夜明けのダイナー(仮題)

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リニア・鉄道館(その7・0系展示編)

2012年06月12日 21時22分29秒 | 鉄道・撮影
2012年6月1日です

300系・100系と新幹線の歴史を遡って最後は


やっぱり


0系ですわね
(21−86 博多寄り)


デッキの案内板には懐かしい車内案内が貼ってあり


東海道『こだま』末期にあった『2&2シート』の案内が……くっそ~、俺がクジ引きで負けたばかりに中学校の修学旅行の帰りに座れなかった『2&2シート』の事だよぉぉぉぉぉ!!(意味不明の怒り)


転換シート、懐かしい!


シート横の引き出しテーブルは、ご丁寧にも固定されてて引き出せないし(苦笑)


陶器製の洗面台も時代を感じる設備ですね。


貫通路を抜ければ


食堂車(36−84)です


これまた懐かしい!
親と岡山の親戚の家に行く時は始発の岡山行き『こだま』に乗って行く事が多かったのですが、その『こだま』は『ひかり』編成の間合い運用で、営業してない食堂車の横を車内探検で通ったモノです。


窓枠にギリギリだった自分の背は、何時の間にか高くなって――
座席からの車窓も、此処から見た風景も、思い出として浮かんで来る様でした。


デビュー当時には食堂の通路側の窓は無く、途中から改造で開けたんでしたね。
(確か)眼帯をしてたタモリさんが国鉄のCMに出て宣伝してたのも懐かしい。


0系食堂車も数回利用した事がありますが


岡山からの帰り、新大阪以西各駅停車の『ひかり』で貸切状態でサンドイッチ食べた事や、東京から豊橋停車『ひかり』で開店早々チーズケーキとコーラを注文し、その列車で一番目のレシートを受け取った事とか……レシート、何処にしまったっけ?


途中で溜まった汚水を名古屋・岡山のピットで流すから食堂車は


8号車って決まってたらしく、しかもピットのある番線に都合で停れなかった場合は、その後の営業に制限が出るって最近知ったよ。
まぁ、高速走行で汚水を垂れ流すってのも危険だしね(笑)


在来線サシよりマシとは言え狭く揺れる車内での調理は危険だったみたいですね。


『交通科学博物館』のナシ20みたく食堂として営業すれば喜ばれると思うが、無理な願いか。


このピクトグラムも懐かしい。


これで0系見学も終了。 


って……何か大事な車両をお忘れでないかい?


忘れてませんよぅ


922−26 元祖『ドクターイエロー』こと軌道総合試験車です


東海所属車両を解体しちまったからって


ご丁寧にJR西日本の車両を強だt……じゃなかった譲渡して貰って来た訳ですね。


元々は同じ国鉄の車両だから、細かい事は良いってか?


車内は転換シートが並んでますが


前方には保線作業のVTRが流れてました。


さて、次に移動しますか。


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