私の事務所では、企画住宅をつくっています。
小さな家です。
名前は LWH といいます。
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LWHに共感しました。
狭い家ではないんですね。
小さく住む(小さく済む?)*(なんですね)
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*( )内は、文脈上、加筆しています。
このメールをいただきました。
そして、今、その方とメールでお話しを続けています。
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志田様、
増沢洵の「コアのあるH氏の家」(*1)が大好きです。カッコイイって思いました。
最初は「家は倉庫みたいで四角形で構わない」*(と考えていました。)
まったく知識が無く、工法もまったく知らず、一から勉強をしました。
安藤や清家に始まり岸や坂茂、伊東、みかんぐみ等雑誌の常連から、HPまで読み漁るうちに、「コアのある・・」を見た時、思わずカッコいいって感じました。
車や服、曲ではなく、50年近くの建築物、いや住宅 *(にカッコよさを感じたの)です。
そして気が付きました。
表現とは伝える為にある一定の基準を(誰でも分かる尺度)あらわす事だと。
家の表現は『広い、狭い、古い、新しい、暖かい、寒い、明るい、暗い、高い、安い』位です。私はそんな尺
度ではなく、「楽しい」家に住みたいと思いました。
セルフビルドのように家を作るのが楽しいではなく、
家の中で映画を見て楽しいのでもありません。
家が楽しいのです。
家を表す(表現する)言葉の中に、我が家を人に伝える時には「楽しい家だ」と言えるような家にしたいと。(道案内には使えませんが!)
うまく伝えられませんが、逆にうまく伝えられない程、楽しい家と言えば伝わるでしょうか!
LWHには、その可能性が感じられました。
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*( )内は、文脈上、加筆しています。
(*1)増沢洵 設計 コアのあるH氏のすまい 1953年竣工
これを読んで、本当にうれしかったんです。
それは、問い合わせがあった事ではなく、LWHに興味を持っていただいことでもなく、『楽しい家』という事を、家の基準にまず最初に上げていらっしゃるからなのです。そして、この方の「生き生きとした表情」を感じられるのです。
私も今まで『楽しい』を使ってきました。
楽しい家・楽しく暮す・楽しく住む・・・
でも『楽しい』ってあまりに抽象的で説明し難いのですが、この方のメールにも書かれているように、家を求める基準が、ある意味、数値的に置き換える事ができるものではなく、その家に身を置いた時に、『いいようもなく、わくわくする』感覚を大切にしよう、という事なのです。
増沢洵さんの「コアのあるH氏のすまい」は、家の真ん中に水回りを集めたコアをつくり、そのまわりに住スペースがあります。そして窓を開け放すと庭と一体の空間になります。まるで、東屋(あずまや)のようです。(表現が不適切かもしれません。。)
その家の本質は『自由な暮し』だと思うのです。しかし、昨今のオープンな家とは違った、設え(しつらえ)の感覚があります。自由であるけれど、「楽しそう!」なのです。家の形態が楽しいとかではなく、むしろ家の形など存在しなくなるような設計で、でも、見る人に、そこでの暮しのイメージを沸き立たせるようで、私も好きな家です。50年経っても、その家の本質は薄れません。
そんな「コアのあるH氏のすまい」の発見から巡り巡って、私のLWHにたどりつき、おこがましいですが「H氏のすまい」と同じような気配を感じていただいたのです。
延べ約15坪の小さな家 LWH 詳細はこちら ⇒ 企画住宅 : 小さな家 LWH