今年最後の仕事・・・パースと図面を施主に送りました。
御覧になった施主は「ほっこりする」と言われました。
パースは手描きです。「柔らかい線」と喜んでいただけたようです。
まだまだ漠然としているキッチン。
「こんなふうになる」という事を理解していただく事と「これを元に、本当にしたい事は何か?を考えてみてください」という二つのメッセージを込めています。
最近、完全に手描きのパースになっています。
3Dのパースを否定するわけではないんだけど、なんだか「へぇ~すごい」というだけで、感じられるものが薄い気がしてしまいます。
それはパースを作る側も同じじゃないかと思うのです。
手描きのパースは、ペン(等)を手に持って描きます。手を使うというのは「想像する」事も伴います。
3Dの場合どうしても「データーを選ぶ」「描画を調整する」という作業が多いように思うのです。
手描きの場合には、描く物の寸法や質感を理解する必要があります。
さらに、描いていながら、
施主(建て主)の姿、動き方、暮らし方、を想像している比重が多いように思います。
それから、なんといっても手描きの場合「なんとなく」を表現できるのです。
「データー」には、それはありません。白黒つけないといけないのです。
その違いって、大きいように思います。
手描きだって「なんとなく」のない世界を描く事はできます。
でも、ちゃんと描けなくても「こんな感じ」という表現は
見る人にとって「決めつけられる」わけではなく「気が楽く」であり、考える余地を残せるように思っています。
この絵も、描きこんであるいろいろな物は、私の感覚によるものであるし、施主の持っている物は(検索して探したり似たような物で)だいたいの大きさの検討をつけて描いています。
つまり「なんとなく」「アバウト」なのです。
誰でも、自分の家にある物の寸法を数字で理解しているわけではありません。何かとの相対で「大きさ」を判断しています。という事は絵に描いてある物の厳密な大きさは必要ないという事になります。もちろん全く違うのはいけません。
人間が見ているものは、脳の中で補正されています。写真を撮ると実際に見えているものと違う事は、誰でも経験されている事でしょう。
という事は、厳密に描かれた絵は、人間の感覚として不自然に感じるかもしれないのです。
逆に、描く物の「こんな程度だろう」という感覚は、見る人には自然に受け入れられる物なのです。
その集積である手描きのパースは、見る人には、むしろリアルな感覚で受け入れてもらえるのかもしれません。
そういう「厳密ではない」事が、施主が言った「ほっこりする」という言葉につながるのかもしれませんね。
誉め言葉と受け取って、うれしくなりました。今年最後の仕事がいい感じで、よかったです。
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今年(2021年)最後のブログ投稿です。
今年もたくさんの「いいね」やコメントをいただきありがとうございました。
来年(2022年)も、どうぞよろしくお願いいたします。