「自分を生きる」~共にある喜びへ~
「私の目にあなたは価高く、貫く」~イザヤ書43章4節~
年度もあらたまり、これと同時に主イエスが「受難」から「復活」へと移り、しかも周りの草花も新しい芽が顔を出し、私達もまた一年のスタートを切ることを共に喜びたいと思います。
「主は羊飼い、わたしには何も欠けることはない。」(詩編23:1)
羊は最古の飼育動物と言われ、中国の記録には約8000年前からすでに家畜であったことが記されているそうです。
家畜であるということは別の意味では「野生を失った」ということでもあり、人間が世話をしないと自分だけでは生きてはいけないということでもあります。
厳しいパレスチナの自然の中で生きる羊にとって大切なのは「良い羊飼い」に導かれることです。
良い羊飼いは荒れ野の多い土地を巡るときも、豊かな草地を導き、飲める水のあるところに導いてくれるからです。
そればかりか、危険な道にあっても羊を安全に導き、羊を襲おうと待ち構える野生動物からも守ってくれるのです。
新たな年度にあたり、まだまだ不安な子供たちがいるかもしれません。(このことは大人社会にあっても同じく言えます。)
「神が共にいて下さる。」この言葉をお互い心にとめて、歩んでいくべきと願ってやみません。
「私の目にあなたは価高く、貫く」~イザヤ書43章4節~
年度もあらたまり、これと同時に主イエスが「受難」から「復活」へと移り、しかも周りの草花も新しい芽が顔を出し、私達もまた一年のスタートを切ることを共に喜びたいと思います。
「主は羊飼い、わたしには何も欠けることはない。」(詩編23:1)
羊は最古の飼育動物と言われ、中国の記録には約8000年前からすでに家畜であったことが記されているそうです。
家畜であるということは別の意味では「野生を失った」ということでもあり、人間が世話をしないと自分だけでは生きてはいけないということでもあります。
厳しいパレスチナの自然の中で生きる羊にとって大切なのは「良い羊飼い」に導かれることです。
良い羊飼いは荒れ野の多い土地を巡るときも、豊かな草地を導き、飲める水のあるところに導いてくれるからです。
そればかりか、危険な道にあっても羊を安全に導き、羊を襲おうと待ち構える野生動物からも守ってくれるのです。
新たな年度にあたり、まだまだ不安な子供たちがいるかもしれません。(このことは大人社会にあっても同じく言えます。)
「神が共にいて下さる。」この言葉をお互い心にとめて、歩んでいくべきと願ってやみません。