本郷出身で、吉田松陰から教えを受けていた人に、増野徳民(1841~1877)がいます。
人名辞典では、尊攘運動家と紹介されています。
人名辞典では、尊攘運動家と紹介されています。
医者の家系に生まれ、幼少から神童といわれていたそうです。
15歳のときに松陰に師事し、松下村塾の最初の寄宿生であったということです。
増野徳民は松陰から「無咎」という字(あざな)をつけてもらっています。
これは『易経』の「君子終日乾乾し、夕べに惕若たり、厲うけれども咎なし」にちなんでいるのだそうです。
よく読書をする塾生だったようです。
家業を継ぐため、ときどき帰省していたようです。
1862年、藩の役人に捕らえられ、本郷に送還されました。
以後は、医師としての人生を送ったようですが、若くして病気で亡くなっています。
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