1975年の、この日。 ベトナム戦争が集結しました。
第二次世界大戦が終了した後の世界で約14年間と、これだけ長期間に渡る戦争が行われた事も他に無く、その後も此れを上回る期間で戦争が起こった事も無い程の、いわば泥沼化した戦争と言えるでしょうか。
(現在停戦中の朝鮮戦争を除く。 停戦中な訳だから開戦から現在まで60年以上経過してなお継続中です)
で、その泥沼化した原因に『ゲリラ戦』と言うのが一つとしてあるでしょうか。
まぁゲリラ戦を行うに適した土地であったとは言え、実行し、且つ敵を苦しめ、実質的な相手であったアメリカ合衆国に建国以来初めて土をつけた訳で、北ベトナム軍は善く戦ったと思います。
さて、その北ベトナム軍を始め、東南アジアの欧米諸国からの植民地支配からの独立運動をするに当たって、その戦闘の指揮にあたるべく活躍したのが旧日本軍の兵士であった事は、あまり知られて無いと思います。
事実、アメリカ合衆国の日本への侵攻ルートに当たらなかった東南アジア諸国では取り残された日本兵が多く残留し、引き上げに応じなかった(若しくは出来なかった)兵士が地元民の要請、または「アジアの独立の為に」士官学校を開き現地民に戦術を教えた事があります。
(日本の東南アジア侵攻の理由として『欧米諸国からのアジア開放』と言うのがありますが、これは建前として言われてますが実際に理念に掲げて行動した日本人も少なからず居た訳で、一方的に『侵略に対する詭弁』と言うのは如何なものかと思います)
んでベトナムでの士官学校で旧日本軍が教えたノウハウが
硫黄島・沖縄戦(含む・予定されてた本土決戦)のノウハウ
だったのです。 要は
『敵を引きつける為にギリギリまで潜み、接近して来たら一撃を食らわせ再び雲隠れする』
と言う、まさに現代で言う『ゲリラ戦』そのもの。
この戦略に米軍はベトナムで苦しめられた訳ですから、言うなれば
江戸(太平洋戦争)の敵を長崎(ベトナム)で
とも取れるでしょう。
まさか、こんな所で旧軍の戦術が発揮されるとは、太平洋戦争の指導者連中は思ってもみなかったでしょうね。
結果、東南アジア諸国の独立は果たされ、現在に至ってます。
太平洋戦争時の大日本帝国に失望した人々も、現在の日本に対して決して反感ばかり持って無いのは、そんな事情もあるでしょうか。
――反日感情の高い隣国を相手にする暇あるなら、東南アジア諸国と連携強化すれば良いのに。 って思うのは自分だけ?
※ちなみにフィリピンはマッカーサー元帥のプライドで米軍の侵攻ルートになっただけで、本来はフィリピンを経由せず直接日本に侵攻するルートを取る予定でした。
(詳しくはマッカーサー元帥の『I Shall Return』の意味を探って下さい)
ちなみにベトナムとは縁もゆかりも無い筈の南朝鮮軍が米軍と共に参戦し、残虐の限りを尽くしたのも、あまり日本では語られてませんよね。
しかも日本で語られるのは、『北爆』や『枯葉剤』と言った米軍の行為だけだし。 それって恣意的なモノかい?
それを棚上げして、良くもまぁ旧日本軍を悪く言えたモノだわ(嘲笑)
おまけに朝鮮半島じゃあ8月15日を『対日戦勝記念日』って言ってるみたいだが、当時は日本に併合されてた挙句
朝鮮人も日本人と区別されず日本軍に徴用されてた事実は棚上げかい?
……朝鮮人差別があったなら朝鮮人の旧日本軍将校なんて存在しない筈だが、そこんとこ論理的に説明出来る奴、居るかい?
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