1970年代が子供時代でした。

昭和時代の虐待家庭記録など、自分の不幸についての告白です。

人生を過大評価してもしょうがない

2024-09-05 19:13:45 | 日記

よく、「過去のことを振り返るのはやめよう。過去は変えられないんだから。」などと言いますが、それは絶対に違う。過去の検証をしないでどうするんですか??とわたしは声を大にして言いたい。特に、余命2か月で未来はほぼない人間としては、見られるものは「過去」しかないんだから、せめて過去を冷静に分析したり、検証したりしようよ、と思います。健忘症のふりなんかするのは本当に愚か! 人は、今までにやったことしか実績がないんだから、それさえ忘れたらナッシングになってしまいます。「過去は変えられないから過去忘れろ」は、マルチ商法とかスピの詐欺師が、人をナッシング化、初期化して洗脳したいために用いるクリシェであって、ゆめゆめ信じてはいけません。

しかしながら、「過去」を振り返ると、「時代の流行に乗っていたわたし」の姿をそこに見出すだけ、という結果に陥ります。わたし個人のオリジナルの思い、自己表現、だなんて思っていたことは全部「流行現象」の枠組みに自分をはめこんでいただけ、という身も蓋もない結論が、悔しいけど待っています。

だったら謙虚になって、「自分個人がどうこう」と言うのをやめて、大きな歴史の流れを冷静に検証しよう、と思います。

歴史を知らない愚民が、ネトウヨになったり、ポピュリズムに踊らされる烏合の衆になる。それはもう絶対的事実です。

わたしは「既成概念への反抗」という先行世代の思想に影響を受けながらも、「シラケ世代」「パンク」以降の人間として、アクティビズムやムーブメントに背を向け、「一筋縄ではいかない、ひねりの効いた、変な芸術表現こそがカッコいいのだ」という方向に突っ走った若者でした。

しかし、芸術ひとつ取っても、結局はジャンルや流派の流行に乗ってるだけだった、そしてそのジャンルとかは「技術」におんぶにだっこだった、ということに、その後気づきます。どういうことかというと、フランク・シナトラはマイクが出てきたからこそクルーナーという囁くような唱法で売り出せた、とか、ラジオの発明によってヒットチャートが生まれたりティーンエイジがレコードを買う文化が生まれた、とか、野球のスタジアムでコンサートをできるような音響技術が生まれたから音楽ビジネスが巨大化したとか、そういうことです。エンターテインメントに限らず、そもそも資本主義って工業技術が進んで生まれたものだし、なんでもイノベーションに乗っかって進んできたのでしたよね。そんなことは超当たり前のことだけれど、みんなが何故だか「思想」「イデオロギー」などを過大評価している傾向が、特に20世紀は強かったように思う。「誰かの思い」が時代を動かした、と。

まあ、それもあったのは否定できませんが、インターネット時代、AI時代になって、やっぱり技術第一なんじゃん、というのが結構あからさまになってしまいました。人の個性、とかじゃないよね、と。そして「自分の考えたことを自由に表現するんだ!」と言っていた旧世代の人々が顔色を失う時代になってきました。

今わたしは「人生なんてたいしたもんじゃなかったなあ」と、はっきり気づきました。「自分自分自分! オリジナリティこそが大事!」という、ありもしない個性を過大評価していた時代はもうとっくに終わっています。

死が近づいたりすると、老人がよく、自費出版で自叙伝を出したがったり、「わたしの人生の唯一絶対の意味」を見出して自己満足しようとするのは、実はちょっと恥ずかしいことなのかもしれません。あと、やたらと「感謝」したり家族や周囲の人間を持ち上げはじめるのも、「自分がその場所でその人たちといたこと、間違ってなかったんだよね??」と自己確認したくてたまらないからやるだけであって、客観的に見るとちょっと痛いです。周囲の人も、いたからいただけ。そこにいたことは偶然であって、たいした意味はない。

人生なんか過大評価したってしょうがない。人生に意味なんかない、個人にはそれほど意味がない、とはっきり自覚すべきです。

もちろん、時代の流行に乗って、セレブリティとして偉大なる作品を残したりした人は、幸いなるかな、と思います。でもそれとて、個人の偉業というより、流行現象の要素の方が大きかったのかもしれないし、お金が儲かったりしたのは、たまたま運が良かったですね程度の「ついで事」にすぎないのかもしれない。大きな形を残したか否か、いずれにせよ、一人の人の人生なんて過大評価したってしょうがないし、人生なんて笑止千万なんだよ。

でも、笑止千万だから面白い、というのもあります。そこをみんなで楽しく笑うのが芸術。

このブログの前の方の「虐待記事」では、自分がいかに特殊な状況の犠牲になったかみたいなことを書きましたが、それすらも「笑止千万」の一部にすぎません。変に自分をヴィクティマイズすることも「わたしという唯一絶対の人間」教の信者になるみたいで、みっともないです。自分の人生にトラウマがあろうが、それも含めて笑えばいいんだと思います。歴史という大海に浮かんだ、小さなあぶくの一つにすぎない「自分」を笑え。

人生を過大評価してもしょうがない、というのがわたしの最後のメッセージです。みんな、覚えておいてね。


今、実はハッピーなのである

2024-09-03 17:29:42 | 日記

自分が経営する会社をたたみ、本格的に「終活」モードに入って数か月が経過しました。

あれこれ感慨にふけることもなく、むしろ事務的にどんどん事を進めていっている自分の段取りに、「さすが、元サラリーマン!」と自画自賛しているうち、時が過ぎていく…。一人暮らしの部屋もひそっと退去して、10月には旅立つのであります。とても爽やかな気持ちです。

なによりも、もう「あー、この体調…」という嘆きからおさらばできるのが、いい! もはや医者にも行かないし、気が楽です。歯が痛いぐらいのマイナーな不調がプラスされても、いっこうに気になりません。

会社解散によって、仕事のために無理矢理話さなければならなかったB層の人間も、目の前から消滅しました。「B層」って、言い方は悪いですが、バカで無教養で視野が狭く意地悪な人間って本当に多いんだな、とうんざりしていたので、今とてもさっぱりしました。今フリーでやっている仕事は、気心知れた賢い人とだけ話して進んでいくものなので、快適な生活を享受中!

そして、余暇の出現。さすがに、前よりはヒマな生活になりましたから、アマゾンプライムで映画を好きなだけ見ています。最近「ツインピークス」がラインナップに出てきたので、凄いタイミングだな、と大喜びで食いついて、狂ったように見続けていました。タナトスたっぷりのあのテーマ曲からして、今のわたしにぴったりの、天からのプレゼントのように思えました。デヴィッド・リンチは本物だ。リミティッドなんとか、という20数年後の新シリーズまで観られて、もう思い残すことはありません。リンチぶっ飛んでます。「突如踊るオードリー」とか、意っっ味わかんないよマエストロ! でもすごい! さすが! とのけぞりっぱなし。

その前は、「これから消えるんだから」ってことで、デイヴィッド・コレシュのジョーンズタウンの人民寺院に関するドキュメンタリーや映画類を連続的に観たり、またドアーズのジム・モリソンに関する動画や映画を観たりしていました。でも、同じ「消える」でも自分とは事情が違いすぎて、まったくの他人事としか思えず。ただの勉強にしかならず、あまり共感どころはなかった。

しかし、今からいろいろ勉強しても、もうすぐいなくなってしまうので、あまり意味ないじゃん?って話なんですよね。旅立ちによって「物質」からも解放されるが、「知識」「教養」からも解放されてしまう。…ただ、なんか最後に「ああ、そうだったのか。」ってオチがわかって●んでいきたい、という気持ちがあるのです。過去の清算の部分では、すっきりしたい。未来はどうでもいいけど、過去に落とし前をつけたい。(未来予測は、したってどうせこの世に存在しないと思うと、政局とか大統領選とか完全に興味なくなってしまいました。)

次回は、過去の落とし前について書きます。


お久しぶりです。第二部、余命2か月篇

2024-09-02 14:46:55 | 日記

長らく放置していたブログに戻ってきました。

実は、前に虐待体験の実話を書いたのは、身体の具合が悪いからわたしも長くないな、ということに気づいて書き残そうと思ったのでした。この世のどこかにひそっと真実の欠片を遺しておきたくなって…。わたしはソーシャルメディアのアカウントは、自分の名前を冠したXもアメブロもfacebookもインスタもnoteも、他にいやというほど持っているのですが、あえて誰にも知られていない匿名ブログを開設したかった。社会的な顔と紐づいていない、わたしの知り合いが誰も見ないようなネットの片隅に、誰にも言っていない真実を潜ませておこう、ということで。

そして、余命2か月と決まっている今、最後の本音をちょこっと書き残そうと思って、またこのアカウントを活用することにしました。

あと2か月でこの世にさよなら、って結構すぐだと思うのですが、実はまだ仕事の依頼が来ていたり、またうっかりそれを引き受けてしまったりしていて、旅立ちの実感が今ひとつない。なんだかフワフワした気持ちです。幸いにしてそれが好きで楽しい仕事なので、最後その執筆ができてよかったなあ、という感じでして。

なんでそんなにきっちりと「余命2か月」って時間軸が決まっているのよ、と怪訝に思われるかもしれませんが、今流行りの「あれ」を手配してあるからなのです。(もちろん、治らない病気であるという基本があってのことです。)が、ここでは今流行りのあれについて詳述したり、段取りを人々に解説したりしてあげる気はないし、また個人的な闘病記を繰り広げるつもりもありません。ただ、感情として言いたいことをちょっと言っておきたいだけです。

まあ、先ほど言ったように、仕事の執筆の方を先にやらねばならないので、暇を持てあましてここに縷々書き連ねるという感じにはできない、ちょっとした走り書きにしかならないのですが。海に投げたボトルに手紙が入ってるみたいな感じで、偶然拾った人は読んでください。(いや、別に読まなくてもいいですが…。)

というわけで、「第二部余命2か月篇」を、数回連載いたします。


最終章

2022-09-01 17:56:00 | 日記
わたしは精神医学の専門家ではないので、ここで人格障害についてあれこれ私見を述べても仕方がないと思われます。よって、反社会性人格障害についての記述は避けます。
が、要するにわたしがずっと気になっていたのが、「母の反社会性人格障害がわたしに遺伝していないだろうか??」ということでした。

(今は「人格障害」より「パーソナリティ障害」という言い方をする方がマイルドだと思われているらしく、後者の呼称が使われることが多いようですが、「人格がおかしいんだから人格障害って呼んだ方がわかりやすいじゃないか」とわたしは思うので、わざとそう書いています。)

わたしに遺伝しているか? 答えはたぶんノーだと思います。わたしは母みたいにお寿司屋さんでエビの「踊り」なんて食べないし(お寿司屋さんも、母がサイコパスだと見抜いて生きたエビを勧めてきたんでしょうかね?)、人に暴力を振るったこともないし、いじめ、暴言、マウンティング等すべて大嫌いで、一切しません。
会社に12年勤続していたし、その後フリーになっても人々と調和しながら人間関係トラブルなくやってきたし…まあ、自分が精神障害であることは考えにくいと思います。

ただ、頭もよく才能もあった(性格は偏っていたものの)父と比べると、わたしは遥かにバカなんじゃないか、という恐怖が、年齢とともに強くなってきました。
若い時は、自分には才能があると勘違いしていた。しかし、わたしには50パーセントはバカの血(母の血)が混じっているため、実は自分で思っているよりずっとバカだったのでは。——近年ますますそう思うようになりました。

虐待によって、自尊心がちゃんと育たないまま、ただ「悔しくない生き方がしたい!」という思いだけで、がむしゃらに生きてきてしまったわたしです。

しかし、いま言えることは、自尊心なんてあってもなくても、「ちゃんとした仕事」をしさえすれば、人は認めてくれる。ということです。

バカのスペクトラムの、どの目盛の辺りにいようが、自分ができる精一杯の「ちゃんとした仕事」をすればいい。それがわたしが人生で得た結論です。

というわけで、ここで第一期を終了させていただきます。
気が向いたら第二期を始めるかもしれませんが、いつになるのか、予定は未定です。
ここまでお読みいただきましてありがとうございました。

反社会性人格障害

2022-08-31 22:05:00 | 日記
実の母親からさんざんひどい目に遭って、母親をひどく嫌悪するようになったわたしですが、しかし、その考えを突き詰めた結果、「母の血を半分ひいているであろう自分」にまでも自己嫌悪を抱くようになります。

つまり、わたしの人生の問題点は、「あいつの遺伝子が混ざっていると思うと、自分を愛せない。」ということなのです。

遺伝、という恐怖の現象に思い至ると「毒親に関する悪口を言う」ことは、天に向かって唾するようなものだ、と気づいてしまいます。「もしかして、母の異常性はまったく受け継いでいないんじゃないかな? そうだといいな…?」なんて空しく願っても、実際には遺伝ゼロ影響ゼロということは考えにくいだろうし、現に顔も似ています。

(父に似るのは、別にいいんです。父も変人ではありましたが、暴力は振るわなかった。何より、父には才能があり、その才能だけで一家を経済的に成り立たせてきました。
問題は、父のブランドに寄生するだけして自分はなんにも稼がずに、わたしに暴力を振るって楽しく生きてきた、母の方です。)

母は、俗に言うサイコパスなのではないか、という疑いをわたしは持っています。
もう少し精神医学っぽく言うならば、「反社会性人格障害」というやつです。

八ヶ岳に家族旅行に行った時のこと——
高原には赤トンボがたくさん飛んでいて、それが東京では見られないほどの大群だったので、子供のわたしは夢中でトンボを捕まえて遊んでいました。
捕獲したトンボの羽を2本指でつかんで持っていると、母は、
「ちょっと貸して。」
と取り上げるなり、いきなりトンボの左右の羽をバリバリむしり取りました。
羽をもがれ胴体だけになって地面に落ちた、見るも無残なトンボを指差して、母は、
「昔はこうやって、ままごとの時に”鶏肉”に見たてて遊んだものよ。」
とニコニコしていました。
なんて残酷な! と、わたしは驚愕…。

生き物に残酷なことをして全く平気、というのは、反社会性人格障害の特徴です。酒鬼薔薇なんかも、猫を殺して遊んでいた、と報道されていました。

また、「人の心がわからない」「共感能力がない」のも母の特徴です。
ある時、家族で歩いている街角で、白い杖をついた人が
「○○はどこですか?」
と道を訊いてきました。
母はなんと、
「すぐ目の前です。」
と答えました!
当然ですが、目が見えない質問者の人は怒ってしまい、「もういいです!」とさっさと立ち去っていきました。
母はしかし、本気で不思議そうに、口を尖らせながら、
「人に訊いておいて、急に怒って行っちゃうなんて、なんなのかしら?」
とか言っていました。
この様子は、単にデリカシーがない、とかいう次元ではない、頭のネジが一本取れた人にしか見えませんでした…。