河合栄治郎
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思想
教養主義
河合は、日本人には珍しい、自己の哲学を持つ思想家であった[9]。その思想は哲学分野では理想主義、人格主義、教養主義であった。河合は教養主義者として、学外では『学生叢書』『教養文献解説』を編集発行し、『学生に与う』を著し、学内では社会科学古典研究会を主催して、人格陶冶と教養の意義を説いた(昭和教養主義)[10]。
自由主義
河合は社会思想を、現実社会に対する保守、改良、変革などの態度とし、そのために現実社会の科学的分析と、どのような社会が望ましいのかの社会哲学とが必要であるとした(社会思想モデルを提示)[11]。
河合は自らの自由主義を「第三期自由主義」と称していた。河合によると、それは資本主義を無条件で肯定する第一期自由主義とも、資本主義の弊害を認め適宜是正していく改良主義=第二期自由主義とも異なり、個々人の人格の成長に最高の価値を置く理想主義を根底とし、社会の成員全ての人格の成長が実現される社会を理想とするものであり、共産主義や社会主義とは鋭く対立する、というものであった。また、多元的国家論も主張した。
マルクス主義批判
河合は早くから、理想主義(イデアリスム)、人格主義、自由主義の立場から、マルクス主義の否を打ち鳴らし、コミンテルンの批判、マルクス主義理論の批判を行った[12]。
ファシズム批判
さらに時代状況が軍国主義の色合いを濃くする中、次第にファシズム批判の立場を強めていった。1936年に二・二六事件が起こると、河合は『帝大新聞』に軍部批判論文「二・二六事件の批判」を寄稿し、軍部批判・抵抗の姿勢を明確にした[13]。ファシズム最盛期において、面と向かってファシズム批判論を展開したことは画期的なことである。満州事変以降、日中戦争、太平洋戦争直前まで時局評論も行った[14]。
影響と意義
戦後十数年間は別として、その後は河合の名前はほとんど忘れられたに等しい。例外として、河合の後継者たちが社会思想研究会、社会思想社、民社社会主義研究会を創始し、河合の精神を受け継ごうとした。関嘉彦はその後民社党参議院議員となり、猪木正道、土屋清も民社党のブレーンになっている。渡部昇一は河合を尊敬し、朝日新聞批判を行ったときに河合を追想していた。また、1972年、三國一朗司会の東京12チャンネル(現在のテレビ東京)の番組『私の昭和史』に木村健康が出演し、河合のことを語った[要出典]。
理想主義、人格主義、教養主義は、価値観の多様化、科学主義の隆盛、マルクス主義の拡大などによって戦後廃れた。しかしながら、河合がなした社会思想モデルの創出、マルクス主義批判、ファシズム批判は史上長く記憶され得る功績とされる[誰によって?]。
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エドマンド・バーク
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生誕 | 1729年1月12日![]() |
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死没 | 1797年7月9日(68歳没)![]() |
時代 | 18世紀の哲学 |
地域 | 西洋哲学 イギリス |
学派 | イギリス経験論、懐疑主義 啓蒙思想 功利主義 古典的自由主義、保守主義 |
研究分野 | 法の支配、コモン・ロー 政党政治、議会制、政治哲学 美学 |
主な概念 | 本源的契約、合意、時効の憲法、自然の成り行き(見えざる手)、崇高美など |
エドマンド・バーク(英: Edmund Burke、1729年1月12日 - 1797年7月9日)は、アイルランド生まれのイギリスの政治思想家、哲学者、政治家。「保守思想の父」として知られる。ダブリンで富裕なアイルランド国教会信徒の家庭に生まれ、1765年から1794年までイギリス庶民院(下院)議員を務めた。
トーリー党(後の保守党)に対するホイッグ党(後の自由党)の幹部を務めたため、バークを保守主義者ではなく古典的自由主義者に分類する説もある。アメリカ独立革命運動を支持した一方、その後のフランス革命には反対した。反フランス革命の立場をとったので、彼はホイッグ党の保守派派閥の中で率先者となった。彼はこれを「旧ホイッグ」と呼び、チャーリー・ジェームズ率いるフランス革命支持派の「新ホイッグ」に反対した。
主著は1790年の『フランス革命の省察』(原題:Reflections on the Revolution in France)であり、この本はロマン主義および保守主義のバイブルとされる[1]。フランス革命を全否定して、ジャコバン派の完全追放のため、革命フランスを軍事力で制圧する対仏戦争を主導した。また文壇に出るきっかけとなった論文の『崇高と美の観念の起源』は、英国で最初に美学を体系化したものとして有名である。ここでは「崇高美」というひとつの美意識が定義されている。
政治家としては、絶対王政を批判し、議会政治を擁護した。特定の選挙区の有権者の利害を代表しない「一般代表」の理念を提唱した[1]。文章家・演説家でもある。
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