こんにちは。最近の部内のウマ娘の話についていけず、スマブラをする2年の田中です。
この前、大脇にリングフィットアドベンチャーのRTAの生配信を紹介されて見ましたが、めっちゃ面白かったです。スクワットっていう指示が出ても、足につけたリモコンをただふるだけで終わらせちゃうんですよね。なので相当なスピードで盤面が進んでいきます。30才くらいの男の人が真面目に1時間以上最速でリングフィットアドベンチャーしている様子を見るだけで面白かったです。皆さんも機会があれば見てみて下さい。
以下は蛇足です。
蛇足Part1
皆さんは神社にお参りはするでしょうか。普段は行かないような人でも初詣には行くのではないでしょうか。そのような時、何をお願いしますか?僕は、これ以上お願いごとは増やさないでください、といつもお願いします。
蛇足Part2
突然ですが、僕は革命というものに憧れがあります。僕にとって革命とは、その前後で自分の内面ががらっと変わってしまうような体験のことです。その体験によって、自分の内面にありつつも自覚のなかった、大きくて頑強な何かの障壁を取り払ってみたいと思うのです。ですが、これは憧れでしかなく、必ず現実のものとしてやろうといった類のものではありません。言わば、空想でしかありません。なぜなら、革命の内容がまだ具体的に立案できていないからです。革命、という抽象的なものをぼんやりと考えているだけです。
そのような訳で時々、何が革命何だろうかと考え事をしているのですが、去年、大江健三郎の『性的人間』を読み、これなのではないかと思うものを発見しました。ですが、その行為はれっきとした犯罪であり、社会的にも最低最悪な行為としてのレッテルを貼られている行為です。こうして書いている今でも、心苦しい感じがするのですから、低劣・卑劣な行為に違いありません。なので、保身のため、ここでその行為を全容にわたって述べることはしません。仮にも、そのような行為を容認し、かつ実行しようとする者として僕がみなされてしまっては、僕の社会的な信用は地に堕ちてしまうので。やはり、革命は現実のものではなく、空想のものとしてあるべきなのです。逆に言えば、空想のものとしておくべきものを実行しようとするところに革命の価値はあると言うこともできるのですが。
さて、どうしてこんな意味の分からん文章を書いたかと言いますと、旧帝大で柔道をするという行為も革命として考えられるのではないか、と今日思ったからです。勿論、この革命には時間をはじめとしたさまざまな犠牲を要します。ですがその分、自分の持っていた価値観や信条をがらっと変えるようなものではないとしても、自分の内面にあった何かをあたかも元々存在しなかったもののようにしてしまう体験だと思うのです。打ち水が石を静かに削るような革命として、柔道があるのではないかと今日僕は思いました。なので、目の前の結果に拘泥するのではなく、自分の内面を微かに削っていくように向き合っていきたいと思いました。
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Unknown
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