが合流地点となります^^ズルっこしてゴメンね~と思いながら、ゆっくりゆっくり登り始めます。

 

 

中途にある ”一ノ花立地蔵” さんで休憩^^。登ってくる途中、誰ともすれ違うことが無かったのですが、お地蔵さんの花立には綺麗な小菊が生き生きと微笑んでいます。いわれを読んでみると、このお地蔵さんに花を供えてから登って行くと願い事が叶うみたいですね^^v

じゃ^^私もお願いしようと、足元にみつけた赤い実の植物を供えて登って行くことに。

そこから、まだまだドンドン階段をがんがん^^;上がっていくと、鮮やかな蔵王権現神社の赤い鳥居が目の前に現れてまいります^^v 




この神社には、蔵王権現とともに、聖観音、多聞天が祀られているそうです。

 

 

ここが頂上かと喜んだのも束の間^^;;; 頂上へはまだ後もうちょっとの辛抱が必要。
神社裏に伸びている山道をもうひと踏ん張り進むと^^目指す吉野ヶ岳の頂上はすぐそこです。

 


頂上は、ちょーど紅葉が色づき始めた頃で青空に映えてきれいです。

この日のお天気は良かったのですが、もっと空気が澄んでいたら遥か遠くに海が望めたかもしれませんね。福井市の街並みが一望でき、あわら市の風力発電の風車がまわっているのも確認できましたよ^^v

 

 

そして、なによりも嬉しかったのが^^白山が顔をみせてくれたのよ~~~ん~~♬

頂上の山裏向こう側に絶好なスポットがあって、200mほど山道を下っていくと真正面にすてきな白山を望める場所があります。




まるで、ポッカリと空に浮かんでいるように見えるので雲と見間違いそうですが、天空の城のような白山の雄姿に感動もひとしおです。今日は頑張って登ってきた甲斐がありました^^v

やったあ!!! これで「越前五山」すべて登頂制覇^^ 主人がですが。。。(笑)

私は、ナンちゃって登山もどきではありますが取りあえず制覇^^;白山のかみさま許してくださいね^^;

 

。。。おしまい。。。

 

参考 / 福井展望スポット「吉野ヶ岳」 https://teruhuai.com/tenbou/yosinogadake

 

 

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越知神社で羽を休める

2021年09月26日 | 途中下車の旅

きのう、泰澄大師ゆかりの山^^越前五山のひとつ「越知山」に登ってまいりました。

越前五山(白山 2,702m・日野山 795m・越知山  612.8m・吉野ヶ岳 547m・文殊山 365m)

なんでも、越知山が紹介されていたTVをみて急に思い立ったみたいで、その主人のたっての願いを受けて車で一っ飛び~~^^v (笑)越知山へ主人は前々から登ってみたかったようです。

そうなんですよ! 誰でもマイカーで気軽に登れちゃう^^なんちゃって登山ルートがあるんですって。
そんな容易く登れるのならと主人のリハビリがてら山散策に出かけてみたのでした。

もちろん、本格的な登山ルートも整備されているようですから、山登りが大好きで元気な方はぜひ挑戦してみてくださいね。あなたが一所懸命に登って来てくれる姿を、越知神社の神様は頂上できっと待っていてくださいますよ。

 

っということで、軟弱高齢な私達は「尼ヶ谷ルート / 尼ヶ谷地区より車で約20分(約4㎞)」にて果敢に越知山へ挑んでみました(笑)。

お休みなこともあってか駐車所には数台の車がありました。車を降り坂道をゆっくりゆっくり登って行くと、数分後、目の前に広がる大きな殿池が私達を迎えてくれます。

 

 

 

「殿池(とのいけ)」です^^
 なんでも、織田信長公の愛馬がこの池に落ちた事からこの名がついたみたいですね。別名「雨乞いの池」とも云われ、干ばつのときには信長公の馬の鞍を引き上げ、池の畔のボタン桜の大枝にかけて祈祷すると、必ず雨が降ったんですって~^^。なんとも神秘的で静かな佇まいを醸し出している御池でした。

風情漂う越知神社の鳥居をくぐり階段を上ると、まるで殿池を上から見守るかのようにトチノキの御神木がどっしりと存在感を放っていました。そして、室堂と護摩堂があります。

神社の本殿は、そこから更に右手の階段を上がった高台に、反対左手の山道を進んでいくと奥の院へと向かうことができます。

 


 



上りつくと立派な越知神社の姿に驚きです。しかし、ワイヤーで固定されているのにも関わらず、傾きかけてきている本殿の姿には、この冬の訪れを心配してしまう気持ちを隠し切れませんでした。大丈夫でありますように・・・。

そこから、元来た道をもどり奥の院へ向かいます。



大師堂・千体地蔵尊

 


神宝庫・奥之院(御祭神/大己貴神)

 

 

参拝後は別山の展望台まで足を延ばして、昼食のおにぎりを頂いたのですが、ぐるりと展望台までの道すがら、あちこちにヒラヒラと飛び交う十数匹の蝶々を見かけ不思議に思っていたら、

ナント! あな^^嬉しや~♪ この山にも ”アサギマダラ” が旅の途中で羽を休めに滞在してるもようです。うわぁ~、こんなところで再会できるなんて、喜びもひとしおです。ありがと~☆


そういえば、先日の新聞で池田の部子山に飛来したアサギマダラの写真を見たばかりだったことを思い出した。さっそく、その新聞を引っ張り出してくると~^^;;;

 

うそぉ~! ちゃんと書いてあるじゃないか^^;

『県内では、9月末まで越知山や足羽山などで見ることができる。』 んだってぇ===333

 

そうかそうか^^vなるほど~
アサギマダラちゃんが
私をここに呼んでくれたのよネッ^^;;;(しゃあ~わせ~♪)

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夢のお告げにより発願再興

2021年02月02日 | 途中下車の旅

令和3年1月31日(日)参拝

・弁財天白龍王大権現 (福井県吉田郡永平寺町竹原31-9)

 

 

先日の龍神さま検索中、なんと^^白龍神社なるものも発見!
ほんなら^^; ここも行ってみたいと、お休みの主人に頼み^^連れてってもらうことに。。

主人、、なんでここに行く・・^^? いや、話せば長くなるんで、またあとで~♪

 

神社のパンフによれば・・

養老元年(717)泰澄大師の開基された平泉寺がかつて48社、6000坊の繁栄を極めていた頃、この弁財天の奥大地にもその末寺辰の防、福千坊の寺院や白山神社等があってこの辺りも栄えていたようです。当時、その伽藍(がらん)の一部として弁財天がお祀りされました。

天性2年(927)一向一揆の兵火により平泉寺と共に焼失。しかし、大阪在住の材木商朝井末松氏が受けた夢のお告げにより発願再興して今に至ります。

ご神体は白龍(白蛇)にて、山肌にある大岩の亀裂に白蛇の姿 “へびがみさん” をみることができるという。弁財天の化身が白蛇ということで商売繁盛に御利益があるとして多くの参拝客に “へびがみさん” は愛されているようです。

 


拝殿横の橋を渡ると、奥の高台にみえるのが本殿です。
その右手奥には金刀比羅宮が祀られてあり、本殿左手にあたる山肌の大岩に “へびがみさん” が祀られています。その前には、不動明王がデンと見守っているかのように鎮座。

 

 

その山肌には、他にもいくつかの小さなお社がお祀りされています。
その中には、黒龍と書かれたお社もあり、黒龍さまに呼んで頂いたのかと思うとつい感慨深く、お賽銭ふんぱつ^^;;;(笑)

そして、その近くで凛として佇む石像が、人々に恩恵を与えて見守っていてくださる弁財天のお姿です。でも、その横顔は、まわりが雪景色のせいかチョット物悲しげでもあるような気が・・。


 

  

そして、その一帯からは少し離れた場所に、ポツンと薬師如来が祀られてありました。(なんで、、あんなに離れていたんだろうか?気になるなぁ・・)白山神社跡のなごり・・^^?

 

 

ちなみに、この辺りの白山神社を参拝したのは、今から3年前になる。頑張ってたんだ・・私^^; まッ、気ままに歩けたのは主人さま様でもあるんだけど~^^;;; ありがとう~☆ これからもよろしくお願いします。

 

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九頭竜伝説

2021年01月29日 | 途中下車の旅

ついこの間^^ドラゴン? らしきものを見かけた@@・・
っと言っても、空に浮かんで風になびく一筋の雲に過ぎないのですが、、

でもそれは、どう見ても小さな羽が生えた竜にしか見えなかったの^^v

まあ^^還暦過ぎれば老眼も進み、見間違いって事も多々ある・・我が身だけで喜んでいればいいのかもなぁ^^;なんて思っていたら、今度は目の前に九頭竜が姿を現した^^;;; 
って言っても、ただの絵^^なんだけどね~♪(笑)

今は何もせんでええよ^^;っても、、なんかしら、ソワソワして、龍神様に会いに行ってこんなアカンのかしら~なんて思い描いてしまったりなんかしちゃって~~☆

でも、何処へ行けばいいのか・・?

そういえば、白山を開山した泰澄さんの目の前に、十一面観音様の化身として姿を現したのは九頭竜だったんですよね~~☆ 

福井県内には大きな「九頭竜川」も流れております。ムキムキ^^好奇心いっぱい検索をかけてみたら、不思議な物語に遭遇しました!

 

まずは、この九頭竜川の名前の由来について
『九頭竜川物語』(建設省近畿地方建設局福井工事事務所)より

 1. 寛平元(889)年、平泉寺の白山権現が衆徒の前に示現され、その尊像を川に浮かばせたところ一身九頭の竜が現れ、尊像を捧げいただき流れ下って黒流大明神社の対岸に着いた。それ以降、この川を九頭竜川と名づけた。(『越前名蹟考』)

 2. 承平の頃(931年頃)、国土を護るために国の四隅に黒竜大明神が置かれ、このうち北は越前の崩山であった。(東は常陸の鹿島、西は安芸の厳島、南は紀伊の熊野、北は越前の崩山)この黒竜大明神の祭神は水体、黒竜王であり、その前を流れる川を「黒竜川」と呼ぶようになった。黒竜と書いて クズリュウ と読ませた。(『国主記』)

 3. 『大乗院寺社雑事記』(1480年)の絵図に「崩川(くずれかわ)」という名前が見られ、『太平記』には黒竜神社を「クズレ明神」と記している。

 


平泉寺 白山神社に伝わる伊邪那美尊と九頭龍伝承より~
http://www.tukinohikari.jp/jinja-siga/topics-ootsu-miikuzuryu/index.html


九頭龍は、

総社穴馬神社(福井県大野市野尻54-1-2)のある九頭竜湖周辺で生まれ、
平泉寺白山神社(福井県勝山市平泉寺町平泉寺56-63)で子胤(こだね)を得、
黒龍神社(福井県福井市舟橋9-29)で子を生んで、
毛谷黒龍神社(福井県福井市毛谷3-8-1)で子を育ててから、
三井寺(滋賀県大津市園城寺町246)・閼伽井屋の「三井の霊泉」に渡っていった。

・・と推測される。

 

と、あるんですよ^^; 私もビックリ! もの凄い妄想です^^;;;
こんなスケールの大きさに度肝を抜かす一方、でも、もしかしたら本当かもしらんなって思ってまう私って、、、どうよ^^? って話になってしまうですけどネッ
(笑)。

そうか^^、 毛谷の黒龍神社ですね。こちらへ伺えば、龍神様に会えるという訳なんですね^^v 
思えば、私にとっては白山神社がらみの参拝となり三度めの正直になります。やっぱ、ご縁があったのかもかも^^と喜んでしまいました。


で、いつがいいかしらと日取りを選んでいたところ、毎月最初の辰の日におまいりする初辰まいりというものがあるそうです。じゃ^^2月の初辰1日にしようと予定。

ところが昨日、、、

アカン!今日の方がいい日なんやでぇ~☆
今日でなけなアカン!!! ってばかりに^^;  いま、行こう。 今やって~^^v と・・(何処からともなく届いたメッセージが叫ぶものですから~~ m(__)m )

それに加えてその前夜、娘が録画してあったある映画を偶然目にして・・


第15回 大阪アジアン映画祭 ABCテレビ賞作品「愛について書く」(2019年フィリピン)

 

もお@@!ビックリ!!!  まるで自分を見ているような映画なんです^^;;;

キャァ~^^ジャンヌダルクは実在したんだ! 本当に神の声を聴いたのネ~ッ!

なんとも、毎度トンチンカンな馬鹿バカしい妄想で申し訳ないのですが、、

そんな興奮状態のまま、その夜は床に就いたのでした(^笑^)。

そして、一夜明けた28日の朝・・今日でなけなアカン! とばかりに今でっしょ^^;ってなわけになりまして、それ行け!やれ行け~!今ゆけ~^^!取るものも取敢えず、毛谷黒龍神社へ一目散に駆けつけたのです。

 

ほやけど、すみません^^;あんまし慌てていたもので携帯ど忘れ^^;残念ながらお写真UPできませぬ・・。

私のつたない写真よりも、遥々遠くより御参拝頂けましたこちら様のお写真とてもステキでしたので^^ご参考に暫しお借り致したいと思います。。
https://ameblo.jp/teruma-blog/entry-12253104096.html

 

皆様どうでしょうか^^、毛谷黒龍神社が、パワースポットとして親しまれている由縁も解っていただけましたでしょうか^^?

私も、三度目の正直となりました今回は、気合を入れ直して参拝に望ませていただきました。龍神様よろしくお願い致します。。

そして、滞りなく順繰りに参拝を済ませて去ろうとしたその時^^;;;
あろうことか忘れちゃいけない神社を思い出しまして、、あっ、白山神社まだだった・・アホぉ~~!!!

なかなかこの時期、高台へ続く石段へ足を運ばれる参拝者は少ないようで、ポツンポツンと雪の中に残る大きな足跡のくぼみを辿りながら白山神社に向かったのでした。

 

すると、なんとまあ、、どうしましょう!!!

ほっかあぁ・・^^! ほやで^^、ほやったんかぁあああ^^;;;

ほやなぁ~~。ほらぁ~、早よ行ってこいって言ってくる訳やわぁ~~~^^;

しかし、こんなして、ほやほや^^;ばっか言って突っ立ってるわけにもいかず、なんとかせんなアカン。

ほやけど、、私ひとりで動かせるかしら・・^^!?

 

実は^^神社の鳥居に、雪で折れたらしき大きな枝がバッサリ倒れかかっていたのです。しかも、手前には数人の手を必要とするほどに大きな枝の塊がゴロンと鳥居前を塞いで仰向きに横たわり、生々しい割き傷が痛々しく天を仰いでいたのです。

とりあえずその場は、もたれ掛かっていた太い枝を力任せに押し倒し、周辺に散らばっていた小枝を拾い集めるぐらいしか私には出来なかったもので、後の事は社務所の方にお願いをしてまいりました。

この白山神社の鳥居はこじんまりとした小規模な鳥居なのですが、こんな惨状だったにも関わらず、大きな損傷は見受けられなかったのが不思議なくらいでした。でもまあ^^;こんな私でも少なからずお手伝いができたことに少し幸せを感じたものです^^;;;

 

さて、こうやってせっかく福井市街までやってきたのですから、舟橋の龍神様にもお目通りしてこなくてはと思い立ち、一路、舟橋区の黒龍神社へも車を走らせます。

フェニックス通り沿い、九頭竜川の堤防を背にして黒龍神社は鎮座しております。一方通行道路沿いにある神社のため、車で行くには住宅街を迂回しなければならないのでちょっと手間取ってしまいました。

こうやって、九頭竜川を背にしている神社に佇んでいると、なるほど^^;この地に龍神様は流れついて、ここから毛谷へ飛んで行ったのねぇ~~^^;;;そっか、そっか、、足羽山の麓は子育てには良い場所やからね~~とひとりでニンマリ^^v(笑)。

 

もう、なんの話をしていたのか自分でも分からなくなってきてしまいましたが、龍神様の伝説って福井県だけやなくてあちこちに伝わっています^^ あなたも、あなたの町の龍神様に会いに行ってみてはいかがでしょうか。

 

ここまでお読み下さった皆様^^; 貴重なお時間さいて私にお付き合いくださり有難うございました。

そんなこんなで、28日は龍神様と穏やかな一日をまったりと過ごしておりました。

 

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文殊山登山

2020年11月25日 | 途中下車の旅

今年最後の三連休、皆様はどう過ごされましたか? 私は、越前五山のひとつ「文殊山」に挑戦して参りました^^v

っといっても、標高365mの低山ですから、そんな大げさに挑戦っていうのもなんか、、気恥ずかしいのですが^^;;;私にとっては云十年ぶりの本格的^^;登山です。いやね^^;以前から主人に文殊山に登らんか^^泰澄さんゆかりの山なんやで~^^と誘われてはいたのですが、膝の具合も芳しくないこともあり山登りというだけでダメやなと諦めていたこともあります。

そんなところへ、先日の福井新聞で文殊山の山頂に本堂が再建されたという記事を目にします。

 

 

三年前の台風の影響で本堂は半壊。しかし、善意の募金により今月13日に新本堂の落慶式を厳かに迎えることができた。屋根瓦などの資材は人が背負って運んだとも聞きます。泰澄大師の偉大さもあるのでしょうが、古来より人の身体に漲る神秘的な力にはとても計り知れないものがあるのかもしれませんね。

そして、私もそんな不思議な力に引き寄せられたひとりなのかもしれません~(笑)。

今年は星座的には200年に一度の大きな時代の転換期で、12月22日を境に地の時代から風の時代に切り替わるんだそうです。そんなタイミングで本堂が建て直されたのも意味があることですよね。風に壊された旧本堂ですが、来る風の時代は風に打ち勝てる力強さを誇りたいものです。

 

 

さて、洗濯干しながら考えあぐねていた三連休日曜日の朝のことです。

岡本・大瀧神社の大宮まで登れたのだから、もうちょっと頑張れば行けるか・・?
このタイミングを逃したら、文殊山に登れる機会はもう訪れるとも限らないだろうしねぇ・・。
明日はお天気が陰るみたい。今日行こう! 主人に直談判!(爆)←なんか母に似てきた~^^;

 

「だいじょうぶか? お母さんの足やったら登るのに2時間以上はかかるかもしらんなぁ・・」

「えっ@@?  たぶん・・だ、大丈夫^^; なんとかなりそう~~~^^;;;」

そこからは、猛ダッシュで準備に取り掛かり、取るものも取り合えずみたいな感じで慌ただしく家を後に鯖江に向かった。なんせ、家を出発したのが10時頃でしたから、早く登り始めなければ下山が夕暮れになってしまいます。

 

さて、文殊山への登山口は10ヶ所もあるとの事。主になる登山ルートを調べてみました。

・角原コース  〔約40分〕  大文殊に直行する最短コース。 
・二上コース  〔約50分〕  福井市街地に近いこともあり人気コース。 
・大村コース  〔約1時間〕 急な坂道がなく誰でも登れる楽々コース。 
・大正寺コース 〔約50分〕  文殊山南側からは一番の人気コース。 
・南井コース  〔約40分〕  奥の院への最短だが最初は急峻。 
・四方谷コース〔約1時間30分〕 急なのぼりの後は尾根伝いに奥の院へ直行。 

 

私達は、主人も登ったことがある一番人気の大正寺町の登り口から入山することにします。

こちら、大正寺町には白山神社があります。参拝記録を辿ってみるともう9年前になるんですね^^; あの頃 なんも分からずただただ歩き回っていただけの日々だったのに、いま思い出すと涙が溢れてきます。有り難いですね。さあ^^気張って登るぞ^^!

 


っということで^^;;; なんとか、かんとか、、小文殊(標高296m)に到着。


小文殊の室堂には、聖観音菩薩が祀られています。室堂の前には御神木の天狗杉(昔、天狗が棲んでいたとか^^?)が大きくそびえて登山客の安全を見守っています。

(写真UPしていて気が付いたのですが、天狗杉の根元に人工的な青い珠を発見^^?なんやろ・・・。)

 


ここは、地形が広く開けて休憩場所も整備されています。福井市方面から登ってくる人との合流地点にもなっているせいか、到着すると大勢の行き交う登山客で賑わっていました。

案の定^^;ここまで登ってくるだけでも健脚な人の倍以上も時間がかかってしまった私達。どっかり腰を下ろし身体を労わりつつ遅くなってしまったお昼をこの広場でとることにしました。


ここから、頂上の新本堂が建つ大文殊を目指します。途中、展望台から遥か遠くよりエールを送ってくれる日野山の姿に元気をもらい、紅葉が進む山道をアップダウンしながら真一文字に進みます(笑)大げさやけど、正直^^;そんな感じやで^^;;; ガンバレ~とにかく行かねばならぬ^^;みたいな~~ネッ(汗)←あッ、そんなシンドさは私だけやったかもですが^^;

 

 

    

 

ヤッタァー! 程なくして、大文殊に到着いたしました^^v

 

    

本堂には文殊菩薩が祀られています。

 

本堂の前に、落慶式の賑わいを写した新聞記事(日刊福井)が張り出してありました。

新本堂は寺務所も構える23平方メートル、旧本堂より一回り大きくなった。徳毛住職は多くの人の支援に感謝し「みんなで再建したものだからみんなの宝」と笑顔を見せた。


なんもご支援できませんでしたが、私もその宝に辿り着けただけで嬉しいです。ありがとうございます^^v

 

さて、主人はここまでは登って来たことがあったのですが、奥の院までは行ってみたことが無かったらしい・・・。

ほんで、、、奥の院まで行く気満々==333 まだ行くのかぁ~^^;;; 

ここまで連れてきてもらったら、私も行かざるを得ない!

 

  

    

    

 

そうそう、この「胎内くぐり」を抜けて進むのです。邪心を捨てんなアカンのですって^^;

いざ、奥の院(三角点 351m)へ~~♪ 

 

    

奥の院(通称、大汝)には、阿弥陀如来と大己貴神(大国主神)が祀られています。

 

時は刻々と過ぎていきます・・空も陰ってきた~。もうそんなにのんびりもできず即刻下山する。元来た道を黙々足早に戻ることになったのですが・・

このペースでは夕刻5時までに下山できるかどうかの私ら、、無謀にも時間短縮を試みて大正寺町のお隣、南井へ下りられるルートを選んでみることにしました。

南井コースは、奥の院へ行くには最短ですが急峻とあります。

なるほど、なるほど、、これは登るには覚悟の根気がいるのは確かですね^^; でも、下るにしても足腰への負担が尋常なく襲ってきます。こりゃ^^;しんどいってもんじゃないほど、しんどかったでっすぅ~~@@;;;それこそ何度いっぷくしたことか(笑)。

それでも、お陰様で夕刻4時半過ぎには下山できてホッと安堵できたのですが、大正寺町の駐車場まで歩かなくてはならない難関が待っていた(笑)ちょーど、5時到着でした^^;

今、こうやって振り返ってみると、まるで修行のような一日だったのですが、とっても楽しかったです^^

湧かしたお湯で熱々のカップラーメン。頂上では、主人が入れた美味しいコーヒーも頂けたよぉ~♪ 翌日、心配していた筋肉痛もなかったし、私って意外とタフなんだと思いました。膝の具合は相変わらずだけど・・まあまあ^^しあわせ。。

 

しかし^^;実は帰宅後、重大な事実を知ることとなりました。

なんと! 文殊山を下山する途中は、決して振り返ってはいけないという言い伝えがあるんだそうですね。振り返ってしまうと、神様の罰が当たって、せっかく授かった知恵がなくなってしまうんですってぇぇぇぇぇええ!!!

うわぁあぁぁぁっぁああ~ん@@;;; 嘘やろ!知恵も希望もみんな無いやぁ~ん!

 

まッ^^;いいっかぁ===333 こんなオバちゃんに、そんなに必要ないもんネッ(笑)

 

 

追記:プロが教える文殊山登山 ~準備から下山まで~
   私達のように勢いあまって痛い思いをしないために、ご一読お薦め致します。。。

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銀杏のミラクルマジック

2020年11月09日 | 途中下車の旅

第69回目となった今年の「たけふ菊人形」も昨日8日に無事閉幕した。

新型コロナウイルスの感染予防のため、何もかも縮小せざるを得ない状態でしたが、来年お祝いする70周年のための飛躍するバネになっていたらいいですね。


閉幕の翌日。今朝は、お天気予報とは真逆な青空が広がっていた。

そうなのよね^^どうしようかな^^;って考えていたところへ、「おいで~! 来て、来て~~! はやく~~♪」って、どうやら空が私を呼んでいるようです(笑)。

っんもぉおお^^; 行く、行くから~ ちょっと待ってってと、洗濯~掃除~~!

ようやく出かける準備が出来た頃には、待ちきれない青空は先に行ってしまったらしく、ショボショボと雨が落ちてきそうな空模様に変わる。やっぱ本日も天気予報は的中かな^^;;;

「ちょっと~今立のお宮さんまでお参りに行ってくるわ~^^」と母に告げ家を出る。

はい^^岡本・大瀧神社まで、たけふの夢の御礼にひとっ走り~~してきました!(笑)

 

今年の菊人形のテーマは『ファンタスティックパーク 魔法の世界』でしたが、その魔法がここにも飛んできたような現象に神社で直面。。。

車を駐車場に止めて鳥居まで歩いていくと、目の前に突然姿を現した一台の大きな観光バスが鳥居正面にピタッと停車。観光客がゾロゾロ降り立ってきます@@!!!

 


富山ナンバーのバスです。うわっ^^スゴイ!すごい!凄~~ぃ^^v

鳥居前には、ハッピを着た2人の地元の語り部ガイドさんがお出迎えをされていましたので、ちゃっかり私もその集団の後についていき観光客気分を味わう^^;;;

 

   


そこへ、なんとナント^^v  またまた観光バスが、お待たせ致しましたと2台も滑り込んできたのです。



今度は地元のバスです! 二人いたもうひとり人の語り部さんは、このバスを待っていたようですね。キャァ~^^なんて素敵な日なんだろうか~♪ 

ようこそ^^v ありがとうございます。。観音堂からどうぞと語り部さんが皆様を案内していきます。


 

今のうちにと、私は観光客から離れると一足先にひとり神様のもとへと急いだ。たけふの幸せだった日々の報告と御礼を静かにする。ほどなくして観光客がなだれ込んできた。

 

 

 

 

 

 

そして、銀杏の絨毯に無数の足跡だけを残して、バスは何事もなかったかのように静かに走り去っていきました。ある意味、これは神様のマジックだよねー!

神社を後にしたとたん、堪えていた雨がポタポタと落ちてきます。ありがとうございました。

 

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桜の社 平野神社

2019年12月16日 | 途中下車の旅

令和元年12月14日(土)参拝

平野神社 京都府京都市北区平野宮本町1

 

 

京都といえば、南座の夏を楽しむものばかりだと思っていた私でしたが、今回は4年ぶりの公演だという先斗町歌舞練場での OSK日本歌劇団『男舞』に誘われて冬の京都へ降り立つことになった。先斗町歌舞練場へは初めて訪れるものでちょっとドキドキ^^;する(笑)。

でもその前に、せっかく京都まで行くのであれば、奈良の三郷町を訪れた際に引き寄せられた「久度神社」の久度神さまが、平安京遷都のさいに遷されたという「平野神社」まで足を運んでみることにします。

久度神はなぜすぐに戻ってこなかったのでしょうか?  戻って来れなかった訳があったのかも・・?

始発列車の鈍行にのんびり揺られながら京都を目指します。京都駅からはJR嵯峨野線に乗り換えて円町駅で下車。そこから西大路通を北へ真っすぐ30分弱歩いていくと平野神社に到着の予定^^。

円町に降り立ってもまだ8時前です。時間は有り余るぐらいにたっぷりあります。とにかく北へふわふわ導かれるまま歩いていく。途中、何か物言いたげな教会を見つけて脇道へ入ってみる。気になる掲示板に目をやる。

   

まだ朝が早いせいか昨日のカレンダーのままでした。そうか昨日は13日の金曜日だったんだぁ・・とか思いながら、とっさにはその意味を呑み込めなかったのですが、とりあえず今はそのまま写真に納めると先を急ぐことにした。

大通りから一本脇道に入ってしまったが、とにかくそのまま北へ真っすぐ歩いて行けは神社に突き当たるはずです。

 

まだかまだかと歩き進めていくと、思いもしなかった嬉しい光景がそこに待っていてくれた~^^v  
なんと、、桜ですよ! 一本の十月桜がまだ花びらをわずかに残し朝日を受けてしっかりと咲いています。

 

 

 

この十月桜が迎えてくれた細い道は通学路になっているようですね。平野神社の大鳥居はもうその先すぐにあります。大通りへ続く左側の道を行くと平野神社の南門(京都府の登録文化財指定)です。   

   

 

さあ、こちらが正面の大鳥居です。
扁額には「平野皇大神」の輝く文字が朝日を受けて燦然と輝きを放ってとっても美しいです。

 

  

鳥居をくぐると、参道の奥に東神門(京都府の登録文化財)があり、おみくじや御守りの授与所となっています。
社務所前には、御神木にも相当するような大銀杏がそびえ立って、桜の神紋が入った朱色の灯籠とのコントラストが空の青さと相まってこちらもとっても綺麗。

 

 

さて、その神門をくぐった先には、昨年の台風で倒壊した拝殿の復興作業が執り行われるようです。
土台のみを残した拝殿跡は、復興を見守るいくつもの提灯に取り囲まれながらシートに包まれ静かに佇んでいました。

枝を天に大きく茂らせている御神木のクスノキが、寄り添うが如く傍らで心配そうにのぞき込んでいる光景が印象的でした。大丈夫やで~、貴方がしっかり立っていたらいつかまた蘇るような気がします・・・。

 

 その右手横には、小さな仮の拝殿が建てられています。

もしかしたら、この場所で「サクラサク復興コンサート」が開催されているのでしょうか^^
神社のHPによると、毎月25日に倒壊した拝殿の復興支援の活動として続けられているようです。
16回目となる今月の曲目を眺めると私にも様々な思い出が蘇ってきます。ハープの音色きっと素敵かも~♬

 

そして、その奥へ進むと本殿なのですが、またまた^^見事に咲く十月桜を見つけて思わず駆け寄ってしまいました^^;なんと、なんと! 足元には可憐な水仙が花を咲かせています。

  


 

お待たせいたしました^^v やっと、平野神社の本殿(国の重要文化財)です。。。

 

玉垣の向こうに、二殿一体となったご本殿が2棟建ち、ご祭神四座が今木皇大神より順に右側より祀られています。
そして、摂社として縣社も本殿並びながら、少し離れて一座のみで鎮座しています。

ご祭神  今木皇大神  (いまきすめ おおかみ) 源気新生・活力生成の神       
     久度大神 (くどの おおかみ)   竈の神・生活安泰の神
       
               古開大神
 (ふるあきの おおかみ) 邪気を振り開く平安の神       

     比賣大神 (ひめの おおかみ)   生産力の神

摂 社   縣社(あがた)

 

 

境内末社(本殿北側)
 
左手から四社「春日社(言霊の守護)・住吉社(和歌の守護)・蛭子社(水子の守護)・鈿女社(芸能の守護)」離れて「八幡社」を祀る。

 

境内末社(正面大鳥居をくぐり参道右側) 「出世導引稲荷社」・「猿田彦社 

 

 

そうそう^^忘れるところでした。もう一度、ご神木のクスノキまで後戻りして見てくださいね~。
このご神木の根元に「すえひろがね」という不思議な力を持った霊石が祀られています。

鉄分が多く含まれた餅鉄(べいてつ)という日本最大級の石です。
重さは約200キロ。鉄分70%で形成されているため磁石がくっつきます。

 京へ都が遷された頃からみちのくとの往来は盛んでありました。そして古くから不思議な力を持った石の存在は知られていました。三種の神器のひとつもこの石から作られていたという話もあります。村のひとたちにとっては、不思議な力を持っていることから、粉にして邪気を吸い取る薬として用いられていました。また古くは神様が宿っておられるのではないかとも伝えられ、神秘の石”鉄尊様(てっそんさま)”と崇められていました。

 平野皇大神(ひらのすめ おおかみ)は活力を与え幸せへと導いてくださる神様、生命の象徴でもある樹齢400年をこえる大きな楠の元にお祀りしました。参拝者の皆様には「すえひろがね」の名前のごとく、未知なる力を授かって、嬉しきこと楽しきこと多く幸せに過ごしていただきたいと願います。(授かる守いわれ書きより) 

  

この霊力を授かるための磁石が入ったお守りがあるのですが、それが「授かる守」。「すえひろがね」につけて霊石から未知なる力を授かることができます。せっかくなので、私もいただいて参りました^^v

 

 

 

平野神社は古くから桜の社として知られていて京都では桜の名所にもなっているようです。

なるほど、参拝後に歩いてみると境内を埋め尽くしている桜木の数が半端ないのがわかります。見渡す限りどれもこれもみんな桜の木です。悲しいかな^^;今は冬なのでその見事な華やかさを想像するしかありませんが、きっと幸せでのどかな風景がそこに満ち溢れているのだと思います。

  

 

大通りへ抜ける桜のトンネルです。満開の景色を夢見つつ西の鳥居を目指して歩いていたら、凄い^^!
ここにも十月桜が満開^^v嬉しい~♬ まさか、12月になっても桜のお花見がこんなに楽しめるとは^^

  

 

もしかして、久度神さま、、桜づくしに覆われたこの社で帰るべき聖地を忘れてしまったのだろうか・・?

どだい、こんな凡人の私に分かるはずもないのですが、ここはあまりに居心地が良すぎるのかもしれない・・・。

さあ^^これから、「すえひろがね」から授かったお守りを胸に先斗町歌舞練場へ向かうことにします。

大丈夫だいじょうぶ^^このお守りがあればなんとかなるから~^^;;;

 

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久度神社

2019年11月24日 | 途中下車の旅

令和元年11月23日(土)参拝

・久度神社 (奈良県北葛城郡王寺町久度4丁目9-1) 


 

本日は、三郷町文化センターで公演される『歌劇 ル・トロワ』へ、恒例の桜花参りに出かける^^;


三郷町へは王子駅から近鉄に乗り換えて信貴山下駅まで一駅。
なんと@@!歩いてもそんな大した距離やないことを初めて知った。徒歩15分ぐらいです。

ほぉ~なんやぁ~~、方向音痴の私は、電車に連れてってもらう方が手っ取り早くて安心ゆえ今まで考えもしなかったのですが、そんなに近いのなら開演まで時間はたっぷりあるし、のんびり散策しながらテクテク向かうのもいい案かもしれません。

今回はどこ行く神社の宛てもなく、地図上をあちこち散策してみたところ、着て着て!とばかりに目に飛び込んできたのが、この「久度神社」^^


”クド” っちゅうたら、そりゃもう ”九度山” ぐらいしか私の頭に浮かんでこないものやで、
えぇ~!!!  もしかして九度山と一緒なんかしら@@?なんて思ってまう^^;

(違う!ちがう!なんでもいっしょにすればいいってもんでもない!)

そりゃそうでしょうが^^;なんか気になるこの久度神社!?  ・・で、住所を調べてみると@@ビックリ! 

行く行く!!! 何があるのか行ってみたい。なぜか行かなあかんような気がしてきた~(笑)

っということで、事前に神社の下調べをして当日を待つことに致しました。

 



 

◆ 久度(クド)神社 (奈良県北葛城郡王寺町久度4丁目9-1) 

JR「王寺」駅下車、10分ぐらい歩いて到着。大和川の南岸堤防を背にして鎮座しています。

 

 


境内案内板 より  
 当社は続日本紀に延暦二年(西暦783年)官社に列せられたとあり、延喜式神名帳(西暦927年)にも載っている古い社です。  
 また延暦十三年(西暦794年)平安遷都に際し創建された京都市北区の平野神社第二座に当社から遷されて久度神が祀られています。  
 久度神の『久度』は『窖』の意味で御厨神の総称であり『竃(かまど)の神』(伴信友説)といわれています。 
 
久度神社には現在久度神のほか八幡(寿命・幸福の神)、住吉(水運・交通の神)、春日(子孫繁栄の神)の神をおまつりしています。


今日は澄み切った青空が広がる日本晴れのすこぶるぽかぽか陽気^^紅葉が青空に映えてとってもきれいです。

  


鳥居には「徳維馨(とくこれかぐわし)の扁額。
「御神徳があまねく行き届く」というような意味らしい^^;

 

 

http://www.y-tohara.com/nara-kudo.html

平安遷都後、平野神社鎮座に当り、久度神を京へ奉遷。
約一千年もの間、主祭神の久度神不在となる。

明治初年には、品陀和気命(八幡神)を主祭神として、天児屋根命(春日神)、底筒男命(住吉神)を祀る。(中央に八幡神、右に春日神、左に住吉神)

昭和17年  橿原神宮の古殿を移転して拝殿・瑞垣・齋館・中門等を造営。

   

昭和43年、京都平野神社より久度神の御神霊を迎えて現在の四神を祀る。
翌年、本殿造営完工奉祝に執る。 (右(東)より、春日神、久度神、八幡神、住吉神の順)

 

この地区の名前「久度(くど)」とは「窖(かまど)」を意味しているとある。

そして、更に「窖」の漢字を調べてみると、深い、あなぐら、物を蓄えるために掘った穴などのような意味をもっている。煮炊きの設備を「かまど」、空間そのものを「くど」と呼んで区別している地域もあるとのこと。

そうなると戦にまみれた時代、この集落辺りに財宝を隠したとか^^;ひっそり人里離れ隠れ潜んでいた人がいたかも^^? そんなアホな空想物語を想像しながらひとり楽しんでしまいました(笑)。


そういえば、神社裏の大和川沿いの道は400年前、大坂を攻める徳川軍が実際に通った道なんやそうです。

神社参拝を終えて神社裏堤防の道路へ上がってみれば、本殿裏に流れる大和川のちょーど向こう岸辺に三郷町の文化センターがあることに驚いた。こんなに近かったとは^^;すぐ真後ろです。

 

 


慶弔20年(1615)大坂夏の陣
徳川方.伊達政宗軍、先鋒を務めた片倉小十郎が、龍田道、まさしくこの三郷町文化センター前を通り、大阪へ進軍したという記録。

豊臣方の蒋、真田幸村の娘、阿梅がいいかなる経緯か、敵方の片倉小十郎の妻となり。御年、東北に真田家が続いたという事実があるという。(『歌劇 ル・トロワ』公演チラシより)

 


王寺町と三郷町を繋ぐ194号線にかかる明治橋上から眺めた景色です。

さあ今から向かうは、三郷町の文化センターで行われる『歌劇 ル・トロワ』三人の男女が時代の渦に巻き込まれていきます。そして、、私もその時代にタイムスリップ・・・。

 

 

『風にな散らし』 作演出: 北林佐和子

 慶長20年(1615年)大坂夏の陣道明寺合戦で、徳川方と豊臣方として相まみえた片倉小十郎と真田幸村。そこに幸村の娘阿梅が加わり、寄しき縁で結ばれることとなった3人の愛の物語を、歌劇ならではの華麗な表現で描きます。

三郷町ゆかりの万葉集「わが行は 七日は過ぎじ 龍田彦 ゆめこの花を 風にな散らし」に、龍田道を道明寺に向けて行軍する小十郎の心情が重なります。

 

 出演 :  桜花昇ぼる(元OSK日本歌劇団トップスター)    
     鳴海じゅん(元宝塚歌劇団星組男役スター)    
     沙月  梨乃(元OSK日本歌劇団娘役トップスター)

 

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