『ほのぼのマジック♪』Mr.MANE@山口県のおじ様。~出張パフォーマンス、出演依頼承りますよ~

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妻が天国に旅立ちました。最後の最後まで妻らしく生きました!

2025年02月01日 | 日常の日記
こんにちは!
ほのぼのマジックMr.MANEです。

今回のブログは結構メンタル的に辛い事を書くので特に見なくて大丈夫です。

私自身の思いを正直に書いていきます

このブログに初登場の人ですが、この記事で最後にもなります。


【令和7年1月26日】
結婚してから29年間。
共に歩んできた妻が天国に旅立ちました。

妻は表舞台に立つのは非常に嫌っていたのでこのブログに書くのは初めての事です

なんなら芸人仲間ですら1名しか妻を見たことありません。


【2024年2月】
2024年の2月末に滋賀県で仕事していた私に妻からラインが入る

「癌だって・・・」

一瞬その文字をジッと見てた
ハッ!として直ぐに電話した

山口県の地元の病院で診てもらった所、これはかなりヤバイとの事で岩国の病院に紹介状を書いてもらい岩国の病院で診察してもらった結果が肺ガンでした。

病院の先生が旦那さんも呼んで話をしたいと言うので急遽滋賀県から山口県に帰りました。

自宅から病院に車で移動中
妻はケロッとしてました。
妻は今後に向けて造園の資格とそれに付随する様々な資格を取得して働いてました。

車を走らせていると妻が穏やかな声であの木は〇〇って名前なんよー

そしてあの木は〇〇って名前なんよー

目に見える木の名前を教えてくれてました。

唐突に妻から 

「あのね癌だとしても治療するのはやめよう!私は現代の仕組みについていくの難しいし、人はいつか死ぬんだから私は長く生きたくはないんよね。」

私は反論する気力もなかった

岩国の病院で先生に聞かされた事実は肺ガンで脳に癌が移転してるステージ4B!

目の前が真っ暗になった

妻は咳はしてるけど痛みはない。
肺がんは発見が遅れるらしく発見された時には進行が進んでるみたいである

主治医「このまま何もしなければ1ヶ月から2ヶ月で死に至ります、治療したら余命は1年です。」

夫婦で言葉が出ませんでした。。。

主治医が抗がん治療を始めていきますよの言葉に妻がはい!と返事したのでホッとしました。

事が事だけに直ぐに入院となりました


【2024年3月】
この頃の私は滋賀県に出張だった為に週末は山口県と滋賀県を行ったりきたりだった。

ここから抗がん治療の始まりです。

抗がん剤を4回に分けて使うって事でした

最初の頃は妻も入院を楽しんでました。

食事美味しいー!とか連絡してきてくれてました

ですが病院食は飽きてくるのか段々と摂取量も減ってきました。

この間に大阪に住む息子と話して私が今の仕事辞めて地元で仕事できるように転職する事を伝えたら

「父は今の仕事を続けて!僕が会社辞めて山口県に帰るから!父はその年齢で転職は難しいけど僕なら何とでもなるしねー」

何とでもなる!?

息子がやってるお仕事は山口県ではできない職種だろ!
って思っていたら自力で就職先を見つけてきた。

現代はテレワークもありネット環境あれば自宅で仕事できるみたい

しかもこの職種は転職したら収入増えるとか。
実際にかなり増えてたw

引越し業者の見積もりは大阪から山口県で20万円だとか。
私が滋賀県で仕事してたので3週間に渡り週末を利用して自家用車で引越しした

大阪府と山口県の往復には疲れ果てた

息子が大阪の会社辞めた事で妻は激怒した

「せっかく良い会社に入れたのに辞める事なかったんじゃないの?!」

現実問題として妻のペットの世話もあるので息子が帰ってきてくれたのは非常に助かりました

猫に関しては自動餌やり機と水飲み場を購入しトイレは数ヶ所用意してた。

だがインコに関しては便利な器具はなくて毎日餌と水を替えるのがベストだった


【4月末】
1セット4回目の抗がん剤治療が終わる頃肺ガンは薄くなってきてました。

ですが抗がん剤は脳の癌には効きにくいらしく脳の癌はなかなか小さくなりませんでした

4回の抗がん剤治療が1セットで少し自宅でのんびりできます。

自宅で妻はのんびりしてます

私は病人だから!を盾にのんびりしていますw

食事は私がいる時は私が作ってました。

私がいない時は息子が作ってました
息子が料理上手くて助かりました

この頃の妻は掃除、洗濯はしてくれてました。

どこでどうなるか分からないのでパフォーマンスの出演依頼は全て受けませんでした。
いつでもキャンセルできる現場を選んで大道芸パフォーマンスしてました。

私は妻が病気でこの世を去るとは考えてなく寿命でこの世を去ると考えてました。

パフォーマンスなんか止めて奥さんに寄り添ってあげた方がいいじゃない!

と思いましたがそれをやると妻が逆に気を使うので普段の様にパフォーマンスに出かけてました

いつもの暮らしをいつもらしくやってるつもりでした。

ただ自宅の改造はしていきました。

妻がだんだん体力なくなっていくので掃除機は充電式で軽いやつを購入。

空気清浄機のエアドック購入

洗濯も最短で干せて効率良い様に室内に長いステンレスの棒を取り付けて洗濯場でハンガーに洗濯物を干しそのままステンレス棒に引っ掛けて部屋干しに乾いても洗濯物を畳んでタンスに戻す事なく干したまま保管してました。

その為にまずタンスは全て捨てました。
服の数をグッと減らして残りは処分しました

ある日曜日。

ペットの餌を買いに1人で出かけて自宅に帰ってきたら妻の座ってる椅子の下に大量の髪の毛が落ちていました。。。

妻はジッとその髪の毛を見ながら残りの髪の毛をまさぐっては床に落としていました。

医者からは聞かされていましたが実際に見ちゃうとなんて声をかけたら良いのか分かりませんでした

私を見つけた妻は

「最初からこうなるの分かってたんだから丸坊主にしとけば良かったよ」

そう言ってたけどかなりショックだったんだと思った

鏡は毛布を被せて自身の姿が見えない様にしてた。

ウイッグを何個か購入した。
最近のウイッグは優秀だった


病院では定期的に診察や検査があります。

妻は痛みはないのだが呼吸がしづらく辛いと言ってた。

痛みが無いのは幸いだった!


【5月】
2セット目の抗がん剤治療に入る

抗がん剤4回で1セットです。
約1月半から2か月かかります

この頃の妻は癌に負けない!
と意気込んであれこれ食べていた。
病院食は食べれなくてもお菓子は食べれるみたいであれこれ食べてた

抗がん剤治療2セット目も無事に終了です

次の検査までしばらく自宅で過ごす。


【7月末】
検査日の検査結果は脳の癌が大きくなってるって事でした。

脳には抗がん剤効きにくいし脳を手術で癌を取り除く事はできたとしても記憶や認識障害になるとのことで放射線治療となった。

放射線治療は毎日で連続10日間の治療です。

この治療してる間に妻の顔が日に日にむくんできた!
放射線の治療せいではなく心臓近くの癌が血流の流れを変えての事らしい。(後で知りました)

入院して数日後にお見舞いに行けば顔のむくみは引いてたので嬉しかった。


【9月】
そのまま抗がん剤治療3セット目に突入。

この頃から妻の食欲は落ちてくる。

妻の食べたい物を買ってきては食べてもらった。

「美味しいものしか食べれない」

と妻は良く言ってたw

でも食べてくれるだけで安心してた。

息子も料理をあれこれ考えて作ってくれた

だが、食事の量は少なくどんどん妻は痩せていった。。。

家事もペットの世話もだんだんできなくなっていった。

抗がん剤治療3セット目が終わる頃には歩くのも補助が必要になっていた。


【12月中旬】
「どこか痛くない?」

「うん。痛みはない」

ずっと痛みが無いのは良かった!

正月前に抗がん剤治療に入る予定だったが正月は家族で過ごして欲しいとの事で抗がん剤治療は年明けに延長になった。

この頃から妻は固形物をほとんど食べなくなった。

栄養ドリンクは飲んでた

実は妻は私のパフォーマンスを1度も見た事はない!

今思えば私のパフォーマンス活動の足を引っ張りたくないからだったのかもしれません

だから私の妻に会ったことある芸人は1人しか居ないw
それもたまたまである

普通は奥さんが芸のアドバイスとかしてくれるとありがたいが私の奥さんは

「貴方には華がない!だから何やってもダメなのよ」

華ってなんなん?
てかパフォーマンス見たことないのに良く言うわ

その時はそう思った。

そこでお正月にある計画を考えてた。

奥さんにパフォーマンスをライブ配信で見てもらお!

ちょうど息子がときわファンタジアに行きたいと言ってたのでライブ配信できそうって計画してた。

・・・が!?

正月に私が風邪で寝込んでこの計画は残念ながら失敗に終わった。

寝正月。。。

夫婦で寝てた。

年明けてから妻は良く寝る様になった。

そして身体動かすのも辛い感じだった
食欲もない

病院に早めに行くか聞いたら病院は行きたくないとの事だった。

入院を毛嫌いしていた

「今年の正月は良い正月だったね〜」

妻がそう言ったが2人して寝てただけであるw

妻は夢でも見てたのかもしれない


【1月初旬】
抗がん剤治療で入院。
妻を入院させた私は正直ホッとしてた。

何故かと言えば、自宅で私がしてあげる事も限界になっていたからである。

次の日に担当医から電話きました。

奥さんの状態がかなり悪いので自宅でどんな様子だったかを聞いてきたので正直に伝えた。

脳の癌の進行が早すぎて放射線治療してみるとの事でした。

私は介護の資格持ってるのでそれなりに身体介助はできます。
妻からも車椅子の動かし方が上手いと誉められたりした

だが医療の事は分からない。
それは私でもどうする事もできない。

放射線治療は妻がジッとしてるのも辛く途中で取りやめになった

癌の進行が早くて医療が追いつかない感じだった

そしてこの頃から妻のメンタルが弱くなってきてた。

ナースステーションから連絡くる

「奥さんのメンタルが弱くなってて・・・」

この頃の私は東広島で仕事していたので、できる限り面会に行った

面会時間は基本15分だったがこっそり長く妻に触れ話してた。

メンタル弱ってたので看護師も見てみぬふりをしてくれた

「今回はもう頑張れんかもしれん・・・」

「大丈夫!毎日顔出すから心配しないでゆっくりしててね」

まさに情緒不安定であった

励ますが妻の脳の癌が進行しすぎて認知症状の様にもなってた。

時々話してる内容分からない事もあった。

主治医から呼び出され話を聞いたら緩和ケアに移行するとの事。

もう治療はできない状態まできた。

妻と息子と話し合い岩国市の病院から自宅近くの病院に移り緩和ケアをする事にした

だが実際には緩和ケアに移行する事はなかった。。

面会できない昼間は電話やテレビ電話で話してた

妻はこの先の不安と戦っていたんだと思う。

私もこの先の不安と戦っていた

1月中旬過ぎる頃には妻はスマートフォンの操作もできないと言うか文字を打つ事ができなくなっていた。

だが喋る事はできるので日中はテレビ電話などで話して夕方から病院にお見舞いに行ってた

「早く自宅に帰ってゆっくり寝たい!」

妻の願望はそれ一つだったので主治医に外泊はできないのかを相談してた

そして外泊の許可が降りたのは1月後半の事であった

「自宅に帰れるよー!」

妻に伝えた

「明後日の朝10時に迎えに行くからね」

妻は喜んだ!

だが次の日の夕方に病院にお見舞いに行った時に私は愕然とした妻の容態が急変してた。

看護師に聞くと朝から容態が悪くなったらしい。

「明日お家に帰るんよね?」

と妻に聞いたら声には出さないが頷いた。

「分かった!明日の朝に迎えにくるから頑張ってね!」

2回頷いた。

看護師にこの状態で連れて帰っても良いのか聞いてみたら主治医の許可は出てるので問題ないが看護師の立場から言えばあまりよろしくないとのこと。

結局は明日の朝に判断する事になった。

妻に話しかけるのも辛そうだったのでその日はそのまま帰った。

その夜は眠れなかった。
早朝にウトウトしていたら病院から電話が入った

時計を見たら6時過ぎ

「奥さんの容態がかなり悪くなってるので、すみませんが今から動けるなら直ぐに病院に来て下さい。」

緊急事態だから息子を起こして病院に向かう

到着したら病室に看護師いて状況を聞いた。

朝早くまで意識あったが6時過ぎに意識なくなったとの事。

妻は酸素マスクをつけて寝てました。

耳元で私と息子が来た事を伝えました。

それから感謝の気持ちを伝えました。

そうしていたら妻の右腕が私の方に20センチ程動きました!

驚いて妻の手を握り

「今まで良く頑張ったね!もう頑張らなくても良いよゆっくり休んでね」

それから妻の腕は動く事はありませんでした。

朝の9時半に主治医が来て診察して

「本人は痛みや苦しみは無さそうです。苦しい時には眉間にシワがでるものですがそれがないので薬の投与はやめて様子を見ましょう」

ここから身内に連絡して来てもらう。

妻はよく寝てる状態に見えました。
これまで苦労かけてきたのでその疲れを癒すかの様に寝てました。

20時すぎて身内も帰り息子と2人で見守る事にしました。

長丁場になる事を予想して息子と交代して仮眠とりました。

「起きて!」

息子に起こされて目覚めて起きる

血圧や心拍数の数値がかなり低くなってました。

看護師も頻繁に病室にやってきて経過を見守ってくれました。

数値がどんどんゆっくりと下がっていきます。。。

看護師「本人聞こえているので語りかけて下さいね」

妻の手を握り感謝の思いをずっと伝えていました。

妻の呼吸はゆっくりとさらにゆっくりとなっていきました。

早朝4時40分。
妻は天国に旅立ちました

医師が目の瞳孔を確認する為にまぶたを開けた時に妻の目から大量の涙がボトボト落ちてきました。

ああ、ちゃんと言葉伝わったんだなーって思いました。


【最後に】
結婚してから29年間
子供にも恵まれ仕事で家を空ける事が多かった私ですが妻はきちんと子育てをして子供を立派に育ててくれました。

「子供の為に親は何でもできるし犠牲になれる」

そんな妻を私は誇りに思います。

いつも私の考えよりずっと先の事を考え動く妻だったからその温度差から私と衝突してケンカがたえませんでした。

お互い思いを吐き出したら次の日はケロっとして普段通りの生活にもどってました。

思えばこれから先、ケンカできる相手が居なくなるのがこんなに寂しいものだと実感しています。

良かったのは最初から最後まで痛みが無かった事と最後も苦しまずに天国に行けた事かな

そんな妻の最後の心配事は

火葬されてる時に目が覚めたらどうしようだったw

息子とそこは確認して

「体勢が変わってなくて良かったねー」

てお互い言ってたw

もう一つ!

自宅の物を片付けて貴方が死んでも息子に迷惑がかからない様にしてね。

だった。
これについては今後もやっていきます!

それから容態が急に変化したのは妻は自宅で死にたかったんだろうなーって思います。
家族にこれ以上迷惑かけたくなかったのかもしれません

だからあのタイミングで体調悪くなったんだろうね

私が天国に行けたらまた妻とケンカしたいと思いますw

妻があの時、治療受けて余命が伸びた事で一緒にあちこち行けたし美味しい物も食べさせる事ができたのは良かった。

それからその間にお墓の希望や葬式の内容も聞けたのは助かりました。

妻は最後の最後まで家族の心配をしてました

後、もしかしてだけどもしかしたら妻は未来の事が見えていたのかもしれません!

その理由は40代から飼い始めた猫を最後のペットと言ってました。
猫は15年生きるので私はそんな早く死ぬわけないやろ!と思ってた事

なんで最後のペットなん?って違和感あった

それと保険ですが普通なら旦那の保険を手厚く入ると思うのですが蓋を開けてみたら私の保険は一切入ってなく奥さんと息子の保険のみ入ってました。

男女の平均寿命から考えて女性の方が圧倒的に長く生きるデーターなのにまるで妻は自分の方が先に天国に行く事を知っていたかの様でした。

ちなみにこれ発覚してから私は保険に直ぐに加入しましたw

ここまで読んでくれてありがとうございます!

私の周りで人が亡くなる度に1度きりの人生だからやりたい事はやっとかないとな!と思います

しばらくはまだバタバタしますのでこれにて。

ではでは!

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