八戸の煎餅の挽歌のつもり

昔の新聞のスクラップブックを取り出して感想を書いたり書かなかったり。

砂糖気のなき胡麻煎餅

2019-12-29 | 日記
青森巡講第一回(旧南部)日誌
 
 大正七年七月廿五日午後六時随行松尾徹外氏と共に上野發発に乗込、乗客満室、終宵眠り難し。<略>七月二十八日(日曜)炎晴、但し風ありて涼し午前汽車に駕し、尻内にて換車し、八戸町に至る、剣吉より四里半あり、午後劇場錦座に於て一席は生徒の為め、一席は公衆の為に講話をなす、<略>余が今より二十七年前本県を一巡せし際は、真宗大派願栄寺に宿泊せり、住職吉川圓成氏今尚健在なり<略>八戸名物を聞くに、雲丹をアハビの貝殻に入れて焼きたるもの、これヤキカゼといふ、カゼとは雲丹の方言なり、又砂糖気のなき胡麻煎餅も名物とす、之を南部煎餅といふ。

(東洋大学井上円了研究会第三部会編「井上円了研究」3巻29ページ、井上円了「南船北馬集第一六編」より、昭和60年3月、東洋大学学術情報リポジトリ=インターネット版、
https://toyo.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=6978&item_no=1&page_id=13&block_id=17 )


10年前、旧友からの煎餅に入っていた手紙

2019-12-27 | 日記
 小生「せんべい」と云えば幼い頃家が近かったので番町の岩舘のせんべいしか食べておらず、口に馴染んだ味で、美味なりと思っておりました。××時代にもよく云われて「岩舘のせんべい」を運ばされたものです。
 つい先日岩舘のせんべい屋に行ったら「どうぞ餅せんべいを食べてみて」と焼き上り2枚ほど貰いました。
 家に帰ってまだほか/\していたものを食べているうち貴君から「てんぽせんべい(餅せんべい)を食べたことがない」ということを聞いておったことを思い出し「てんぽせんべい」を送らうとなった訳です。
 今日岩舘のせんべい屋に行き味見用にその場で焼いて貰いました。冷めると食感は焼き立てと一寸違いますが焼き立てが美味のようです。レンジで戻してもやはり一寸微妙な差があるみたい。幼い頃せんべい屋では焼き終わりの時に作っておったように思います。でもそんな場面はなかなか会えず、冷めたものを食っておったんですから冷めて当たり前と思っておった訳です。賞味期限は5日位かなと云っておりました。併せて小生の口に馴染んでいたゴマせんべいを少々送ります。

   おーい、天国に君の口に合う煎餅屋はあるかァー

煎餅につける胡麻

2019-12-06 | 日記

   八戸の駅        村次郎
  
 故郷の門、八戸の駅よ。おまへはいつものやうだ。
その広場では、またいつものやうに早春の淡い日向で胡
麻を干してゐる。懐しい故郷の名物の煎餅につける胡麻
を干してゐる。
 はるか海の方、アルミナ工場や、近くのアルコー
ル工場の建築工場の見える八戸の駅よ。東京ではよく
高いビルデイング街の空を私の泪のやうな鳩たちが飛ん
でゐた。
 ああ、そしてそれに疲れて私は帰ってきたのだった。
だが故郷は、またなんと多くの烏たちであらう。工場の
上に舞ひ上がる烏たちであらう。私の郷愁が、思考がい
つも黒い小さな点になって飛び散るやうに。
 黒い烏たちよ。私には想はれてならない――胡麻は
おまへたちの泪だったのだと。
 ああ、だがこの私の不覚の泪は、なに。
(村次郎詩集刊行委員会編「忘魚の歌」24ページ、昭和60年4月、村次郎詩集刊行委員会=原本、)

ガソリンカーという気動車が走っていた

2019-11-14 | 日記
 六一  八戸の砂ホコリ

 八戸市までは尻内からガソリンカーが出る。これは鮫駅まで行く、尻内から八戸まで約十分位である。八戸市は海岸に列んでゐる八戸、小中野、湊、鮫、種差なんて云ふ數ケ町村が、併合して出來てゐるのであるから、恐ろしく長い町だ、何でも二里位はある。市に八戸、湊、鮫なんと云ふ驛がある。旅館は八戸の方にも良いのもあるが、鮫の方にも料理兼業だが良いのがあると云ふ。國富さんと猪狩さんが瑣談の種を播かれたのは、鮫の石田屋と云ふのださうだ。酒は地のものに八鶴と云ふのがある。専門家の三浦喜一君が一口味ひながら、是は飲めると折紙を附けたから確なものであらう。
 お酒だけ紹介したのでは、甘黨からお小言が出ないとも限らない。此處には八戸煎餅と云ふのがある。直徑七センチ位厚さ三ミリ位の堅焼きで、臺はメリケン粉である、表には黒ゴマが一面に振つてあり、裏には松の繪か又は八戸煎餅と文字が入れてある。ポキンと割つて喰べて見るに、堅いには堅いが、一寸鹽気があつて美味い、丸でソウダ・ビスケツトの様だ。只堅いので瑣談子の様な老人にはチトこたへるが、齒の良い人なら美味いに違ひない、尤も禅味を帯びたものだから、若い方にはどうかと思ふが、夫れでも日高博士は、甘い/\とほめながら、立てつゞけに二三枚ガリ /\やられてゐた。<略>
(岡田武松著「續 測候瑣談」121ページ、昭和12年8月、岩波書店)

南部煎餅は八戸の名物だった

2019-10-29 | 日記
 八戸小唄の間奏にツルサン、カメサンと入れ始めたのは誰だ。レコードは78回転の時代だったなあ。

八戸・下北半島・青森附近

  八戸市   人口一〇四、三三五  面積一〇一平方粁一五七

     市内に八戸線(尻内-久慈間六一粁九)八戸駅ほか湊・鮫・種差等の諸驛がある。
   ▲尻内・八戸間汽車で一五分(五粁五)、一〇円。又はバスで二〇分、二五円(東北本線の上下列車毎)。

 青森県の東南部に位している港市で、藩政時代から八戸鮫港の名で知られ、南の石巻港及び萩ノ浜と並んで東北地方東岸有数の港として栄えている。もと南部氏二万石の城下で、市域は太平洋に面して狭長な地域を占め東北部の鮫角付近から東南部にかけては岩石海岸をなし、名勝「種差海岸」の名で知られている。「三陸漁場」を近くに控えて水産業が最も盛んに、また農・工業も行われる。また南部馬の産地・南部桐の本場としても名がある。
 【旅館】◎漁大洋館(湊町、ムツミナト駅一〇〇米、電四一七、室一八、宿料七五〇円) ◎孔雀荘(八幡町、八戸駅二〇〇米、電四六 六〇一、室和一六、洋一、宿料七〇〇-一〇〇〇円) ◎みやぎ旅館(八幡町、八戸駅前、電三〇四、室二〇、宿料六〇〇円)  ◎橋本館(鮫町、鮫駅三〇〇米、電七〇五、室和一八、洋一、宿料八〇〇円) 石旧屋(鮫町上鮫、鮫駅二〇〇米、電七〇一及二〇三二、室一三) なかや(六日町、陸奥湊駅六〇〇米、電二四二、室八、一泊六〇〇円) 若松(三日町、陸奥湊駅半粁、電七三、室一六、一泊六〇〇円) 鴎鳴館(鮫町、 電七〇六)。
 【日本交通公社案内所】 市内八日町三七(電九四四)。
  ▲市内バス 一区一〇円。▲タクシー 地帯別で一三〇円乃至四五〇円。
 【名 物】 南部せんべい・むし菊(食用の阿房宮菊の花をむして干燥したもの)・八幡駒(当地方の代表的郷土作品で日本三大駒の随一として夙に知られる。農閑期に農民の粗野な手法によつて造られる)・うに罐詰・鴎細工。
  ◎新羅神社 八戸駅の南一粁半、市内糠塚の長者山山上にあり、附近は八戸公園となつている。祭神素戔嗚尊及び南部氏の遠祖新羅三郎義光、例察九月一-三日。当日は「三社大祭」と称せられて大いに賑わい、また二月十七日の豊年祭「えんぶり」は種蒔から収穫までの有様や漁獲などの模擬的所作を演ずるもので、野趣に富んだ祭りである。 ◎櫛引八幡宮 市の西郊外館村にあり、バスの便がある。祭押誉田和気尊、例祭九月十五日。南部一ノ宮、奥州二ノ宮と称されて広く崇敬されている神辻で、社宝の甲冑二点及び後亀山天皇卿料小桜縅の鎧一領、他二点は重要文化財に指定され、南北朝時代のものとして有名である。  ◎月渓山南宗寺(臨済宗)市内糠塚、長者山の西麓にあり八戸驛の南二粁余。寛文六年( 一六六六年) 八戸藩主南部直房の創建に係る古刹。
(ミヤギ)公園 市内柏崎の八幡町にあり、駅の南二〇〇米。同じく寛文六年に南部直房の築いた八戸城跡である。  ◎橋本香月園  八戸駅の西南二粁半、市外館村売市。広大な園内に花圃・温室・果実園があり、殊に春のチユーリツプと秋の大輪菊は有名である。                            <略>
(入沢文吉編「旅程と費用」二七八ページ、昭和28年、日本交通公社)